第55話 形見

「コレの事だと思うんですけど、どうですか?」


 300年前の物と言われていた深緑色の魔法書をネストへと手渡す。

 深く溜息をついたネストは意を決してそれを開くと、ペラペラとページを捲り始め、真剣な眼差しで読みふける。

 その表情が、僅かながらに安堵を見せた。

 巻末に書かれていた消えかかりそうな文字。そこには著者としてバルザック・フォン・アンカースの名が記されていたからである。

 

「えぇ、確かにこれで間違いないわ」


「良かった……。今更ですけど、魔法書……勝手に読んでしまって申し訳ない」


「それはしょうがないわ。魔法職なんだもの、知識の探求は当然のこと。それに未開のダンジョンで発見した物は、発見者に所有権が認められるわ。この魔法書は紛れもなくあなたの物よ」


 そう言ってもらえて、少し救われた気がした。

 元の世界では落とし物でも勝手に使えば犯罪だ。

 頭ではわかっているのだが、どうしても前の世界での常識が抜けきらないのも事実ではあった。


「それにしても九条。良く売らずに持ってたな。普通なら読み終わった魔法書なんかすぐ売るだろ?」


 もうバイスは起き上がる気力もないのか、寝ながら顔だけをこちらに向けて話している。


「ホントそれ。九条には感謝したいくらいよ。売れば金貨1万枚は下らない国宝の魔法書よ? それを手放さずにいてくれたんだもの……」


「え? 1万枚!?」


「おっと、もう遅いわ! コレは私の物よ!」


「いや……。今から返せとはいいませんよ……」


 ネストは魔法書を大事そうに両手に抱え、感慨深げにそれを見つめていた。

 貴重な魔法書らしい。闇市にでも流れようものなら、見つけることは不可能に近いのだと言う。

 しかし、このダンジョンで見つけた物は死んで逝った者達の忘れ形見のようなものだ。借りはするが、売ったりはしない。

 今回ネストに譲るのは、親族だからである。

 あるべき場所へと帰るだけ。それこそ形見になりえる物だ。問題はないだろう。


「確かにそれだけのお金になるなら、危険なダンジョンに潜ってまで探す価値はありますね」


「いえ、違うわ」


 ネストの悲しそうな表情にハッとなった。

 失言である。親族の遺品をカネ目的などと言ってしまった事を恥じ、頭を下げた。


「配慮が足らず申し訳ない。遺族の形見ですもんね……」


 しかし、ネストはそれをやんわりと否定したのだ。


「確かに形見という意味もあるかもしれないけど、もっと別のことよ。……九条には教えてあげる。魔法書の由来とその使い道。これを見つけてくれたんだもの、気になるでしょ?」


「気にならないと言えば嘘になりますが、言いたくなければ無理に言わなくても……」


 その魔法書は既に俺の手を離れたのだ。それをどう使おうが、ネストの自由。

 確かに売っぱらうなどと言われたら残念に思うだろうが、そういう運命なのだと受け入れるつもりだった。


「私はこれでも貴族なの。ご先祖様……この魔法書の著者であるバルザックが当時の国王を助けたことによって爵位が与えられ、ウチの家は貴族を名乗ることが許された。そしてこの魔法書は国宝として扱われることとなったわ。バルザックの死後、国に寄贈するはずだった」


 ネストは悲壮感を漂わせながらも、少しずつ近寄って来る。


「それがあろうことか行方不明。この魔法書と共にね。それから一介の冒険者だったバルザックが、貴族に成り上がったのが許せない他の貴族達からの嫌がらせが始まった。それが今でも続いてる。侯爵だった爵位は子爵まで落ちた。それでも尚、他の貴族からの陰湿な嫌がらせは止まらない」


 俺とネストとの距離は30センチあるかどうかだ、それでもまだ近づいて来る。


「ちょ……近い……」


 迫真の表情に、後退りしながら話を聞き続ける他ない。


「同時にこの魔法書を貴族たちは血眼になって探しているわ。国宝たる魔法書を探し出すことが出来れば名も上がるでしょうしね。懸賞金もかかってるし、他のパーティには別の貴族の息がかかってるところもある。だから誰よりも先に見つけたかった……」


 ネストの魔法書を持つ手は震えていた。

 話の内容は徐々にヒートアップしていくが、背中には柱。逃げ道はない。


「私は別に貴族なんかにこだわりはない。でもこれがあれば最低限のメンツは保てる。領民の皆を、家を――家族を守れるの!」


 そして最後にはネストと密着――まではしなかったものの、ほぼゼロ距離。

 俺の顔を見上げるネストの目には大粒の涙が零れ落ちそうだ。

 正直に言って、こちらの世界に来てまだ日も浅い俺にとっては、貴族だとか爵位だとかはよくわからないが、涙ながらに訴えるネストが嘘を言っているようには見えなかった。


「わかりました! わかりましたから、少し離れてもらえると……」


 ようやく自分の状況を理解したのか、ネストは頬を赤らめてその場から数歩下がり俯いた。


「九条。ネストの言っていることは本当だ。俺も貴族出身だからわかるが、貴族同士の確執は深い。あいつ等は名を上げれるなら他人を蹴落とすことなんて、なんとも思っちゃいないんだ」


「……バイスさんの家も……ですか?」


 急な返しに目を丸くしたバイスだったが、大きく笑い声を上げた。


「ハッハッハ……。確かに貴族なんて全部同じに見えるのかもな。でも、ウチはネストの家よりももっと位は低い男爵。貴族の中では一番下だ。ネストとは幼馴染というのもあって家同士の付き合いは長いが、何かあったら真っ先に潰されるのはウチの方だよ」


 ゲラゲラと笑っていたバイスも徐々にそのトーンは下がり、暗い天井を遠い目で見つめていた。

 バイスがネストの探し物を知っているのは、そういう経緯があったからなのだろう。

 自分だけではなく、皆なにかしらの苦労があるのだろうと考えさせられる。


「それよりもこれからどうするんです? その帰還水晶で帰るんですか?」


「いや、帰還水晶で帰るとなると、出口でフィリップ達と会うことになるだろう。そうするとネストのことがバレる。徒歩で脱出したことにして、コット村に1度戻るつもりだ。それで九条。お前に頼みがある」


 バイスはやっと起き上がると地面に胡坐をかき、申し訳なさそうに頭を下げた。


「九条の担当がネストを治療したと言うことにしておいてくれないだろうか?」


 治癒術を使える人に口裏を合わせてほしいと言う意図は理解出来るが、ミアにはあまり迷惑をかけたくない。

 死霊術に関しては話しても問題はないが、ギルドの出方がわからない以上、ダンジョンの秘密は明かせないのだ。

 それを隠すにしても、結局決めるのは本人次第である。


「うーん……。ミアに聞いてみないと何とも……」


「まぁそうだろうな。だから九条からも頼んでくれないか?」


「それは構いませんが、強制はしませんよ? 断られたら諦めてください」


「あぁ、十分だ。助かるよ」

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