第四話
零下の表情を浮かべる
「嬢、直接それと接触したか?」
戻ってきた早々、そう問いかけられた美津さんは何度か瞬きをする。
「それ」
「神父に憑いていた、それだ」
美津さんは緑雀さんの問いに首を振り、俺たちに温かい紅茶を差し出した。俺たちはそれを受け取り、各々ティーカップに口を付けた。
「少なくとも、深部にまで潜っていると触れられませんね」
「潜る……?」
美津さんの言葉に首をかしげる。
「はい、ハインリヒさんのように見えるよう外部にとりついているのは潜っていない
状態です。優造さんの場合、肉体に入られているので潜っていると示しているだけ
です」
「なるほど、深部ってことは体内の臓器の部分まで潜っているってことになるのか」
「正解ですね。ただ、妖怪の場合肉体にとり憑くのは少ないので、精神のほうに憑い
ているんでしょう」
俺は紅茶を一口飲んで想像する。肉体に憑くようなものはおそらく病気のようなもので、精神に憑くのは感情的な憂いなどを示しているのだろうかと。それを伝えると、美津さんは「間違ってはいません」と言った。
「着眼点は悪くないですが、肉体に憑くものには人喰いもいますから。しかし、精神
に憑くものだと少し厄介なんですよね。本人に関係なく、それらは死に導いたりす
るので……」
「死に導く……」
「そうだな。その神父とやらも、そちらのものに憑かれているのだろうな」
美津さんの説明に、緑雀さんは頷いた。そちらのものとは、死へ導く類の何かを示しているのだろう。
「精神に憑くとは言うが、洗脳に近い部分もあるからなぁ」
ゾッと肝の冷える思いになる。緑雀さんはずいぶんと客観的に述べているようだが、その内容はどこまでも現実味のないSF映画のようだった。とはいえ、それに美津さんが頷くのでそれが嘘ではないのだと実感させられる。
俺は紅茶一口すすり、乾いた口の中を潤した。すると、美津さんが少しハッとして眉を下げた。
「あ、怖かったですよね。ごめんなさい」
そう言ったので、俺は少し焦りつつ首を振った。
「い、いや、怖いというか、なんというか」
「はは、現実がないから映画みたいなグロテスクな描写が頭をよぎるんだろ」
形容しがたい言葉を、緑雀さんが代弁してくれる。すると、美津さんは苦笑して「そこまでグロテスクな状況は滅多にないですよ」と言った。――滅多に。必ずしもないというわけではないのだな。
すると、緑雀さんはけらけらと笑いだした。
「まぁ、今回遭遇したのは滅多にない方だろ、嬢?」
美津さんが動きを止めた。
「ええ、そうでしょうね。おそらく、
「うんうん、匂いでそれくらいわかったよ」
緑雀さんは薄ら笑いを浮かべ、足を組んだ。ただ重々しい空気を感じるばかりで、俺はついていけない。イツキとは、いったい何なのだろうか。
「あの、イツキって……」
美津さんは俺の問いにどうこたえたものかと悩んでいるのか、眉根を寄せた。すると、緑雀さんが紅茶を飲み干し、にこっり笑って答えてくれる。
「縊鬼ってのは、
人に取り憑いては首をくくらせてしまうのだ。いわゆる、死神でもある」
「それって、自殺じゃ……」
緑雀さんは、さあッと青ざめた俺と対照に笑みを浮かべていた。まるで話の重大さを理解していないように。
美津さんはそんな緑雀さんを止めるように、彼にもう一杯の紅茶を差し出す。俺はグルグルと考え、――それが彼らの言う通りなら少なくとも優造さんは近いうちに――。初めて、彼女と遭遇するもので怖いと感じた。
「
き寄せられず、非常に無害に過ごしていますから……」
なだめるように言われるが、論点が少しずれているような気がする。俺は美津さんに視線をやる。
「同じ性質ってことは、優造さんもそうだってことなのか……?」
俺がそう聞くと、美津さんは頷いた。それから何かを告げようとするのだが、からころと誰かが入店してきてしまった。俺たちはそろって入り口に視線を向けた。そこには、黒髪の男がいた。時代錯誤にも彼岸花のついた真っ黒な着物を着て、平べったいカンカン帽をかぶっていた。瞳は穏やかそうな緑色で、不思議な雰囲気を放っている。
「おや、緑雀がおいでか」
その人は杖をつき、こちらへ歩いてくる。それから緑雀さんの隣へ腰かける。
「隠岐くん、彼は
「えっ」
美津さんに紹介され、驚愕していると聊斎と呼ばれた彼はこちらを向いた。それから穏やかに笑みを浮かべて「こんにちは」と言った。俺も彼に
「うれしいなぁ、人間と話せるのは。見たか嬢、挨拶を返してくれた」
嬉しがる姿は子供のようで、聞いた鬼の話とは少し違った。
しかし、よくよく彼の姿を見ると、首を一周するようにうっすらと茨のような傷跡があった。
「これが気になるのか? これは古傷だから痛まないよ」
聊斎さんは美津さんに差し出されたコーヒーを嬉しそうに受け取りながら、そう言った。俺は見過ぎてしまったとハッとして、彼に謝るも「気にするな」の一点張りであった。
「ところで、嬢。何やら洋風の結界の中に俺の同族がいるようだったぞ」
「洋風の結界、……?」
「何だったか……、チャージだったかな?」
「あぁ、
曖昧な英語を話す聊斎さんは、「そうだったな」と恥ずかしそうにコーヒーをすすっていた。
「あれは、もうじきだぞ。一週間以内には解決したほうが良い」
落ち着いてはいるが、美津さんの表情は曇っていた。焦りとも、悲しみともつかないものだった。
それから、時間も遅くなったのもあって、俺は家に帰った。今は得体の知れない何かが、病のように人の命を犯すことへの不安が大きかった。明日にでも、美津さんにどうするのか聞いてみよう。
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