第233話 新たな旅路

 三日月の形をした島。その両端は小高い丘となっていて、北側には小さな石碑が建てられていた。

 正直、墓と呼ぶには心もとない大きさだが、眠る者がいればそれがなんであれ、そこが立派な墓である。

 芝の新芽を踏み固めながら歩むバルバロスと、それに抱かれるイリヤス。

 俺達はその後をゆっくりとついて行く。


 そこに辿り着くと、いよいよ別れの時である。

 バルバロスが最後にイレースとの熱い抱擁を交わすと、イリヤスは俺の元へと駆け寄り抱きついた。


「おじさん。私のわがままを聞いてくれて、本当にありがとう」


「ああ。元気で……。いや、安らかに眠ってくれ」


「うん。また何かあったらよろしくね!」


「おにーさんと呼ぶなら、考えてやらんこともない」


「それはダメ。私にとってのおにーちゃんはオルクスだけだもん」


「なるほど。じゃぁ仕方ないな」


 目を丸くする俺に、白い歯をむき出しにして笑うイリヤス。別れを悔いてはいない満面の笑みだ。

 それは何かを成し遂げたという達成感を感じるほど、自信に満ち溢れていた。畏敬の念を抱いてしまっても不思議ではないくらいにしっかりした子だと改めて思う。

 イリヤスの頭を優しく撫でてやりニコリと微笑み返すと、今度はイレースの元へ。

 イレースはイリヤスとは違いボロボロと涙を流していた。それが通常の反応だろう。家族との永遠の別れだ。悲しくないはずがない。

 イレースが2人から離れると、バルバロスはイリヤスを抱きかかえ、覚悟を決めたかのように頷いた。


「やってくれ」


 俺はそれに敬意を表し頭を下げると、折角だからちゃんと送ってやろうと地面に膝を突いたのだ。


「九条殿。あれをやるならこの斜面はきつかろう。我に背を預けるがいい」


「ありがとう。ワダツミ」


 本当は正座がベストなのではあるが、胡坐で妥協しよう。

 バサリとローブを翻し地面に腰を落とすと、肺に空気を溜め、それをゆっくりと吐き出した。


「バルバロス。汝の法名は釋皇原しゃくおうげん。……イリヤス。汝の法名は釋尼心蓮しゃくにしんれんだ」


「ほうみょう?」


「死後の世界で使う名前を授けるのが決まりなんだ。餞別みたいなもんかな。まぁ、形式上の事だからあまり気にしないでいい」


 一般的には戒名と言った方がわかりやすいだろう。宗派によって法名とも言われるものだ。

 本来は帰敬式ききょうしきという儀式を経て、仏門に入る僧侶に与えられる名前であるが、最近では死者に付けられる名前だと思われがちだ。

 戒名を与えられた者は、仏門の戒律を守らねばならない。だが、2人は仏教徒ではない。なので、戒名ほど縛りの強くない法名を選択したのである。

 だからといって適当に名付けている訳ではない。ちゃんと意味を持つ名を授けたつもりだ。

 バルバロスの『皇』は一団の長と言う意味で。『原』は海を表す。

 イリヤスの『心』は強さと優しさを表し。『蓮』は可憐と花蓮の2つの意味を込めたもの。


 猫のように喉を鳴らすワダツミをほんの少しだけ撫でてから、軽く咳払いをして喉の調子を整える。

 ゆっくりと目の前で手を合わせ、合掌。そのまま目を瞑り、深く頭を下げた。

 そして読経を始めると、場の空気が一変したのだ。

 ピリピリと張り詰めた緊張感の中にも、どこか幻想的な雰囲気が周囲に漂う。まるでそこだけが別の空間になってしまったかのような錯覚さえ覚える。


 とても静かな夕暮れだった。水平線はまだ赤みを帯びているが、空は紫がかっていて薄暗くなってきた頃である。

 聞こえるのは波の音と、芝を揺らす程度の僅かな風のざわめき。

 俺の出す声はいつもより低く、誰も聞いた事がない独特な言い回し。

 その意味がわかる者はこの世界には存在しないのだろう。

 単調にも聞こえるそれが、何かの歌のようにも聞こえ、引き込まれて行くような感覚に皆が一様に息を呑んだ。

 ふと気付くと、それ以外の音は一切聞こえず、厳かで神秘的な景色が広がっているよう見えたのだ。


 バルバロスとイリヤスの体が淡い光に包まれると、2人は皆に笑顔を向けた。


「オルクス。お前達との日々はかけがえのないものだった。ありがとう。そしてこれからは船長として皆を引っ張ってやれ」


「船長! ありがどうございまじだ! 俺達のごど、見守っていでくだざい!」


「イレース。俺はお前と結ばれたことを後悔していない。俺達は先に逝くが、お前は残りの人生を謳歌してくれ。そしてその歌があの世でも聞けることを楽しみに待っているよ……」


「ママはまだこっちに来ちゃダメだよ?」


「ええ……。期待して待ってて……。その時はきっと会心の歌を聞かせてあげるから……」


 押さえていた涙が一気に溢れる。それでも必死に言葉を紡いでいた。これが最後なのだから。

 それに無言で頷くバルバロスに、笑顔で手を振るイリヤス。

 霧散していく肉体から離れた2つの魂は、ゆっくりと天へと上り夜空の彼方へと消えて逝ったのだ。


 読経を終えると、俺はゆっくりと目を開けた。そこは先程と何も変わらない小高い丘の上。

 僅かに違う所と言えば、夜空に浮かぶ星々の輝きと、石碑の前に2つの頭蓋骨が寄り添うように置かれていた事だけであった。

 バルバロスの前には酒を。イリヤスの前には花を手向け、ゆっくりと立ち上がる。


「おにーちゃん、終わった?」


 ローブの袖を優しく引っ張るミア。その目はとろんとしていて眠そうだ。


「ああ。ミアにはちょっと長かったかな?」


「ううん。平気」


 気を使っているのだろう。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものである。

 お腹もいっぱいだろうし、子供にとっては暇な時間であったはず。

 俺は、それを必死に我慢したであろうミアを褒め称えるという意味も込めて、頭を優しく撫でた。


「初めて見た儀式だったけど凄いわね。何がって聞かれると困っちゃうけど、なんていうか弔うって言うより、送り出すって感じ?」


「シャーリーがそう感じたのならそうなんだろう。捉え方は人それぞれだ。どれも間違ってはいないさ」


 確かに元の世界での読経とは少し違う気はしていた。自分の中の魔力を消費している感覚があったからだ。

 それが何に使われ、どんな効果があるのかは定かではない。だが、悪影響が出ている訳でもないし、魔力消費は微々たるもの。

 完全に無視するわけにはいかないが、その魔力が2人に安寧をもたらしてくれればとポジティブに考えることにした。


「九条さん。今回は娘の為に尽力して下さって、ありがとうございました」


 俺に声を掛けてきたのはイレースだ。ただ普通に話しているだけなのだが、引き込まれてしまうほどの美声に驚きを隠せず、気の利いた返事なぞ咄嗟に返せるわけがない。


「いえ……」


 避けていたわけではないが、面と向かって話したのは白い悪魔を倒した後にイリヤスから紹介された1度きり。

 基本周りには海賊達の誰かしらが付いており、話す機会なんてほぼなかった。こちらとしても特に用事もなかったしな。

 イレースはイスハークが勝手に連れてきたのだ。俺はバルバロスの作戦を決行するために仲間達を集めてくれと頼んだだけである。


「これは娘から渡すようにと言われていた物です。受け取ってください」


 差し出された手のひらに乗っていたのは、小さな蒼い宝石が付いたネックレス。それは水滴のような形をしていて、水晶かと思うほどの透明感だ。


「セイレーンの涙!」


 それを見て声を上げたのはシャーリー。それを一目見ようとミアはぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「知ってるのか?」


「うん。見るのは2回目。瀕死の重傷でも一瞬で回復させちゃうって効果がある宝石。……いや、マジックアイテム……かな?」


「へぇ。それで何故これを俺に?」


「娘の出した依頼の報酬だと聞いています。事が済んだら渡しておいてくれと頼まれていたんです。受け取ってください」


 ハーヴェストギルドの古臭い依頼用紙。掠れていて読めなかった文字の中にこの事が書いてあったのかもしれないが、今となっては確認のしようがない。

 それをイレースから受け取り、まじまじと見つめる。

 綺麗と言うだけでは申し訳ないほどの存在感。零れ落ちる涙を切り取ったような美しさと、清らかさを併せ持つ宝石。

 その輝きは、控えめで静かであった。


「それがイリヤスの望みであれば受け取ろう。ありがとう」


「それいくら位するの?」


 ミアの言葉に、時が止まったかのように皆凍り付いた。

 率直な疑問なのだろうが、それは少々不躾だ。いや、深く考えすぎかもしれないが、聞き辛いことは確かである。

 ミアの純粋な好奇心に笑顔を見せたイレースは、はにかみながらもその答えを教えてくれた。


「そうですね……。あそこに置いてある船が3隻ほど買えると思いますよ?」


「……」


 イレースが指差した先には、貴族から奪ったと聞いている巨大なガレオン船だ。

 さすがのミアも、それには開いた口が塞がらない様子。

 報酬としては貰いすぎな気もするが、これはイリヤスの気持ちなのだ。1度受け取った物を突っ返すというのも忍びない。

 頂いておくのが礼儀であろう。


「もし足りなければ言ってください」


「いやいや、十分です。既に貰い過ぎてるくらいですよ……」


 イレースはそれでも足りないと思っていたのだろう。もう2度と会えないと思っていた家族に会えたのだ。

 もちろん夢の中でなんて非現実的な話ではない。現実に、しかも生きている時とまったく同じ状態でである。

 それは奇跡であった。笑い、泣き、時には怒る。そんな日常が、たったの1日とはいえ返ってきたのだから。

 言いたいことは山ほどあったはずだ。それを全て吐き出すことが出来たのだろう。

 2人はイレースを恨んでなどいなかった。むしろ幸せであったと口をそろえて言っていた。それが知れただけで、イレースは救われたのだ。そして、今回はちゃんとお別れを言うことが出来たのである。


「そういえばイレースさん。グリムロックの食堂で九条の事見てましたよね? あれはイリヤスちゃんに気付いてたんですか?」


 シャーリーの質問にイレースは首を横に振った。


「いいえ。そこまではわからなかったわ。最初は大きな獣を連れていて珍しいお客様だなとは思っていたけど、でも何かそれとは違う……。少し懐かしい感じがしたの」


 やはり母親なのだろう。薄々ではあるが何かを感じ取っていたようだ。


「すいません。あの場ではまだ明かすべきではないと判断していたので……」


「いえ、いいんです。そちらにも事情があるでしょうし、その力を隠す理由も何となくですがわかります。私達家族は九条さんに認められた稀有な例として、このことは心に仕舞っておきます。まぁ、言ったところで信じてくれる人がいるとも思えませんが」


 柔らかい笑顔を向けるイレース。少々大げさに捉えられている気もするが、事後の心配はなさそうである。

 口止めが面倒だと思ってはいたが、後のことはイレースとオルクスに任せて問題はなさそうだ。


 最後にイレースは石碑の前に穴を掘り、2人の頭蓋をその中へそっと置いた。そして用意していた厚めの石畳で封をすると、自然と目を閉じ合掌したのだ。

 恐らく俺を真似ただけなのだろうが、それは真剣であり甚く堂に入っていた。

 それに倣い、拙いながらもミアとシャーリーは手を合わせ、2人の旅路が良い物になるようにと願ったのである。

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