第396話 婚約式

 スタッグ城の謁見の間にも似た大きなホール。高い天井に幾つものシャンデリアがぶら下がるその場所が、アレックスとレナの婚約式が行われる会場だ。

 真っ直ぐ伸びるレッドカーペットの先には真っ白な布で覆われた主祭檀。その上に置かれている燭台には蝋燭の優しい光が灯っている。

 主祭檀の前に立っているのはアドルフ枢機卿と呼ばれる赤い法衣を着た男の司祭。教会の中では偉いらしいが、興味はない。

 ミトラと呼ばれる長い帽子のような物を被ってはいるが、生え際が見えない事から恐らくはハゲだろうと推測する。


「只今より、ニールセン家アレックス様とノースヴェッジ家レナ様の婚約式を執り行う」


 アドルフが精一杯の声を上げると、厳かな雰囲気の中、式典が始まった。

 大きな扉が開け放たれ、中央のレッドカーペットをゆっくりと歩き出したアレックスとレナ。

 腕を組みながらも胸を張って歩いて行く2人の様子は、幸せそうで何よりである。

 アレックスは赤を基調としたジュストコールに金の冠。強張る表情は緊張から来るものだろう。

 白いウェディングドレスを着たレナも、凛とした表情を見せていたのだが、途中俺と目が合うと、ほんの少しだけ口元が緩んでしまったのはご愛敬といったところか。

 レナの長いヴェールの端を持ち、後ろからトコトコとついて行くのはミアである。

 ニールセン公はヴェールガールとしてミアを招待していた。随分と粋な計らいだが、ガチガチに緊張しているミアの様子は失敗しないかとこちらがヒヤヒヤさせられる。

 だが、いざ失敗したとしても、その後ろに追従しているカガリと白狐がミアを助けてくれるだろう。

 2匹の魔獣は小さな銀のトレイを吊るした紐を咥えていた。その上に乗せられているのは、豪華な装飾が施された短剣である。

 その威風堂々たる姿に、招待客も驚きを隠せない様子で目を見張っていた。

 これは王女護衛作戦の1つ。この婚約式が終わると同時に従魔達をリリーの護衛につける。

 それは俺の従魔達がどれだけ従順であるのかを見せつける為に計画したものなのだ。


 アレックスとレナがアドルフ枢機卿の前で足を止めると恭しく跪く。そんな2人に参列者達からは惜しみない拍手が贈られる。

 招待客の中には、懇意にしているであろう大手商会の代表なども混ざってはいるが、その殆どが貴族。中にはチラホラと見知った顔も存在していた。

 その筆頭が第2王女のグリンダ。会場入りと同時に目が合うと、大きな舌打ちを飛ばしそっぽを向いた。目を逸らしたいのはこちらである。

 リリーとは違い、自分が1番だと主張しているかのような豪華で派手なドレスは一目瞭然。しかし、それが似合っているかは別だ。

 そしてもう1組は、レストール伯爵とその護衛だろうグラーゼン。シルビアとセレナが見当たらないのは、お留守番といったところか。


 婚約式の作法は知らないが、アドルフ枢機卿がブツブツと何かを呟きながらアレックスとレナの頭に手を添える。

 それが終わると、カガリと白狐から2本の短剣を受け取り、それぞれを2人に手渡した。


「それでは誓いの短剣を交換してください」


 婚約式ではそれぞれの家が用意した短剣を交換する。指輪の交換は結婚式当日までお預けだ。

 その短剣は自決用。本来、自殺は許されざる行為だが、この結婚に不服があるならそれを以て命を絶つのは許される習わし。

 なんとも恐ろしい話ではあるが、離婚の許されないこの国ではそれが本人達に与えられた最後の猶予。死んでも一緒になりたくない者もいるのだろう。


 婚約式が終わると、披露宴……とは言わないようだが、豪華な食事が振舞われた。

 立食ではなく、オープンな感じのお食事会といった雰囲気だ。並べられたテーブルの席順は決まっていて、ニールセン公の計らいで派閥で集まれるようにと仕組まれている。


「はわぁ……。すっごい緊張したぁ……」


 見事ヴェールガールをやり遂げたミアが俺の元へと戻ってくると、それを労い頭を撫でる。


「よく頑張ったな」


「えへへ……」


 ミアはまんざらでもない様子で椅子に座ると、目の前に置かれた料理を頬張り始めた。


「ここからが正念場ね」


「そうですね」


 ネストの言葉に皆が頷き、緊張が高まっていく。


「恐らくだけど相手も外交問題にはシビアなはずよ。無理矢理に連れ去るようなことはしないと思うけど……」


「王女に従魔達を付けるんです。最悪の場合は強行することもあり得るでしょうが、最後の手段でしょう。こういう時は相手の気持ちになって考えるんです。この状況を利用して合法的に王女を連れ帰れる理由を考えましょう。その方法は、決して多くはないはずです」


「……へぇ。さすがは九条ね。それで、その心は?」


「さぁ」


「さぁって……。真面目に考えなさいよ……」


「いや、もちろん真面目に考えてますけど、貴族の仕来りだの作法だの持ち出されたら俺にはお手上げですよ? 例えば今回みたいな式典が相手国側で開催されたとして、招待されたら断れないとか……。そういうのあったりしないんですか?」


「うっ……」


 どうやら図星なようだ。その引きつったネストの表情だけで察することが出来る。

 王族や貴族は自尊心が強い。故に気位が高く権力には従順だ。マナー……と言っていいのかは不明だが、失礼に当たらない断り方や駆け引きなどがあるはずで、それを貴族ではない俺に聞かれてもわからないのである。


「……何を言われようと断れるようにいくつかパターンを考えておくわ……。それよりも使者だけど……」


 ネストがチラリと視線を移したのは、シルトフリューゲルからの使者達が座るテーブルだ。

 その中でも、恐らく一番の権力者はふくよか……を通り越し、巨漢と言っても差し支えない豊満なわがままボディの持ち主。

 もし存在しているなら、力士の適性を持っていてもおかしくはないだろう。

 ギラギラにテカついている肌は、湿っているのか油なのか……。正直お近づきにはなりたくない人種である。

 太りすぎてわかりづらいが歳は恐らく30前後。もちろんそれなりの身分なのだろうことは、その立派な身なりから推測できるが、態度はあまりよろしくない。

 有り余る贅肉の所為か、膨れた頬に隠れている目は細く、睨みを利かせているような目つき。

 常にキョロキョロとしているのは挙動不審なのではなく、何かの値踏みしているだろう事が窺える。


「相手も貴族だったら、何かわからないんですか?」


「300年も前から交流が殆どない国の情報なんて高が知れてるわよ。名前を聞けばわかるかもしれないけど……」


「貫禄だけは一丁前だよな……。俺の見立てでは伯爵以上はあると思うが……」


 バイスの見立てに根拠はないが、そう思われてもおかしくない程の態度のデカさは持ち合わせている。

 俺達は招待された側。もちろんあちらが挨拶にくることはなく、その情報はニールセン公待ちだと思われた。


「彼はヴィルヘルム・セドリック。確か公爵だったはずよ」


 その声の主はアーニャである。皆の注目を浴び頬を染めながらも、お皿に盛られた料理から肉だけを綺麗に取り分け口に運ぶ。


「何よ? たまたま知ってただけでしょ。マナポーションを探して各地を転々としてたから有名どころは押さえてるの。もちろん悪い意味でね」


「悪い?」


 それに眉を細めるバイス。


「そ。ギルドの協定を破ってマナポーションを溜め込んでそうな悪名高い貴族のこと。彼はシルトフリューゲルの中でもその筆頭。ローレンス卿と組んで国家転覆を企んでるって噂話が立つくらいにね。でも1年位前の話だから結局は単なる噂だったのかもしれないけど」


 何故かツンとしながらも、得意気に話すアーニャ。肉を食べ終えフォークを置くと、お皿には野菜だけが残されていた。

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