第21話 緊急事態
ミアはカガリに振り落とされまいと踏ん張っていた。
いざとなれば九条と共に戦うつもりであったが、カガリが急に走り始めたのに驚いてしまったのだ。
カガリは風のように木々の間を駆け抜け、九条との距離は瞬く間に離れていく。
「カガリ、止まって! お願い。おにーちゃんが!」
ミアの必死の訴えにもかかわらず、カガリが足を止めることはなかった。
普通の人なら村まで2時間はかかるであろう山道を、僅か数十分で辿り着く速度だ。途中下車は許されない。
カガリは村に近づくと、ようやくその足を止めた。
ミアは「なんで止まってくれなかったの!?」と、喉元まで上がっていた言葉を飲み込んだ。
わかっていたのだ。カガリは逃げたのではなく、九条の指示に従っただけ。しかし、それでも目からは涙が溢れる。
カガリはミアを降ろすと、鼻先でぐいぐいとその背中を押した。カガリは村に入れないのだ。
その姿は魔獣と呼ばれるに相応しく、知らぬ者が見れば明確な敵意を向けられて当然。人に仇成す存在である。
(まずは報告しないと……。それから、おにーちゃんを助けに行けばいい……)
ミアは服の袖で涙をぬぐい、震えた声でカガリに「ありがとう」と言い残すと、村へと駆けた。
「やぁミア。今日は九条と一緒じゃないのか?」
物見櫓で見張りをしていたカイルに声を掛けられるも、ミアはそれに目もくれず、一目散にギルドを目指す。
そしてギルドの扉を勢いよく開け放つと、突然の物音に目を見張るレベッカ。
「なんだミア。そんなに急いで……」
レベッカはそこまで言って話すのをやめた。ミアのその鬼気迫る表情にただ事ではない気配を察したのだ。
ミアがギルドの階段を駆け上がると、カウンターではブルータスがソフィアに依頼完了の報告をしていた。
それを邪魔してはいけないと知っていて、横から無理矢理割り込んだのだ。
「支部長、助けて! おにーちゃんが……」
「えっ、なんですか? 今ブルータスさんの依頼報告を聞いてるので、ちょっと待って……」
「そんなの後でいいから! 早く!」
ソフィアとブルータスはお互いの顔を見合わせる。
「はぁ。俺は後でいいから、先にお嬢ちゃんを相手してやれ」
溜息をつきながらも譲ってくれたブルータスに、ミアは頭を下げた。
「ありがとうございます」
ほんの少しの間ではあったが、そのおかげでミアは落ち着きを取り戻し、ソフィアに全てを報告した。
『炭鉱の崩落調査』の依頼を受ける為に炭鉱跡に下見に行ったら、盗賊がいたこと。それに九条が捕らえられてしまったこと。だから早く助けを呼んでくれ……と。
正直焦っていて、ミアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。それでもしっかりと報告したのだ。
「えぇ! じゃぁ九条さんは!?」
「わかんない……。見つかった瞬間、おにーちゃんは私だけ逃がしてくれたの。だから早く!」
ソフィアは焦るのも無理もない。まさかこんな小さな村で緊急の出来事が起こるとは誰が予想するだろうか。
深く深呼吸したソフィアは、真剣な面持ちでカウンターの下から辞書と見紛うほどの厚さのマニュアルを取り出し、ペラペラと急ぎページをめくった。
その手が止まったのは『悪事を働く可能性のある集団の違法な施設の無断使用への対応』という項目。
まずは本部への連絡。冒険者の選定と確保。足りなければ応援要請。その後、近隣重要施設への連絡と領主又は管理者への報告。必要があれば避難とその誘導……。
「ミアは村長さんと村の自治会に連絡を。私は本部に応援要請をします」
「はい!」
返事とともに、一気に階段を駆け下りていくミア。
「ブルータスさんすいません。緊急の……って、……あれ?」
後ろの席に座っていたであろうブルータスは、何時の間にかいなくなっていた。
ミアは村長の家に行き、昔の炭鉱が盗賊のアジトになっていた事を説明すると、村長はすぐに村の大人達を集め、対応を協議することを約束してくれた。
そして「避難の必要があればまた来ます」とだけ言い残し、ミアがギルドへ舞い戻ると、丁度ソフィアが
「どうなりましたか!?」
「ひとまず報告と応援要請はしました。今回は九条さんに被害が出ているかもしれないので、調査隊ではなく討伐隊になりそうです。めどがつき次第こちらに連絡が来る手はずになっていますので、後はしばらく待つしかないですね」
「そうですか……」
「大丈夫ですよ! 九条さんは強いですから」
そんな気休めで、ミアの不安が解消されるはずもないが、ミアだってギルド職員だ。緊急案件に対するギルドの行動は迅速だと頭では理解している。
ミアが王都であるスタッグのギルドに在籍していた時、緊急案件の討伐依頼が入ってきた事があった。
その時は1時間ほどで冒険者メンバーがパーティを組み、2時間後にはブリーフィングを終え討伐に出発したのだ。
(今回もそうなるはず……)
ミアは九条の下へと飛んでいきたいのを我慢し、ギルドからの連絡を今か今かと待っていた。
しかし、3時間待っても連絡は来なかった。
「お願い支部長。もう一度、もう一度だけ本部に連絡を……」
「ですが……」
涙ながらに訴えるミア。ソフィアも何とかしてはあげたいのだが、それが必ずしもいい結果になるとは限らない。
ギルド本部から見れば、コット村のような田舎ギルドの優先度は限りなく低い。
相手の機嫌を損ねたら、緊急申請を取り消されてしまうこともあり得る。
そんな中、ようやく本部からの連絡が入った。
「はい、コット村支部長ソフィアです。……はい……はい……えぇ! 3日ですか!? 要救助者がいるんですよ!? ……それはわかっていますが……。いえ……規模はわかりません……。 はい……」
結果を聞かなくてもわかる応答。早くて3日。どう考えても遅すぎる。
それを聞いた時、ミアはギルドを飛び出していた。
(私だけでも、おにーちゃんの所に……)
「カガリ!」
それを聞きつけ、森の中から姿を現したのは1匹の魔獣。
「報告はおしまい! お願い。おにーちゃんの所に戻って!」
カガリはミアを乗せると、疾風の如く駆け出した。
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