第54話 撤退
「撤退だ!!」
耳の奥がビリビリするほど大きな声で叫んだのはバイス。そのおかげで仲間達は我に返り、恐怖の呪縛から解き放たれた。
「【
訓練の賜物である。シャロンはギルドのマニュアル通り動いた。
帰還水晶を使う際には敵の目をくらませる。ゲートに敵を入れないようにする為だ。
このサイズの敵がゲートを通れるかという疑問はあるが、今回の場合は合図の意味合いが強かった。
帰還水晶は緊急時にすぐ使えるように、利き腕とは反対側の袖口に入れてある。
もちろん知っているのはギルド職員と、使用するところを見たことがある者だけ。
シャロンが帰還水晶を取り出し勢いよく地面に叩きつけると、割れた水晶の中から煙と共にゲートが出現した。
その存在時間は20秒程度。その間に全員が通り抜けねばならない。
一斉にゲートに向かって駆け出し、最初にゲートに入っていったのはシャーリーだ。
それを横目にシャロンは腰の抜けたニーナを抱きかかえ、引きずりながらもゲートへと急ぐ。
「逃がすわけなかろう」
地獄の底から出したような低い声が辺りに響くと、
振り返ると、そこにはグレゴールの巨大な手に掴まれ藻掻いているネストの姿があった。
「ネスト!」
フィリップの投げた剣がネストを掴んでいた手に命中するも、まったくの無傷。
「くっ……」
必死に藻掻くネストだが、最早人間の力でどうこう出来るレベルではない。
「少し大人しくしていろ。【
ネストの真下に魔法陣が浮かび上がると、黒き炎が柱のように立ち上り、ネストはグレゴールの右手ごと灼熱の業火に包まれた。
「———ッ!!」
「ネストォォォォ!!」
黒き炎が消え去ると、グレゴールの右手にはネスト……いや、今や性別すらわからない焦げた人型の塊を握っていたのだ。
そこから力なく落下したのはネストの杖。
「おや? 少し火力が強すぎたかな」
グレゴールはそう言うと、焦げたネストをまるでゴミでも扱うかのように投げ捨て、それはバイスの前にゴロリと転がったのだ。
肉の焼ける嫌な臭いが辺り一面に立ち込め、あまりの衝撃に全員の動きが止まった。
フィリップが何か言おうとしたが、バイスの方が早かった。
「お前達は先に行け! シャロン! ニーナの帰還水晶を俺に寄こせ!」
「しかし……」
「聖域を使う! まだ息はある! 帰還したらすぐに治癒術をかければ間に合うはずだ! いけぇ!!」
バイスの怒号が響き渡る。
盾適性の上位に位置するスキル聖域。魔の者に対する不可侵の絶対領域を展開するというものだ。
同時に範囲内の味方の体力の減少を抑えることが可能だが、効果終了後は動けなくなる程体力を消耗する。
それがグレゴールに通用するかは未知数であるが、恐らくそれ以外にネストが助かる道はない。
聖域展開後、ゲートを開きネストを回収して帰還する。フィリップはそれを理解し一瞬の躊躇いの後、ゲートへと飛び込んだ。
本来であれば帰還水晶はギルド職員が使う物だが、そんなこと言っている場合ではないのは火を見るよりも明らか。
シャロンはニーナの袖口にある帰還水晶をバイスに投げ、2人がゲートを通過すると、それは音もなく消滅した。
頬を伝う一筋の汗。
無音。静まり返る空間に1つだけの音源。それは鼓動。
グレゴールとバイスは睨み合い――動かない。
「……もういいんじゃない?」
聞き覚えのある声がダンジョン内に響き渡ると、柱の影から出て来たのはネストである。
おもむろに自分の杖を拾い上げ、埃を払う。
「あ゛ぁ゛ー、しんどかったぁぁ」
バイスは警戒を解くと、その場に大の字になって仰向けに倒れ、巨大なスケルトンは魔法陣が消えると同時に消滅した。
「九条? そろそろ出て来てもいいわよ?」
それを聞いて、玉座の後ろからひょっこりと顔を出したのは九条。その表情は少々不安気である。
「うまくいきましたかね?」
「十分だろ? 正直ちょっとやりすぎ感があるぞ……」
寝ながら答えるバイスは息も絶え絶えで、もう動きたくないと暗に訴えかけていた。
「もちろん俺もギルドには報告するが、よほどのバカでもない限り、もうこのダンジョンには誰も寄りつかないだろ。魔剣は魅力的だが、リスクの方が圧倒的に高い」
「魔剣は、出さない方がよかったんじゃないですか?」
「いいえ。魔剣はフィリップを釣る餌として必要だったわ。何もなきゃフィリップはシャドウ達とは戦わなかったかもしれない。メリットも無いのに勝てるかどうか判らない戦いをするほど馬鹿じゃないわ」
一昨日、九条が尾行していたネストを捕まえた時、300年前の魔法書の情報をチラつかせたら、ネストはあっさりと寝返った。
もちろん、ネストが信用できると判断してのことである。
カガリ立会いの下で何度かネストに質問し、嘘ではないことを確認したうえで、九条は自分の命に関わるであろうダンジョンハート以外のことを打ち明けた。
ネストは魔法書が手に入るなら、ダンジョン攻略を諦めるようフィリップ達を説得すると言ってくれたが、九条はそれを丁度いい機会だと捉え、ダンジョンに人を寄せ付けないようにする為に一芝居打ってもらったというわけだ。
それならばと、ネストはバイスも引き入れた。
バイスがパーティの指揮権を持っていたというのも大きいが、今回はネストの為にパーティを組んだようなものなので、その厚意は無下にできないというのも理由の1つであった。
出発の日。ダンジョンの入口まで案内した九条は一旦帰るフリをして、バイス達を尾行していた。
最初の分かれ道で封印の扉に行くようバイスとネストが誘導し、その隙に九条が時間稼ぎのスケルトンを呼び出しながら、最下層まで降りたのだ。
最下層に着いた九条は、魂の入っていない骸骨に
1体はグレゴールの人形、もう1体はネストに似せた人形である。
シャーリーがグレゴールの反応だと思っていたのは玉座の上に待機していた108番だ。
ちなみにシャドウ達は本気でバイス達と戦っていた。
嘘っぽく見えてはいけないという理由から、バイスがそれを求めたのだ。
同等以上の戦力を用意したつもりであったが、結果押され気味になってしまったのは、九条がバイス達を過小評価していたのが原因である。
本来ならネストが玉座のグレゴールを攻撃し怒らせる。という段取りだったのだが、それを実行したのはニーナだった。
想定外の出来事ではあったがやることは変わらず、ネストがグレゴールの死を確認する為パーティから離れたら、スケルトンロードを召喚し帰還を促す。
そして
さらにそれを焼いて恐怖を煽り、バイス以外をゲートで逃がして現在に至るというわけだ。
「そんなことより、九条。魔法書のことホントなんでしょうね? 今更嘘でしたは通用しないわよ?」
鋭い眼光で九条を睨みつけるネスト。
「あぁそうでした。大丈夫ですよ。ちょっと待っててください、今持ってきますから」
九条を待っている間、ネストはバイスの隣へと立った。
「やれやれ。ギルドのダンジョン調査依頼はちょくちょく受けるが、今回が1番キツかったな……」
「そうね……。もし私が九条の話に乗らなかったら。今頃九条に殺されていたかもしれないわね……」
バイスは返事をしなかった。芝居だとわかっていたからこそ動けたのだ。
(あんなのと対峙するのは二度と御免だ……)
「そうだ。ネスト」
「何?」
「九条がなんでこのダンジョンに人を近づけたくないのか、その理由は何だと思う?」
「さぁね。私も知らないわ。帰ってきたら聞いてみたら? 私も聞きたいことがあるし」
「何を?」
「これだけの力があるのに、どうしてカッパープレートだなんて偽っているのかってことよ……」
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