第210話 久しぶりのバスタイム

 宿はすんなりと決まった。場所はギルドまでの通り道にあった地上に建てられている宿。普通の宿とは少し違い、部屋を貸すのではなく家をまるごと貸すタイプ。所謂コテージだ。そして、珍しく風呂付である。

 平屋1棟を自由に使えるということで、従魔達を考慮するなら最適な宿だろう。冒険者の宿より値は張るが、ハーヴェストの巨大な部屋よりは全然安い。

 荷物を降ろし一息つくと、シャーリーから街の地図を拝借し目的地を探す。


「バイスに教えてもらったって鍛冶屋。何て名前なの?」


「バルガス工房? って所らしいんだが……」


「あぁ、あそこね。知ってるわ。地図で言うとこの辺りよ」


 ベッドに座る俺の横に自然とシャーリーが腰掛け、肩が触れるほど近寄ると、持っていた地図に指を差す。ふわりと漂う潮の香にも慣れたものだ。


「有名なのか?」


「なんというか昔気質な鍛冶職人って感じ? 仕事は丁寧で質もいいけど、その分値も張るから評価は五分五分。お金持ちにはいい店だけど、冒険者から見るとぼったくりって言われることもあるって感じかな。まぁ、貴族なら普通に払えるんでしょうね」


 気だるそうに言うシャーリーの機嫌は、あまり良くはなさそうだ。


「何かあったのか?」


「ううん。私も評判を聞いて話を聞きに行ったことがあるんだけど、やっぱ高いのよね。1番安い短剣でも魔法書が1冊買えるくらいはするよ?」


 金はある。そこは問題ないのだが、短剣で魔法書1冊分は正直言って高すぎる。

 魔法書は高価だ。安い物でも1冊金貨100枚前後はする。通常のロングソードが金貨30枚ほどだと考えると、その違いは言わずもがな。

 だが、一応今回は紹介されて来ている。だから安くしろとは言わないが、多少高くともそこで鎧の補修をしてもらおうと決めていた。

 街に鍛冶屋がどれだけあるのかは知らないが、窓から見える煙突の数からしても、相当数あることは予想できる。

 それを全て巡るのは億劫だし、何より素人目で見たところで鍛冶職人の良し悪しがわかるわけがない。ならば、バイスを信じるに限る。

 そうと決まれば今日のところはゆっくりと休み、明日からの行動に備えて早く休もうという提案に、皆は快く同意した。

 シャーリーもミアも。ついでに言うと従魔達も、風呂に入りたがっていたのである。

 というのも、体中がベトベトだからだ。長い航海に加え、白い悪魔なる魔物の所為で、海水をもろに浴びたのだ。

 航海中の真水は貴重であり、身体を拭くのが関の山。それでも俺はまだマシな方。ミアの長い髪はギシギシで、肌触りは過去最悪である。

 風呂付きの宿を選んだのは、この為と言っても過言ではないのだ。


「「絶対に覗いちゃダメだからね!」」


「はいはい……」


 脱衣所へと姿を消した2人。暫くすると、風呂から聞こえてくる笑い声は楽しそうで何より。

 冒険者用の安宿には風呂なんてついていないのが普通なのだが、この街もコット村と同様、温泉が湧き出ているのだ。穴掘り好きなドワーフらしいと言えばらしい。


「主。覗きに行かないのですか?」


「……まさかカガリからそう言われるとは思わなかったよ。俺って信用ないのか?」


「いや、そうではないです。ミアは間違いなく本心でしたが、シャーリー殿は嘘を付いていたので……」


「……は? 何が?」


「いえ、覗くなと言っていたじゃありませんか。それですけど……」


「覗いてもいいってこと?」


「他にどんな意味が?」


「……」


 ベッドに座り顎に手を当て思案する。その顔は真剣そのもの。ここまで真剣に悩むことは、そう滅多にあることじゃない。

 カガリが言うのだから、嘘ではないはず。ミアはシャーリーを覗くなという意味で言ったのならば本心だというのも頷ける。今更、自分の裸を恥ずかしがりはしないだろう。

 シャーリーは、カガリが嘘を見抜く力があることは知らないはず。ミアがそれをシャーリーに明かすとも思えない。となると、やはりカガリは間違っていないのか?

 だが、本当に覗いてしまってもいいのだろうか……。「覗くな」の言葉が嘘だとはいえ、それは「絶対に見に来い」という意味ではないはずだ。どっちでもいいけど覗かれちゃうのは仕方ないよね? くらいの感覚が妥当だろうと推測する。

 見られたくない気持ちもあるからこそ、釘を刺した可能性も否定はできない。

 仮に覗きに行ったとして、悲鳴でも上げられたらどうすればいい? カガリが覗いてもいいと言ったからと正直に言うのか?

 俺は嘘は言っていない。だが、それを2人が信じるかと言われると疑問が残る。この場面で俺とカガリ、どちらを信用するのかと言われれば、カガリの方が信用度は高いはず。

 カガリは、魔獣とはいえ女の子。故に人間に欲情することなどないだろう。となると、俺がカガリに濡れ衣を着せ、言い訳をしていると捉えられるのが妥当である。


 ――結論。


「覗かない!!」


「そうですか。でも言っている事とやっている事が逆なんですが?」


「――ッ!?」


 なんてことだ。ベッドに座って考え込んでいたはずなのに、俺はいつの間にか脱衣所の前にいたのである!


「もしや、瞬間移動!?」


「いや、自分で歩いていましたけど……」


 カガリからは、呆れたようなツッコミが入り、ワダツミとコクセイは笑いを堪えるのに必死だ。

 仕方がないのだ。覗きとはそれだけ勇気がいるもの。未成年ならまだしも、成人すればそれはまごうことなき犯罪である。

 俺はこう見えても彼女いない歴30年の大ベテラン。ヘタレと言われるかもしれないが、実際そうである。

 声を大にして言いたい。そんな度胸があれば、彼女の1人や2人出来ていただろうと。

 そう、俺には勇気が足りないのだ。今、それを見せる時なのではないだろうか。高鳴る鼓動は自分自身への鼓舞である。

 俺は勇気を振り絞り、脱衣所の扉に手を掛けた。


 そしてその扉が勢いよく開かれる。――だが、開けたのは俺ではなかった。


「どうしたの九条? 入るならどうぞ。空いたわよ?」


 そこに立っていたのは、上がりたてほかほかのシャーリー。頭を傾けタオルで髪をぱたぱたと乾かしている最中だ。すでに着替えも済ませ、後は寝るだけといった状態である。

 何と言えばいいのか。風呂上りというだけあって普段とは違い、白い肌はほんのりと紅く、どこか艶っぽく見えてしまうのは目の錯覚ではないだろう。

 それに見とれていると、シャーリーの後ろからミアがひょっこりと顔を出す。


「上がったから、おにーちゃんも入ってどーぞ?」


 ミアは……。うん。いつも通りだ。

 あーだこーだと迷っている内に時間切れになってしまった俺は、戸惑いながらも生返事を返すことしか出来ず、やはり自分はヘタレなんだと再認識しつつも、1人寂しく湯舟に浸かる。

 そんな俺を慰めてくれたのは、他でもない従魔達だ。

 面倒臭い主だと暗に言っているような気もするが、それにはそっと目を瞑り、潮風でゴワゴワになった従魔達を優しく洗い上げたのである。

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