第一話
「あ~、
俺の隣にいるそれを見て、
俺は首を傾げた。聞いたことはあるが、どういうものなのか詳しくは知らなかったのだ。
「猫又は狂犬病にかかった犬という説もありますが、一応妖怪なんです。基本的には
尾が二つ以上ある猫の妖怪の総称です。ものによってはイノシシやライオンなどの
大きさであると記述されてますけど、そういうのは滅多にお目にかかれませんか
ら」
そう言った美津さんは少し残念そうな表情をしていた。それから俺が昨日拾った三毛猫の猫又に美津さんは視線をやる。その猫又はピクリとフードに隠された猫の耳を動かした。
それから、美津さんに近づきスンスンと鼻を鳴らしている。
確か、あれは猫の中ではあいさつの類だった気がする。美津さんは微笑ましそうに自分の周りをぐるぐるする猫又を見ていた。
「猫又さん、名前は言えますか?」
「うん、ユキチ」
「そう、ユキチさんですか」
その猫又――ユキチの名前を聞いて一万円札を思い浮かべる。あれに印刷されている人もユキチだ、福沢諭吉。
よくできましたというように、美津さんはユキチの頭を撫でた。流石に普通のお客さんがいるので、無慈悲にもそのフードを外したりはしない。まぁ、客と言っても今会計を済ませて帰って行ったのだが。それから、美津さんは俺に視線を向け眉を下げた。
「んー、この時期ですからねぇ」
美津さんはほかにお客さんが来るのを出入り口をチラリと見て気にしながら、ううんと唸る。
この時期だと、何がいけないのだろうか。もう少しで五月に差し掛かり、天気も非常に良好になっている。
「この時期だと、何かあるのか?」
唸っている美津さんに問いかけると、美津さんは少しハッとしておずおずと頷いた。
「ええ。この時期は、本格的に暖かくなってきますから猫又がよく集まるんです。い
わゆる猫集会的な……」
「猫集会は別にいいんじゃないの?」
「集会だけならいいんですけど、やはり元は獣であった故かナワバリ意識が強くてい
さかいが起こるんです。その、この街には猫又の頭領が二人ほどいて、普通の猫た
ちもそのどちらかの派閥に所属していたりするんです」
「なるほど、普通の猫にも被害が出るんだ……」
美津さんは俺の言葉にうなずいた。
どうやら、猫又の二つの派閥の争いは極めて激しく、四月下旬から梅雨直前まで続くそうだ。それから、九月から十月にも同じくナワバリ争いが始まるのだとか。
「それに、過激なものだと山奥の道路標識が折れていたりとあったらしくて。その翌
日は運よく土砂降りで、そのせいだろうってなりましたけど……」
「それは、ずいぶん派手な……」
コーヒーカップにつけようとした口を離し、俺は苦笑した。
「毎年、美津さんが止めてるの?」
どうにも彼女の語りがそちら側に聞こえたので、疑問を投げかけると美津さんは渋い顔をした。
「止めるというよりも、怪我をした猫又たちの手当です……。ここは中立的な地点と
して利用されているらしく、頭領のお二人もここじゃ喧嘩しませんよ」
「あぁ、そういうことか……。大変だな」
美津さんの瞳は明らかに、「ここで喧嘩したらただでは済まさない」と物語っていた。俺はそんな彼女にいたわるように言葉をかける。すると、美津さんは「どうなんでしょうか」と首を傾げた。
それにしても、その「頭領」というのは二人と数えられているだけあって人の姿をしているのだろうか。
「しかし、ユキチさんはどうしましょうか。外にほっぽっておくと、抗争に巻き込ま
れそうですし……」
「こうそう?」
美津さんのつぶやきにユキチは首を傾げた。
それから、自分の目の前に置かれた炭酸飲料にちびちびと口を付ける。
「えぇ。ユキチさんはどちらにも属していないようですから」
美津さんは不思議のうな表情で、ユキチを見据えた。しかし、美津さんはそうは言いつつも、何かを疑っているようだった。それが何かは知らないが、喫茶店の扉が勢い良く開いた。蝶番が外れそうなくらい、勢いよく。
現れたのは、灰色の髪の黒のダメージジーンズを履いた青年だった。あの目は吊り上がり、青空のような水色が特徴的だった。
「霙の嬢ちゃん、ズザを知らねェか⁉」
しっぽのように長い髪を振り乱して、その人は聞きなれない羅列の名前を話した。美津さんは呆れたように、その人に席を勧める。その人も、流石に騒がしいのは迷惑だと思ったのだろう。目が合った俺に「悪いな」と言って、静かに席に座った。
案外、悪い人ではなさそうだ。しかし、さっき美津さんに投げかけた質問の答えが返ってこないのがもどかしいのか、カタカタと小刻みに貧乏ゆすりをしている。
「ロアさん、当店は喧嘩禁止ですが?」
「ううっ……。分かっちゃあいるぜ。だが、最近物騒なんだよ」
灰色の髪の毛の人――ロアさんと呼ばれた人は、言葉に詰まったようにしどろもどろになっている。最愛の孫に叱られたおじいちゃんみたいに。
「聞いてないのか? ズザが最近行方不明らしいんだ、猫又狩りの噂もあるし、これ
じゃあ満足に喧嘩もできねぇ……」
こちらを気にしたように、彼は声を潜めて美津さんに語り掛けた。
しかし、ひそめきれなかった声は聞こえてきた。俺が「猫又狩り」と小さく復唱すると、ロアと呼ばれた人がこちらを向く。
「兄ちゃんも知らねぇか? 毛の明るい大きなトラ猫を見てねえか」
「い、いえ。見て、ないです」
「そうか……」
鋭い目をさらに光らせ、詰め寄ってきたロアという人はしゅんと眉を下げた。
「はぁ。
で……」
「あ、なるほど。だから、喧嘩……」
「ええ。とはいえ猫又狩りって何です?」
俺にロアさんの説明をした後、美津さんは再びロアさんに向き直る。彼女も耳にしたことがないらしい。いや、俺が知っていたら逆におかしいのだが。
すると、ロアさんは「霙の嬢ちゃんが知らねェのか」と目を見張りつつ、同時に美津さんが俺にロアさんの正体を明かしたことにも驚いていた。それから、注文していたアイスティーをすすり、彼は落ち着いたように息をついた。
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