第五話
ラプサンスーチョンとザッハトルテで一息つき、シルフさんが口を開いた。
「
目を伏せてか細い声で話すシルフさんの声は、今にも泣いてしまいそうなほど震えていた。美津さんは少し首をかしげて、「祖父は、貴女が後悔を長く引きずることを気にしていたんです」と言って小さく微笑んでいた。
美津さんはそれから木陰で薄く陰った窓の外を眺める。
「あ、彼は、気づいていたの……?」
ボッと音を立ててしまいそうなくらい、シルフさんは顔を真っ赤に染めた。
「むしろ気づかない方がおかしいんですよね……。祖父はずいぶんと鈍い方ですけ
ど、それでも気づいたくらいですから」
「霙は察しが良すぎて、逆にそれを無視するタイプだがな……」
美津さんがからかうようにシルフさんに微笑みを向ける。その発言に、ハルジオンさんがフンと鼻息をついた。美津さんはそれにきょとんとして、「そうですかね」と首をかしげていた。
確かに、美津さんはどことなく察しが良い方だと思う。
「ま、それは置いといて、お前はいつまでここにいるつもりだ」
ハルジオンさんは、長い脚を組みなおし紅茶をすすった。それから不機嫌そうな視線をシルフさんに送っていた。
シルフさんは「あ」ととぼけたような声を出して、それから考えていなかったとでも言うように苦笑を浮かべた。ハルジオンさんはそれを察したらしく、眉根に深いしわを刻んだ。
「まぁ、私はハルジオンのもとにいくらでも滞在してもいいと思いますよ。アイダ様
の依頼が無事完遂できれば……」
「おいっ……」
「いつまでもいるわけではないんですから、あまりカッカしないでください。アイダ
様は、貴方が悲嘆にくれ続けることによる嵐が吹き荒れることを避けたいんです。
今は、ただの強風で済んでいますけれどね」
美津さんは淡々とシルフさんに告げる。シルフさんは「そうなのね……」と呟いて、胸元で白い手を組んだ。
「じゃあ、外の強風は……」
「はい、シルフさんが祖父の死を嘆き、感情が不安定なために起こる強風です」
美津さんは人差し指をぴんと立てて、俺のつぶやきに答えた。
「ちなみに、他の精霊も同じです。山火事が収まらなかったり、立て続けに土砂崩れ
や地震が起こったり、海や川が洪水をおこしたり……場合によりますけれど」
と、言い終えてふうッと彼女は一息つき、ティーカップに残った少しの滴を飲み切った。
その光景をひとしきり眺めて、シルフさんは沈んだようなため息をついた。
「……ねぇ、霙ちゃん。私、どうすればいいのかしら」
「……私に聞くんですか?」
「え、……まぁ、そうよね。自分のことだもの、……」
シルフさんは美津さんの純粋な疑問の言葉に、困ったようにも寂しそうにも見える表情を浮かべた。それから自分の手の両掌を合わせて、ぎゅっと目をつむっていた。それを見つめていた美津さんはすっと静かに立ち上がり、俺に目配せをする。
「
「え? うん、わかった」
あっさりと告げられ、俺はきょとんとしながらも慌てて立ち上がる。
美津さんはすぐに持ってきていた大きめのリュックサックを背負い、ハルジオンさんたちと二、三言話して、ハルジオンさんの住処を後にした。俺は美津さんの隣を歩く。
「シルフさん、大丈夫なの……?」
俺が聞くと、美津さんはこちらを一瞬向いて首を傾げた。
「シルフ様は当然のことを理解していないのです」
話をそらされたのかと思いつつも、彼女の言葉を不思議に思い「当然のこと?」と首を傾げた。すると美津さんは顎を押さえて、「人間の寿命の話です」と言った。
「人間の大半は百年も生きることはできません」
「……うん、それはそうかも」
「はい。しかし、人ならざる者たちは寿命が存在しないのです。だから、人間の寿命
など彼らに比べれば塵に等しい。なので、たいてい人ならざる者たちは人間好きで
もありますが、同時に強固な執着は持ちません。割り切っているからです」
「……でも、シルフさんは割り切れていなかった?」
美津さんは微笑みを浮かべて、「正解です」と言った。
「彼女は、薫風のごとく気ままに旅をすることを好みますが、人間との関わりはほと
んどありません。なにせ、視えない人間が多数ですから。長年彼女が旅をしてきた
中で、彼女が対話で来たのはどうやら祖父が初めてのようで……、故に彼女は恋心
を抱き、祖父亡き今も悲嘆に暮れている」
彼女は風にあおられる長い髪の毛を押さえた。大丈夫かと俺が声をかけようとした途端、彼女の歩が止まった。
「……っ」
うつむいた彼女の頬に多量の汗が噴き出ては、ぽたぽたと落ちていく。何かがおかしいのは俺から見ても一目瞭然であった。俺はしゃがみ込んでしまった美津さんのそばに膝をつく。
「美津さん、どうしたの」
「……ぃ、いいえ、何でもありません」
美津さんの肩に触れ、尋ねる。美津さんは少し肩を揺らし、力なく首を振った。しかし、どう見ても大丈夫と言える状況ではなかった。何度も声をかけて、美津さんが一瞬だけ顔を上げた。
ガタガタと震えながら、眉根を寄せている。
その瞳は、ふわふわと淡い光を宿し、十字架のような線が刻まれていた。色も、いつものやや薄いあずき色ではない。爬虫類のような金色だ。
「顔色が……、絶対に大丈夫じゃないだろ」
真っ青どころか、石膏像のように白い顔に動揺しながらも呟く。美津さんの瞳は焦点があっていないのか、仕切りなく泳いでいた。しかし、急に力を失ったかのようにふっと俺の方へ倒れた。
息が浅く、その手は氷のように冷たかった。
「み、美津さん……?」
ピクリとも反応が返ってこない。
――あの目が原因なのか……?
ぐるぐると思考し始めたらきりがなかった。俺は首を振り、彼女を抱える。生憎大きいリュックサックの中身は不思議なほど軽かった。俺は彼女の喫茶店へと全速力で駆け出した。
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