第154話 デスクラウン

 ゴズは脂肪を撒き散らしながら、全速力でダンジョンを駆け降りる。


「ガハハ。バカめ! オレ様の”ラードスプラッシュ”の威力をとくと味わうがいい!」


 それはオーク族だけが使う事の出来るスキルだ。豊富に蓄えた自分の脂肪をまき散らすという荒業である。

 そもそも使用すると凄くお腹が減るので、大食らいのオークにとっては諸刃の剣のようなもの。その為使用頻度は極端に低く、知らない者が大半だ。

 追い付かれれば殺される。それだけゴズは必至であった。


(まさかあの人間がダンジョンマスターだったとは……。魔物の言葉を理解しているのも頷ける)


 ゴズは九条に心の中で礼を述べた。ダンジョンマスターを証明することが結果的にゴズの助けとなったのだから。


(やっと探し当てた。今も尚稼働している魔王様の創りし至高のダンジョン。ここにあるはずなのだ。魔王様の力の源が……)


 数か月前、魔王様の作り出した四天魔獣皇である一柱の封印が解かれた。その場所は86番と呼ばれていたが、残念ながらそのダンジョンは死んでいたのだ。

 ならば、どこか別のダンジョンから魔力が供給されたに違いなかった。四天魔獣皇の封印を解けるほどの膨大な魔力。それ以外には考えられない。

 オーク族は鼻がいい。それは魔力の流れまでも嗅ぎ取れるほど。

 ダンジョンは、地下深くにある龍脈と言われる魔力の通路で繋がっている。

 86番ダンジョンまで送られてきたであろう微細な魔力の流れを嗅ぎ当て、遂にゴズはこの場所を突き止めた。

 しかし、目の前に立ちはだかったのは封印されし扉。中に入れなければダンジョンが生きているのか、死んでいるのかも確認出来ない。

 途方に暮れ、諦めかけたその時、中から物凄い衝撃音が鳴り響いた。それは巨大な扉が震えるほど。

 それでゴズは確信した。このダンジョンは生きていると。

 幸い、このダンジョンにいたのはゴブリンと下級アンデッドだけ。ゴズは生活の拠点をこのダンジョンに移し、扉が内側から開くのを待っていたのである。


 そして、ついに目的の場所を見つけたのだ。

 今までとは違う豪華な金属製の扉。そこは王の間と呼ばれる場所である。

 まるでダンジョンの中だとは思えない空間。眼下に伸びるレッドカーペットの先には魔王様の玉座が置かれ、そこに鎮座していたのは王だけが被ることを許されている冠だ。


 『ダンジョンに眠る秘宝は数あれど、異質な冠には触れることなかれ。魔王の怒りを買うだろう。それが怒りの源であるのだから』


 これは魔物達に古くから伝わる伝承の1つだ。


 オーク族は豚の獣人。しかし、魔王側に付いた彼等は、魔物として扱われている。

 魔王亡き今もそれはなんら変わらず、人間と出会えば戦うことを余儀なくされる。

 オークは決して強い種族ではない。ゴズが小さな部族の長を任されるようになってから、どうすればもっと強くなれるのか考えていた時、ふとその伝承を思い出した。

 触れることさえ許されないのは、それが魔王の所有物であるからだ。だが、それはなにも冠に限ったことではない。

 となれば、冠には何か別の秘密が隠されているのではないかと考えた。

 怒りの源とは即ち魔王の力そのもの。それを見つけることが出来れば、魔王に匹敵する力を手に入れることが出来るかもしれない。

 それからはゴズは、数匹の仲間を連れて世界中を旅して回った。生きているダンジョンを探す為に。

 そして今、目の前にあるそれはゴズが探し追い求めていた物。魔王はもういないのだ。故に触れたところで怒りを買う事もない。

 後ろからは刻々と死が迫って来ている。試さない選択肢はなかった。

 ゴズは額に脂汗を滲ませながら、玉座に置かれた冠に恐る恐る触れた。


「……思った通りだ……」


 恐れていたことが起きることもなく、ひとまず安堵したゴズ。

 薄ら笑いを浮かべ、それを両手でゆっくりと持ち上げたその時、ようやく九条と2匹の魔獣が追い付いた。


「やめろ!」


 九条がゴズに止めるよう促したが、それがゴズには確信となった。

 九条が止めるということは、被られると困るということだ。人間がオークの心配をするはずがないのだから。


「やめるわけがないだろう。これこそがオレ様の追い求めていた物だ」


 ゴズは持っていた冠を天へと掲げ、頭の上に乗せたのだ。


「んー。実にしっくりくるぞ。まるでオレ様が被る為に作られたようではないか」


 オークには少し小さいであろうそれは少々不格好ではあるものの、ゴズは満足げに笑みを浮かべ、九条達を見下した。


「九条殿! 今ならまだれます!」


 白狐もコクセイも、その冠にはただならぬ気配を感じていた。九条が止めるほどだ。絶対に何かがある。

 しかし、九条は焦る2匹の毛を掴み、制止したのだ。

 それは痛みを感じるほど。いつもは優しく撫でてくれる九条が、毛を掴むことなどなかったからだ。

 九条がコクセイに乗っている時よりも更に強い力。それは、絶対に動くなという九条の意志の表れだった。


「いや、もう間に合わない。奴に近づくな……」


 次の瞬間、ドクンという心臓の鼓動のような音がダンジョン内に響き渡った。

 そして、それは始まったのだ。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ! なんだ! くッ! 外れない!? やめろ! やめてくれ!!」


 ゴズは冠を外そうと必死に藻掻いていた。しかし、それが外れる気配はない。

 九条も見るのは初めて。だが、どうなるかは知っていた。

 それはまるで小さなブラックホール。ゴズを中心に空気が渦を作り出すほど。

 頭に乗せた冠が、皮1枚残して中身を吸い上げていく。足の先から徐々に痩せ細りしなびていくその様子は、膨らませた風船の空気を抜いていくそれに酷似していた。


「あぁぁぁぁぁ! も……申し訳ございません魔王様! お許しを! おゆるしをぉぉぉぉ!!」


 ダンジョンに響き渡る断末魔。耳を塞ぐことも、目を逸らすことも許されないほどの、えも言えぬ恐怖感がその場を支配していた。

 恐らく1分と経たなかっただろう。全てが終わると元の静かなダンジョンへと戻り、そこに残されていたのは血だまりに浮かぶ無数の骨と、怪しい輝きを放つ呪いの冠。


「九条殿……。今のは……あれはなんだ!?」


「……あれはデスクラウン。このダンジョン唯一のトラップだ」


 それを被った者は魔力を吸われ、ダンジョンの糧となる呪いの冠。

 ダンジョンハートに蓄えられている九条の魔力、その上澄み部分にゴズの魔力がほんの少しだけ追加された。

 その色はほんのりと紅い。それは魔力と共に混入してしまった血液という名の不純物。


「お前達は絶対に被っちゃダメだぞ?」


「言われなくともわかっておるわ! あんなもの見せられて被るヤツがいるものか! たとえ九条殿の命令でも御免だ!」


「同感だ……」


 2匹とも震えていた。それは微々たるものだったが、毛を掴む九条の手にはしっかりと伝わっていたのだ。


「……あの時。キャラバンとかいう連中から我らを庇ってくれた時に、地下8層より下に降りるなと言ったのはこの為か……」


「ああ、それもある。……さて、ゴズの後処理は108番に任せるとして。そろそろ出て来てもいいんじゃないか?」


 九条が振り向き、声を掛けるも返事はない。

 その大きな柱の後ろにいるのはわかっている。コクセイと白狐を誤魔化すことは出来ないはず。

 柱の傍まで歩み寄りその裏を確認すると、そこには膝とおでこに擦り傷のある1匹のゴブリン。

 そいつは出てこなかったわけではなく、出てこれなかったのだ。

 ゴズの最後を見てしまった。その目は恐怖に染まり、腰を抜かしていたのだ。

 その震えた足で立ち上がろうと、必死に藻掻いていたのである。


「これでこのダンジョンの所有者が誰かわかっただろ? ゴズはもういない。お前達は自由だ。どこへでも好きな所へ行け」


 腰を抜かしていたゴブリンは激しく首を縦に振るも、やはり自力では立てない様子。

 九条は仕方なくその細腕を持ち上げ無理矢理に立たせると、ゴブリンはヨロヨロと弱々しく後退し、そのまま走り去って行った。


「九条殿。本当にいいのか?」


「まあ、大丈夫だろ。このダンジョンから出て行ってくれれば、後は俺の関知することじゃないしな」


 ゴズは死んだ。最初からそうするつもりだった。結果は何も変わらない。

 咄嗟の事とは言え、何故九条はデスクラウンを被ろうとしていたゴズを止めようとしたのか……。

 考えてはみたものの、その答えが出る事はなかった。


「108番。ゴズの後処理を頼む」


「はいはーい」


 緩い返事で現れたのは、このダンジョンを管理している精神体の108番だ。

 すぐに後処理に掛かるのかと思いきや、九条の前でニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」


「いえいえ、そうじゃなくてですね。今回は結構危なかったんじゃないですか? あんなオーク1体にここまで侵入を許したんですよ?」


 九条の顔が歪む。その言い方に気分を害するも、108番は何も間違ったことは言っていない。

 ゴズの狙いがデスクラウンだったから良かったものの、隠し通路の先、ダンジョンハートまで到達されていたらアウトだった。


「何が言いたい?」


「前も言いましたけど、護衛を召喚してはどうですか? 魔族がお嫌でしたら魔獣はどうですか? 今なら活きのいいヤツを紹介できますよ? でへへ……」


 言い方が何か胡散臭い。空中で手もみをしながら九条に擦り寄る108番は、何というか夜のお店の客引きのよう。


「マスターだって魔獣を飼い慣らしてますよね? もしかしたら同じ魔獣同士、お友達になれるかもしれませんよ?」


「だそうだ。どうする?」


「はッ、俺には友なぞ必要ないわ」


「同感です。どこの馬の骨ともわからない友なぞ、こちらから願い下げです」


「……だそうだ。残念だったな108番」


「えぇぇ、そんなぁ」


「じゃぁ俺達は帰るよ。何かあれば呼んでくれ」


「はぁーい……」


 落胆し、不貞腐れる108番は口を尖らせしょぼくれる。

 ダンジョンに護衛を置いておくという案は悪くないのだが、その分食い扶持が増えると思うと、九条は素直に首を縦に振れなかった。

 金銭的な問題ではない。今回の敗因は、不用意に封印の扉を開けてしまったことであり、ならば開けなければいいだけだ。

 封印を解けるほどの魔術師が無許可で立ち入るのは考えにくく、無理に護衛を置いておく必要もない。

 今までとは違い、呼ばれればすぐにコクセイに乗り、駆け付けることが出来るのだ。


「友達か……」


 ダンジョンからの帰り道。九条はぼそりと呟いた。

 108番はこのダンジョンに縛られ管理するだけの存在。数百年という長い時間を孤独と供に過ごして来たのだろう。

 九条は108番と最初に出会った時のことを思い出していた。ほんの少し手が触れただけで、まるで子供のように喜んでいた108番。


(もう少し、顔を出してやるか……)


 そんなことを考えながら、ぬるぬるの床を転ばぬよう九条達は慎重に帰路に就いたのだ。

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