第九話

 靴を下履きに履き替え、玄関前で碧衣と合流する。碧衣はまだ外に出ていないのか、あの派手なピンクは見当たらなかった。だが、予想だにしない人物がいた。


「ん、おやぁ、隠岐君とちゃいます? オトモダチと待ち合わせですか?」


 まだ耳になじまない口調ととはっきりとした青色のメッシュ。黒目がちの垂れ目を細めて、二条が微笑んだ。どうにも胡散臭うさんくさい雰囲気をかもし出していて、どうにも好きになれない人物だ。

 すると、こちらにパタパタと碧衣が駆けて近づいてきた。


「おー、ヤナちゃん!」


 すると、俺と二条を交互に見て不思議そうな顔をした。しかし、二条は「ヤナちゃん」という可愛らしいあだ名が気に食わないのか、しかめっつらをしている。しかし、碧衣は気にも留めず、今から一緒に喫茶店に行こうと誘っている。


「ヤナちゃん、みーたんと仲良いじゃん? 一緒に行こうよ」

「はぁ~、別にええですけど……」


 碧衣が二条にしたお誘いは、俺にとっても予想外であった。


「……おい、話聞かれても大丈夫なのか?」


 碧衣に耳打ちをし、二条にレイラさんの話題を聞かれてもよいものかと問いかける。碧衣は「大丈夫だろ」と二条を信頼しているらしく、俺もこれ以上強く出る気はなかった。

 二条も特にこの会話を聞いている風もなく、ただボーっと空を眺めている。会話らしい会話が終わると、「終わりました?」と皮肉気な笑みを浮かべてこちらを急かす。


「ほな、行きましょか」

 

 そう言って、二条は商店街の方へフラフラと歩いていく。歩幅が広く、こちらの都合を気にするつもりはあくまでもなさそうだ。俺たちはとにかくそんなに状を負うことに専念した。

 

 

「あ、いらっしゃいませ」


 喫茶店の扉を開けると、カウンターからヒョコりと美津さんが顔を出した。手には片付けの途中だったのか、ティーカップが握られている。こちらを見た美津さんは、碧衣と俺のほかに二条がいることに驚いたようだった。

 

「二条君も来たんですね。お好きな席に座ってください」

「はぁい。というか、霙はんは顔がお広いですなぁ」

「ふふ、兄たちが有名だったからじゃないかな?」


 俺たちは三人そろってカウンター席に腰かける。美津さんは自身の兄がすごいのだと言いながらも、少し寂しそうに笑っていた。しかし、それは瞬時にいつもの笑顔に戻り、俺たちに注文を聞く。全員紅茶を頼み、それ以外は特に頼まなかった。

 美津さんの手つきは素早く、お湯を沸かして茶葉が蒸れるのが終わった後は早かった。琥珀色とも鮮明な夕日のような赤ともとれる、鮮やかなものだった。普段飲むようなティーパックの紅茶とはやはり違っていた。本職なのだし、それと比べるのはあまりにも不敬な気もするけれど。


「うわぁ、綺麗だねえ」

「ありがとうございます、トーリくん。一応喫茶店なので、茶葉やコーヒー豆にはこ

 だわりがあるんです」


 そんな雑談をしながら、二条が不思議そうに首を傾げた。


「本題には、はいらないんです? ほかに目的がありそうに見えますけど」


 青いメッシュが、二条が首を傾げた瞬間に髪の毛の影にもちらつく。すると、元からそれ自体を忘れていたのか「ハッ」と目を見開いた。しかし、美津さんも俺も二条がいることで、話すことをためらってしまう。

 しかし、二条は「ふむ」と頷き、ピンと人差し指を立てた。


「もしかしなくとも、夕方に出る幽霊のことちゃいます? 最近、生徒の中でやけに

 話題になっとりますから」

「ほー、ヤナちゃんも知ってるの?」

「ん、まぁ、生徒会ですから、信憑性もない噂の根源を野放しにしておけませんや

 ん?」

 

 二条は笑顔ながらにも、手の甲の関節をぽきぽきと鳴らしている。少なくとも、その噂を最初に言った奴はただでは済まないだろう。――だからと言って、それがうわさなどの妄言でないことは俺や碧衣が知っている。もちろん、美津さんも。

 すると、その話を聞いた美津さんが苦笑していた。


「乱暴はいけませんよ、二条君」

「まぁ、霙はんはそう言うんでっしゃろうけど……」

「噂は知りませんけど、幽霊のことは私が何とかしますから」


 二条は美津さんの言葉に目を見張った。噂と幽霊のものを別に分けたということは、生徒会の方は噂の方を何とかしろということになるのだろう。――いや、そこではなく。それでは、まるで美津さん自身が変に立場を悪くしてしまうような気がした。


「幽霊がどうとかはどうでもええんですけど、霙はんはわざわざ下手な嘘をつかへん

 でしょうし?」


 二条は考えるように顎に手を当てて、「……ほんなら、お任せします」とあきらめたような口調で言った。

 

「あ、それで、隠岐くん、トーリくん、どうでしたか?」

「どうって? レイラちゃんから聞いたこと?」

 

 碧衣の問いに、「そうですよ」と苦笑する美津さん。ボケっとしている碧衣には、俺もあきれたものだと頭を抱えた。

 しかし、話を逸らすわけにもいかず、俺が彼女の話を伝えることにした。彼女の両親のお茶会が好きであったこと、スコーンや紅茶にこだわりがあったこと、特に問題のない仲の良い夫婦であったこと。

 すると、美津さんは目を伏せ、ううんと唸った。


「なぁ、そのレイラちゃんて子。なんで、自分の話はせえへんかったんです? 家族

 の話なら、自分の思い出も語って可笑おかしくはないはずですけど……」


 聞いていた二条の質問はごもっともだった。レイラさんの話は、すべて「父上と母上」、あくまで「一つの夫婦」の話であった。しかし、彼女の話から彼女の両親の人柄が良いことはわかったし、彼女が幸せであったことも十分に伝わってきた。

 

「えぇ、それくらいは予想してましたから大丈夫です。独自の情報とも合致します。

 ……しかし、うーん、こだわりが微妙に合わない夫婦なんですね」

「んぉ? どういうこと、みーたん」


 美津さんのつぶやきに碧衣は首をかしげたが、美津さんは「こちらの話です」と微笑みを浮かべてあいまいな返事をした。

 

「二条君」

「はいはい、なんです?」


 美津さんは二条に視線をやった。


「山奥のお屋敷って、出入りできたりしませんか?」

「ん? 不法侵入でもするんですか?」

「いえ、二条君ならああいう廃墟じみたところの鍵とか持ってそうだなぁ、と」


 どうにも不思議な会話をする二人。しかし、二条はそれで伝わったのかにやりと性格の悪そうな笑みを浮かべた。


「持ってますわぁ。なんや、面白い事でも致すんですのん?」

「……私にとっては、仕事の一環ですかね」


 すると、二条は自分の鞄の中を漁り、鍵束を取り出した。童話の奥ゆかしさを感じさせる古いものから、最近のものまでジャラジャラとぶら下がっている。その中から二条はひときわ細かく古びた鍵を美津さんに投げつけた。

 美津さんはそれを受け取り、ほっとしたように目を細めた。


「ありがとうございます、助かりました」

「いやいや、貸し一つうたところでええですよ?」

「もちろんです。鍵は週明けにお返ししますね」


 美津さんは二条にぺこりと頭を下げた。いえいえと、二条も頭を下げる。

 二人の間では完結したような会話だが、俺と碧衣はこれっぽっちも理解できていなかった。

 すると、美津さんが俺と碧衣の方に向き直る。


「明日、土曜日なんですけど、お二人とも時間はありますか? レイラさんのことに

 ついて、最後に調べたくって」


 それは思ってもみない申し出であった。

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