第328話 シルビアとセレナ

「そこいくおじさま! 私を買いませんか!? 14歳です! なんでもするんでお給金ははずんで下さい!」


 奴隷の猫耳少女が声を上げる。それは既に何百と聞いたフレーズだ。

 最初は苛立ちもしたが、今や何も感じなくなった。


「おいらは力仕事に自信があります! 工夫や荷物持ちにどうですか! 金貨80枚です!」


 私達がここに連れてこられたのは恐らく半年前。途中で数えるのを止めてしまって、正確にはわからない。

 胸には自分の値段が書かれた木製の板。奴隷として生きるつもりはないのに、それを首に下げているのは外すと叱られるから……。

 この板を首に掛けていなければ、食事を貰えないのだ。


「おねーちゃん……」


「大丈夫よセレナ。もう少し我慢していれば、きっとお父様が迎えに来てくれるわ……」


 その言葉に信憑性がないのはわかっていた。

 もう少しもう少しと言い続け、どれだけの月日が流れたか……。それでも妹は文句を言わなかった。


 1人の男が鉄格子の前で足を止めた。

 奴隷を買いに来たであろう男は、品定めでもするかのように中を覗き込んでいる。

 久しぶりの上客だ。身形がいい。恐らくはどこかの貴族か豪商。

 必至に自分を売り込む猫耳娘を退かし、鉄格子を掴んで必死に訴える。


「あなたレストールは知ってる?」


「ん? ああ、それがどうした?」


「私達はその娘なの! お願い! 私達がここにいることをお父様に伝えて!」


 目を丸くした男は少し間を置き、理解したのか軽快に笑った。


「ハッハッハッ……。最近の奴隷はユーモアに溢れているな。伯爵家の娘を奴隷として雇うプレイは斬新で面白そうだが、それが本家の耳にでも入ったら命がいくつあっても足りないよ。変態を通り越して死罪確定だ。残念ながら私にはそんな趣味はない」


「本当なの! 信じて!!」


「これはなかなか迫真の演技だ。だが、もういい。それよりも君のアピールポイントを教えてくれないか? 金貨100枚以下で最低限の家事と店番の出来る奴隷を探してるんだが……」


「だからレストール家の娘で……」


「もういいと言っているだろ! この店は奴隷にどういう教育をしているんだ……」


 腹を立てた男は、そのまま店を離れていく。


「待って!」


 誰も自分の話を本気にしてはくれなかった。お父様と連絡を取ってくれれば、すぐにでも駆けつけてくれるはずなのに信じてもらえない。

 報酬を出すと言っているのに聞く耳すら持ってくれないのだ。

 絶望に打ちひしがれ俯いていると、その首根っこを掴まれる。


「何するにゃ! 上客が逃げるからその売り文句はやめるにゃ!」


「ご……ごめんなさい……」


「あんたの過去なんか知ったことじゃにゃいけど、そういうのは私が売れてからにしろにゃ!」


 お互いに関わり合いを持つことは少ない名も知らぬ獣人の女性。

 標準語は上客向けの喋り方で、普段は獣人訛りが酷い。

 言われていることはもっともで、自分が邪魔をしたという自覚はある。

 ここに連れてこられた時、覚えるつもりはなかったが奴隷について色々と教えてくれた。

 奴隷商のオーナーの言う事を聞かず食事を抜かれた時、少ないながらも食事を分けてくれた。

 良い人なのはわかっている。それでも売れ残ってしまっているのは、彼女が奴隷商のお気に入りで、値段が相場より少々強気な設定だからだ。


「おい。喋ってないで、客引きくらいしろ」


 噂をすれば、店から出て来たのは奴隷商のオーナーだ。客引きの声を止めたから様子を見に来たのだろう。


「ちょっとだけにゃ。ちゃんとやってるにゃ」


 オーナーは私達を見ると、必ずと言っていいほど溜息をつく。


「はぁ……。タダでいいっつーから引き取ってはみたが、大ハズレだぜ。このまま売れなきゃ食費で赤字だ……」


 言うことを聞かない私達が嫌いなのだろう。


「おい、お前等。次に貴族の娘だとか言いやがったら、ぶん殴るからな!」


「……でも奴隷法で暴力は……」


「お前達はまだ売れてねぇだろうが! 奴隷以下なんだよ!」


 憤慨したオーナーは、店の中へと戻って行く。


「おねーちゃん……」


「大丈夫。セレナは私が守って見せるわ……」


 そろそろ妹も限界だ。考えていた計画を実行に移す時が来たのかもしれない。

 ひとまず誰かに買われてから主人を説得するか、逃げ出してしまう作戦だ。それには行商人が丁度良かった。

 こちらの話を信じてもらえなくともロッケザークに立ち寄れば、そこで逃げ出してしまえばいいのだ。

 次からは真面目に客引きをしよう。プライドなんか捨てて可能性に賭ける。

 自分達の値段は底値に近く、バラバラに買われたらそこでおしまいである。何としても2人セットで買って貰う必要があるのだ。

 決意を新たに服を脱ぐ。買ってもらう為なら着飾らなければ始まらない。

 この麻袋ともお別れ……そう思った瞬間だった。

 いつもはどこのお店でも客引きの声が鳴りやむことはないのに、奴隷街はシンと静まり返ったのである。

 辺りに漂う緊張感。1ヵ月ほど前だろうか。同じことがあった。


「……また来たにゃ……」


 それは上客ではあるのだが、奴隷達の間ではもっとも嫌われている職業。冒険者である。

 基本的には羽振りがよく報酬は期待出来るが、仕事内容に難アリでギャンブル性が高い。

 使用人として買われ、留守中の家事を任されるのが一番楽だ。

 貴族の屋敷のような広さはなく、良くも悪くも一般的な家庭でする家事と同じ。だが、冒険に同行するとなると話は変わる。

 移動中の荷物持ち程度であれば問題ないが、長期ダンジョン探索などでは魔物との戦闘も強要される。

 冒険者が死ねば、自分も同じ運命を辿るのだ。嫌とは言えず、自分の命は自分で守ることとなる。更に異性であれば伽の相手。

 身体がいくつあっても足りない。故に、誰も自分を売り込もうとしない。

 着飾るのはあの男が通り過ぎてからだ……。

 皆が視線を合わせようとはせず、通り過ぎていくのを待つ中、そいつは徐々に近づいてきた。


「セレナ。目を合わせちゃダメよ」


 妹にそう囁くと、その男は自分達のいる店の前で足を止めた。

 目を合わせないようにゆっくりと顔を上げると、最初に見えたのは狂暴そうな大きな魔獣。そして胸に輝くのはプラチナのプレート。

 それは王宮の催しで、1度だけ見たことがあった。第2王女と一緒にいたのはノルディック。

 だが、目の前にいるのは明らかに別人。ノルディックはもっと武骨な男だった。

 時間にして数分。男はそのまま店の中へと入っていく。


「やばいにゃ……」


 皆の顔が青ざめる。それは誰かが買われる可能性を示唆していたのだ。

 待っている間、微動だにしない黒狼の魔獣。こんなものの世話役でも任されようものなら即座に食べられてしまう。

 扉を開け、出て来たのは店のオーナーと先程の冒険者。

 その手に首輪は握られていなかった。まだ購入の段階ではない様子にひとまずほっとする奴隷達。


「オヤジ。そこで座っている2人組はいくらだ?」


 心臓が跳ね上がった。この大勢の奴隷達の中で、値札を隠しているのは自分達しかいない。


「おい! その手をどけろ! お客様に見えるように胸を張れ!」


 意地でもどけなかった。これは買われたくないという意思表示。

 言うことを聞かない奴隷なぞ買いやしない。拒み続けていれば諦めてくれるはずだ。

 後でオーナーには叱られるが、我慢すればいいだけだ。


「コイツらッ……」


 案の定怒りを露にするオーナー。だが、商品価値を考えるとむやみに手を出すこともないはずだ。

 そうだ。どうせならば吹っかけてやればいいのだ。あんたなんかに買われる気はないという気概を見せなければ。


「き……金貨500枚です」


「お客様に嘘を付くなッ! ほんとは……」


「買ったッ!」


「「……は?」」


 最上級の奴隷でも金貨200枚。そう教わっていた。どう考えても買われる値段ではなかったのだ。


「金貨500枚だろ? それでいい。2人で金貨1000枚だ。オヤジ、馬車を回すから手続きの準備だけしといてくれ」


「旦那ぁ。いいんですかい? ウチは儲かりますが、適性価格は……」


「いいんだ。迷惑料とでも思っておけ」


「……迷惑料?」


 そっと見上げると、その男と目が合った。


「ヒッ……」


 ニヤリと浮かべた怪しげな微笑に畏怖を覚え、それは私達を絶望へと駆り立てたのだ。

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