第3話 コット村
5分ほど歩いたところで、一際大きな建物の前で立ち止まる。
木造建築の3階建て。正面の扉の横には木製のベンチと、お皿の上にフォークとナイフが交差している図柄の看板が立て掛けられていた。
「ここが、この村のギルドだ」
男はそう言うと扉を開け、中へと入って行く。
そこにはテーブルやイスがいくつか並んでいて、左奥には登り階段。パッと見た感じは、ギルドというより食堂だ。
店員がいるはずであろうカウンターに人影はないが、テーブルに腰掛け足をぶらつかせる若い女性が1人。
「ようカイル。今日は昼間から酒か?」
「お前はこの状況を見て、酒を飲みに来たように見えるのか?」
「アハハ、冗談だよ」
呆れたように言う男に、女はケラケラと笑って誤魔化す。
明るい茶色の髪を後ろで1本に束ねていて、笑顔が素敵な女性である。
歳は高校生くらいだろうか? 服は普段着のようで、店員や給仕のようには見えない。
「お前こそ、仕事はどうしたんだ?」
「飯時ならまだしも、こんな半端な時間に客なんかこねーよ」
女はそう言うと、テーブルから降りてカウンター奥の部屋へと引っ込んでしまった。
「ギルドは2階なんだ、職員を連れて来るからここで待っててくれ」
カイルと呼ばれた男は俺を近くのイスに座らせ、階段を駆け上がって行った。
改めて辺りを見渡してみるが、大きなフロアに客はいない。
炊事場であろうカウンターの方に目を向けると、先程の女性が壁の端から顔を半分だけ出して、こちらの様子を窺っているのが見えた。
興味があるのか、見られていると思うと少し緊張してしまう。
暫くするとカイルと1人の女性が、階段を慌ただしく降りてきた。
「初めまして。わたくしコット村のギルド支部長を務めておりますソフィアと申します」
長いストレートの茶髪に大きな眼鏡、少し変わったメイド服のような衣装で、女性としては背が高い。
肌は色白で清楚な顔立ち。かわいいというより美人という印象は、仕事の出来るお姉さん的なオーラが滲み出ていた。
「はぁ……どうも。九条です」
「おいおい。挨拶は後ででいいだろ? 先に傷の手当てをしてやってくれよ……」
「あっ、そうでした! ごめんなさい」
ソフィアはその場にしゃがみ込むと、胸元にぶら下がっていた金属の茶色いタグのような物を左手で握り締め、右手を足元の傷へとかざす。
「【
ソフィアの右手が淡く緑色に輝き出すと、そこは春の陽気のような温かい光に包まれた。
ほんの数秒で足の傷は乾いた血の痕を残し、何事もなかったかのように元通りになったのだ。
それがとても神秘的に見え、初めて見る魔法に驚きを隠せなかった。
「これは魔法……? すごいですね……」
「えっ、冒険者の方ではないんですか?」
ソフィアが驚いたように俺の顔を見上げ、カイルも同様であった為、俺が村の入り口で訂正出来なかったことが勘違いさせた原因だろうと思い、素直に謝った。
「はぁ。そうだったんですね……」
明らかに落胆したかのように肩を落とすソフィア。
「いや、すまない。 にーちゃんが珍しいローブを着てるもんだから、てっきり魔術師系なのかと思っちまった」
言われてみると、病院の手術着が薄手のローブに見えなくもない。
ソフィアとカイルはテーブルの向かい側に座ると、こうなった経緯を話し始めた。
「実は今、人手不足が深刻で冒険者を募集してるんだが、なかなか集まらなくてな……」
それで俺を、募集に応じて来てくれた冒険者だと勘違いしたということらしい。
確かに目に映る景色は長閑な田舎という雰囲気だ。冒険者風の出で立ちの者は、誰1人として見ていない。
などと考えていると、辺りに立ち込めるおいしそうな匂い。それに反応するかのように腹の虫がぐぅぅと鳴った。
手術前で食事を制限されていたので、転生前から何も食べていなかったのだ。
「なんだ。にーちゃん腹減ってんのか? おい、レベッカ。このにーちゃんに何か食えるもん頼むわ」
カイルがカウンターに向かって雑に注文すると、ずっとこちらを見ていたレベッカは奥の部屋へと引っ込んだ。
「ちょっと待ってくれ。俺はカネを持ってないんだ」
「あぁいいさ。これは俺が勘違いした詫びだ」
「【
「うっ……」
ソフィアの言葉にカイルの顔が若干引きつった。
どうやらギルド職員の魔法はギルドに登録している冒険者以外は有料のようである。
怪我の程度にもよるが、今回の【
この食堂の定食1食分が銀貨5枚らしいので、4食分と考えると治療費も意外とバカにならない。
「ま……まぁひとまずその話は置いといて。にーちゃんはどっから来たんだ?」
いずれ来るであろうと思っていた質問が来た。
信用してくれるかどうかは別として、異世界から来ましたとは言えない。
どう言おうかと悩んでいると、カイルは俺の答えを待たずに次々と捲し立てる。
「方向からして王都の方から来たみたいだが……違うのか? なんで街道を通らずに危険な山を抜けて来たんだ?」
矢継ぎ早に来る質問に何も答えられない。
適当に話を合わせるにしても、ちょっとつっこまれたらとたんにボロが出るのは明白だ。
「いや……。えーっと……」などとはぐらかしていると、ソフィアが思い立ったように呟いた。
「もしかすると
「あぁ。魔術師が限界を超えて魔力を使うと一時的に記憶がなくなるって言うあれか? 確かにそれなら、にーちゃんがローブを着ているのも頷けるが……」
これに乗っかるしかないと思った。後は怪しまれない程度に、話を合わせられれば……。
「あぁ……いや、どうだろう……。そうかもしれない……が……わからない……」
項垂れ、頭を押さえながらもたどたどしく答える。
「やはり……。間違いありませんね」
「へぇ、これがそうなのか。初めて見たよ。難儀だなぁ」
カイルもソフィアの言うことに感心しているが、全部演技である。本当に申し訳ない……。
親切にしてくれた人に嘘をつくことになるとは……。罪悪感で胸が痛い。
「おまちどーさま!」
突然の声に驚き顔を上げると、横にはレベッカが立っていた。
先程とは違いエプロンをしている。
「夜の仕込みを始めたばっかでろくな物がないけど、玉子はウチの村で採れた新鮮なやつだから」
「こっ……これは!?」
「それはたまごかけご飯って言うんだが覚えてるか? 玉子を割ってご飯に乗っけたら、そこの容器に入ってるタレを掛けて混ぜて食うんだ。遠慮しないで食ってくれ。……あ、玉子の割り方わかるか?」
「あ……あぁ。大丈夫だ」
木製のスプーンでほかほかのご飯にくぼみを作り、玉子を割ってそこへ入れる。
そしてタレであろう黒い液体を掛けて手際よくかき混ぜ、それを口へと運んだ。
「美味い……」
元の世界で食べていた物より格段においしかった。
玉子の濃厚さが段違いで、感動すら覚えるほど。まさか異世界で、たまごかけご飯が食べられるとは夢にも思わなかった。
ガブリエルが元の世界と似たような所と言っていたのは、食文化という意味も含まれていたのかもしれない。
「クックックッ……食べたな……」
「食べましたね……」
ソフィアの眼鏡が光ったように見え、タダより高い物はないと言うことわざが頭を過る。
無一文の見ず知らずの人に、ここまで良くしてくれたのだ。相応の対価は求められるだろうと覚悟を決めた。
「どうか……。どうかウチのギルドに所属して下さい!」
ソフィアがその場で頭を下げる。
「強制はしない。記憶が戻るまででいい。それでもいいから助けてくれ!」
先程まで明るく振舞っていた2人に笑顔はなく、その表情は真剣そのものだ。
無理難題を押し付けられてもおかしくはない状況に憂慮していたが、それは強制でも命令でもなく、お願いだった。
しかし、わからない。ガブリエル曰く、ここはファンタジーの世界。
ギルドに所属し冒険者になれば、魔物を退治したりするのだろう。
それなりに戦力になるならまだしも、実績も経験もない人間を所属させてメリットがあるのだろうか?
出来れば争い事は避けて、穏便に暮らしていければと思っていたのだが……。
しかし、命を助けてもらい傷の手当や飯の面倒まで見てもらった手前、断り辛いのも確かだ。
所持金はなく、どこかで働いてお金を稼がなければ飢えてしまう。
悩みはしたものの、どちらにせよ仕事は必要と割り切り、説明だけならばと2人の話を聞いてみることにした。
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