第377話 アニタ

 その後、フードルは何事もなかったかのようにアーニャの元へと戻って来た。その手に握られていたのは奪った魔法書。

 この世界の子供は、魔族の恐ろしさを親から教えられる。そこに例外はなく、アーニャだってもちろん知っている。

 それが目の前にいるのだ。その恐怖は体中の痛みを忘れてしまうほど。


「やめて! たべないで!」


「ふん。子供の少ない魔力なぞなんの足しにもならんわ」


 フードルが座り込むアーニャの片腕を掴み持ち上げると、バタバタと暴れるアーニャ。その勢いは流れ出る血液が飛散してしまうほど。


「やだーー!! あ゙ぁぁぁー!」


 その一滴が仮面に触れた瞬間、フードルは仮面の裏で目の色を変えた。


「なるほど。素質はありそうじゃな。魔法書を奪われたと見るのが妥当か……。……まぁいい。欲しいのならくれてやる。サッサと泣きやめ。うるさくてかなわん」


 持っていた魔法書をグイっと押し付けるとアーニャは泣き止み、不思議そうな顔でフードルを見つめた。


「理由はわからんが子供には罪はなかろう。家まで送ってやる。どこに住んでる? 親はおらんのか?」


 恐る恐る村の方角を指差すアーニャ。そしてフードルは面倒だと思いながらも、アーニャを連れて歩き出した。

 傷の手当なぞしていない。アーニャが痛みで歩けなければ、溜息をつきつつも抱き上げる。些細な事でもビクつくアーニャは村に着くまで一言も喋らず、フードルもまた何も言わなかった。


 村に着いたのは翌々日の朝。そこにアーニャの知っていた村はなく、見るも無残な姿に変わり果てていた。

 黒煙を上げる木造家屋。畑は荒らされ、毎朝騒がしい鶏の鳴き声すら聞こえない。家畜は1頭たりとも存在せず、人っ子一人見当たらなかった。

 村の殆どが焼かれていたのだ。それはアーニャの家も例外ではなかった。


「ママ!? どこ!?」


 黒ずんだ我が家は半分が焼失していた。消火した直後といった様子は、まだ燻りを見せている。うっすらと煙の上がる家には誰もいない。

 街の広場には大量の灰と骨の山。微かに漂う酒の匂いに、使い物にならない武器や防具が散乱していた。

 フードルはそこに佇んでいたのだ。


「本当に哀れな種族だ……。種の存続は願うクセに、争うことをやめようともしない……」


 フードルが何かの気配に気付き振り返ると、そこにはアーニャが立っていた。

 その手に持たれていたのは焦げ付き穴の開いた麻袋。アーニャの表情は暗く、今にも泣きだしそうな表情で俯いていたのだ。


「それがお前の探し物か?」


 アーニャは大きく首を横に振った。


「親は?」


 その質問に表情を険しくするアーニャ。答えは聞かずともわかっていた。


「まぁ、ワシの知ったことではないか……。お前はここにいるといい。商人あたりが立ち寄った時、助けてもらえるはずだ。その魔法書があれば暫く生活には困るまい」


 フードルが踵を返し立ち去ろうとした時、その足に僅かな抵抗を感じた。

 足元にいたのは駆け寄って来たアーニャ。フードルのローブの裾をギュッと握り締めていたのだ。


「離せ」


「ん!」


 アーニャはその手を離そうとせず、代わりに持っていた魔法書を突き出した。


「くれるのか? 残念だが私には必要ない。そんな中級の魔法書なぞ読む価値もないわ」


 それにアーニャは首を振った。


「わたしに……わたしにまじゅちゅしをおしえてくださいッ!」


「はぁ!?」


 先程、俯いていた子供とは思えない決意に満ちた表情。口をへの字に曲げ、うっすらと浮かべた涙を拭うことなくフードルを見上げる。その瞳の奥には復讐の炎を燃やしていた。

 アーニャはこの惨状が誰の所為なのかを知ってしまったのだ。散乱していた武器の中に、見覚えのある直剣が落ちていた。それは折れてしまっていたが、間違いなく母親に向けられた直剣であった。


「やれやれ……。面倒なことになった……」


「わたしが……わたしが盗賊をやっつけたら……。わたしを食べていいです!」


「ほう……」


 それはフードルにとっても魅力的な提案だった。泡沫夢幻ほうまつむげんにやられた傷を癒すためにも、膨大な魔力が必要だった。あまり人を食べ過ぎると追手に気付かれてしまう恐れもある。

 人間の、それも子供の魔力量は雀の涙ほどだが、アーニャの血から感じたマナの奔流は、鍛え上げれば十分な魔力を保有するほどの持ち主になるだろうと確信していたのだ。


(非常食としては……まぁ合格といったところか……)


 そして、魔族と人間の子供による奇妙な生活が幕を開けたのである。


 ――――――――――


 それから5年。グリムロックギルドの扉が開かれると、1人の女性が新規登録カウンターへと向かった。


「ようこそ冒険者ギルドグリムロック支部へ。こちらは冒険者の新規登録カウンターですが……間違いありませんか?」


 ギルド職員が思わず問い掛けてしまったのには理由があった。1つは目の前に立つ相手があまりにも若い女性であったこと。

 男性と違って女性には働き口が多いのは事実。危険な冒険者を志願する者は少ない。

 それともう1つは、その若さにも拘らず既にその者の纏うオーラが熟練者のそれであったからである。

 薄汚いローブと古臭い杖は、何十年前に買ったのかと思うほどの骨董品。その雰囲気からプレートの紛失を疑ったのである。

 プレートの再発行にはお金がかかる。故に新規登録と称して、新人を装おうとする輩が稀にいるのだ。


「2重登録は重大な規約違反となりますが……」


「大丈夫よ。新規登録でお願い」


「そうですか……。かしこまりました。では、お名前をどうぞ」


「アーニャ……。……いえ……アニタよ」

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