第373話 広がる綿花畑

 布工場からしばらく馬車を走らせると、畑一面に花の蕾を風に揺らしている。

 ほんのり色づいていて、開花をまつばかりのようだ。



「すごいわね!これ、全部綿花なの?」

「あぁ、ここから見えるのはほぼ綿花だと聞いている。すごいだろ?」



 得意げに話すノクトを笑い、私は蕾が揺れる畑に見入ってしまう。

 これ程に領地が誇れるものがありながら、何故、ダドリー男爵はしなくてもいい方向へ舵を切ってしまったのか、未だに残念でならない。

 しかし、先ほどの布工場といい、この綿花農家といい、私には宝の宝庫にしか見えなかった。



「アンナリーゼ様、今日案内するところは、この領地で一番大きな農家です。

 他にも点在しているようですので、それらをまとめる必要があるかと……

 同じ産地でも農家によって品質がバラバラで……」

「資金があるところは肥料も行き届いていて、そうじゃないところは自然の力に

 頼っているってところかしら?」

「そのようですね。なので、均一化を測る必要があるのではと思っています」

「そうね……必要かもしれないわ。でも、粗悪品だと言った布でさえ、アンバー領

 では買えない程の品質だったわよね?」

「えぇ、そうでしたね……それを考えると……今のままでもいいのでしょうか?」

「でも、農家の実入りは多いにこしたことはないわね。

 農作物は天候に左右されるうえ、害虫やらなんやらでうまく育たないこともある

 から、それで、第一次産業である農家が減ってしまってはこの国は傾くばかり

 なのよね。次代を育てるためにも、農家に資金があるに越したことはない。

 働けば、きちんとした対価のもと、農業でも食べていけるという確証が欲しい

 ところね!」



 私は馬車の外を眺める。

 すると、畑の真ん中で、馬車に気付いた領地の人々が手を振ってくれる。

 それが嬉しくて、私も手を振り返す。



 ところどころで、あわてんぼうの花が咲いているのが見え、長閑な風景に心癒される。



「もうすぐ、つくぞ!」

「わかった!」



 すでにお尻のあたりがむずむずとしてきていて、馬車が停まるのを今か今かと待ちわびているところだ。

 そんな様子にニコライは、微笑む。



「心配しなくても、綿花畑は逃げたりしませんから!」

「そ……そうね。少し、落ち着くわ!」



 それでもソワソワとしてしまう私に一緒に馬車に乗っているニコライとデリアは苦笑いをしているのである。



「そうだ、ニコライ、屋敷に帰ったらお願いしたいことがあるから、寄って行って

 くれるかしら?」

「今では、ダメですか?」

「うん、ちょっとね……」

「わかりました、屋敷に戻ったら、伺わせてもらいます」



 ちょうど、そのときに馬車が停まる。



「お姫様、どうぞ着きましたよ!」



 馬車の中の会話が聞こえていたのか、ノクトがからかいながら私を馬車から下ろしてくれた。



 一面に広がる綿花畑を前に大きく深呼吸をする。

 花が咲き誇った景色を浮かべ、私も満面の笑みで呼吸を整えた。

 今まで、ずっと建物の中だったのだ。

 こんなふうに外で新鮮な空気をめいっぱいすえることに喜びを感じる。


 塞ぎがちだった私はホッとした気持ちになる。



「花が咲いたら、綺麗でしょうね!」

「そうね!また、その頃にここに足を運びたいものだわ!

 アンジェラやジョージア様にジョージを連れて……ピクニックもいいわね!」

「そのときは、美味しいお菓子もご用意しましょう!

 ノクトが持ってきてくれた砂糖もまだたくさんありますから!」



 私はデリアに微笑む。



「これは、ニコライさん!」

「コットンさん、こんにちは!」



 若い男の人と話始めるニコライを私はぼんやり眺めている。

 きっと、コットンと呼ばれた彼はこの農家の人なのだろう。



「今日は、どうされたんですか?」

「先日言ってたうちの商会の店主を連れてきました!会っていただけます?」

「あぁ、まさかこんな辺鄙なところまで来てくれたのかい?

 それで、どの人だい?それらしい男性は来ていないようだが……」



 ニコライはコットンの言い様に苦笑いをして訂正していく。



「うちの商会の店主は女性なのですよ!紹介しますね!」

「なんだって?女性が店主?」

「えぇ、女性だと何か問題でもあるかしら?」



 私が話に割って入ると怪訝そうにこちらを見てきた。

 上から下まで値踏みするように見られる。

 その感覚は久しぶりで、クスっと笑ってしまった。



「アンナ様、こちら、綿花農家のコットンです。この領地で一番大きな農家を営んで

 います。

 コットンさん、こちら、店主のアンナ様です。若いですが、手腕は確かですよ!」

「初めまして、コットンさん。今日は見学させていただけると聞いてきたの

 だけど……その表情じゃ無理かしら?」

「いえ、正直驚いただけです。店主が女性だということと、俺より若いということ。

 それと、妊婦がこんなところまでくるなんてと」



 そうと私はいい、右手を差し出す。

 歓迎されていないのであれば、手は取らないだろう。でも、そうではなかったようで、私の手を握ってくれる。



「綺麗な手だと思っていたが……このタコのようなものはなんだ?」

「それは、剣ダコね。私、剣術を嗜んでいるから!」

「嗜む程度ではなかろう……公国の近衛の誰より強いと聞いたことがあるぞ?」



 ノクトが小さくぼやいているのが聞こえたのか、多少コットンが後ろへと下がる。



「怖くないわよ!私守る者のために剣は抜くけど、それ以外は手をかけたりしない

 から」



 ニッコリとコットンに笑いかけると、さらに後ずさっていくのはなんでだろう……少し悲しくなってきた。



「ただのじゃじゃ馬姫さんなだけだから、気にせず付き合ってやってくれ!」



 ノクトの『じゃじゃ馬姫さん』で片付くあたり、どうなのか?と思わなくもなかったが、さっきまで後ずさりしていたコットンも普通にしてくれたので、ちょっとだけホッとする。



「それより、この綿花畑を案内してほしいわ!」

「あの、その身重で歩かれて大丈夫なのです?」

「問題ないと思うけど……最近、ずっと籠りっぱなしだったから、主治医にそろ

 そろ無理のない程度に動くよう言われそうよ!その主治医もどこかへ飛んで

 行ってしまっていないのだけど……」



 呆れ気味に言うと、そうですかと苦笑いのコットン。



「では、こちらに……」



 私の歩みに合わせて、ゆっくり歩いてくれる。

 気を使ってもらって申し訳なさもあるが、やはり自然の中を歩くと気分もいい。



「アンナ様、そんなに急がなくても大丈夫ですよ!」



 デリアに声をかけられたとしても、逸る気持ちは抑えられそうにない。



「はぁ、やっぱり私は、お日様の下で動き回っていたいわ!」

「旦那が聞いたら、泣くぞ?」

「泣かないわよ!私の好きにさせてくれるもの!」



 ノクトと軽く話をしていると、コットンとニコライはこそこそ話をしているのが聞こえてきた。

 ただ、何を話しているのかまでは、聞こえなかったので、ほっておくことにした。



「ねぇ、コットンさん!」

「あっ!はい。なんでしょう?」

「綿花が咲いたときって、やっぱり綺麗なのかしら?」

「えぇ、見事なものですよ!少し時期が早かったようですので、あと1ヶ月も

 すれば、ここいら一面綿花の花で溢れかえります!」

「それ、いつの日にか、旦那様と子供たちを連れて見に来たいわ!

 その頃、お邪魔してもいいかしら?」

「えぇ、もちろんです!そのときには、ぜひ、あちらの広場をお使いください。

 少し小高くなっていて、大きな木もあるので木陰もできますから!」

「本当ね!今から、楽しみだわ!」



 来年を思い浮かべて、私の胸は躍るようだ。



 一頻り、外の綿花畑を歩いた後は、商談の話へとなる。

 もちろん、工場へ卸す話をするのだが……まだ、工場については、アンバー公爵のものではないので、先にこちらを押さえてもという気持ちにはなる。



「綿花農業って実際問題、どんな感じ?」

「どんなと言いますと、もうかっているか?ってことでしょうか?」

「うん、そう。今って、領主主導の事業ではないのよね?」

「そうですね……ダドリー男爵には、特産品になると進言しましたが、相手に

 されず、理解されませんでした。

 ただ、そのダドリー男爵を処刑したアンバー公爵が、私たちの農業に興味を

 示すとはとても思いにくくて……

 男爵の娘であったソフィア様をとも聞いていますし……」

「アンバー公爵には、あまりいい感情は持てないかしら?」

「公爵様だけではありません。貴族というものにあまり期待をしていないだけです。

 すみません、言葉が過ぎました……」

「いいのよ!私は貴族相手の商売を1番に、領民たちにも手の届きやすい価格での

 服も用意したいと思っているの。ここの綿花は高品質だから……いい取引が

 できるといいなと思っているのだけど」

「あの、お店の名前を聞いてもいいでしょうか?」



 私は、迷った。

 領地名の入った商店名であるのだ。それを売りにしたいと思ってつけていた節もあるのだが、正直打ち解けてもらえるのかすらわからない。

 ノクトとニコライをちらりと見ると、二人とも頷いている。

 私は意を決して商店名を打ち明けることにした。



「えぇ、いいわ。お店の名前は、『ハニーアンバー』。アンバー領のお店であり、

 公爵が店主の店よ!」

「えっ!公爵が?っていうことは、あなたが、アンバー公爵様でしたか?」



 驚きとともに、今、愚痴を言った相手が、愚痴の先にいる貴族であり公爵であることに、コットンは青ざめた。

 私は、微笑んでおく。



「そうね、私がアンバー公爵。アンナリーゼ・トロン・アンバーです。

 ごめんね、騙したみたいで……私、この領地では嫌われているようだった

 から……」



 それだけいうと、コットンが言葉を選んでいるのがわかる。



「発言、よろしいでしょうか?」

「えぇ、構わなくてよ!」

「今日は、どうしてこちらに?」

「ダドリー男爵領は、私の領地となるのよ。そのため、今後の事業に関しての

 視察ね。ずっと屋敷にいたから……気晴らしも込めて」

「あの……この領地はどうでしたか?」

「うーん、おもしろいと思ったわ!ハニーアンバーというお店は、領地での特産品

 を売るためのお店なの。

 そのために、アンバー領では領民一丸となって働いてくれているの。

 ここでは、私は受け入れられないかもしれないけど……この領地の特産とする

 ための綿花・養蚕・布工場は傘下に入ってくれると嬉しいかなって思っている

 ところ。男爵も目をつけてはいたけど、大々的に打って出ることができなかった

 のであれば、私が領地運営の一環として拾い上げてもいいと思っているところよ!」



 私の言葉に目をぱちくりさせているコットン。

 領主自らが、こんな辺鄙なところまで来て夢を語ることすら珍しいのだろう。



「それじゃあ、そろそろお暇するわ!また、会えることを願っているわね!

 さようなら!」



 ソファから立ち上がり、私は馬車に乗り込む。

 今日は、近くの宿に泊まることになっているので、そちらに足を運ぶのであった。

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