第57話 千代女の静かな勘気。
(永禄3年 (1560年)11月10日)
俺は浜松城を出発して、甲斐との戦いが始まっても練習を続けさせられた。
戦の最中に
俺にそんな意図はなかったがどうだったのだろうな。
月夜の演奏。
馬鹿にしやがって、あるいは、なんて風流な大将なのだろうと思われたのだろうか。
今更にそんな事を思う。
時には
幼い頃から習っていた
日課なので兵達もすぐに慣れたようだ。
意外だったのは、
戦以外に趣味がないと思っていたが、馬の鞍も尺八も手作りだと言う。
人間、意外な趣味を持っている。
葛尾城で籠城していた
まぁ、流石に
「麿と別れても、練習は欠かさずやる約束でしたね」
「やっていたぞ。少しだけ」
「指が疎かになっておりますぞ。毎日欠かさずやっていたのですか?」
「嘘ではない。毎日のように触れていた」
「まったく、恥を搔くのは信照ですよ」
「宮中の演奏は来年に延ばそう」
「戦勝の報告を帝にし、九州の諸大名との新たな主従関係を結ばねばなりません。当然、宮中の宴が開かれ、今度こそ、吹いて欲しいと頼まれるのは必定でしょう」
「腰抜けの九州大名め、こういう時こそ九州男児の気骨を見せる所だろう」
九州の大名が早々と降伏していた。
関ヶ原で幕府軍が大敗し、畿内を抑えられ、
ほぼ同時に奥州勢も織田方の南部氏に完敗していた。
そして、極め付けが鎌倉で行われた奥州仕置である。
元公方の
俺は中継ぎ公方と知れ渡った。
鎌倉で10月10日に発表された衝撃的な事実は翌日には小田原に届き、定期便の船で3日後には熱田に伝わった。
商人の足は速い。
熱田には堺と博多の商人が常駐しており、3日と掛からずに堺に、戦時下でも10日後には博多に届いていた。
10月末には、九州でその事実を知らない大名や武将はいないと言っても過言ではないらしい。
大義名分であった『足利幕府復興』の旗が折れた。
足利幕府の象徴というべき
これでは朝敵の言い分が味噌(大義)も糞(私欲)も一緒になってしまった。
大義なき戦いには誰も付いて来ない。
さらに、逆賊の汚名まで被る事になる。
終わったのだ。
「
「頭を剃って、
「知るか」
まず、大友家のジャンク船3隻で派手に開戦した。
九州連合軍は長門の海岸を制圧し、そのまま安芸へと侵入したのだ。
これに対して、
織田の帆船は安芸の貿易湊を守るように命じていたのだ。
まず、こちらの三門の砲撃から始まった。
一方的な砲撃に敵が混乱して近くの島の影に身を隠そうとした所を、その島に隠していた村上水軍の小舟が突然に伏兵として現れ、そのまま中央突破で焙烙玉を放り投げて
九州連合軍の主力である大友家のジャンク船3隻であったが、射程距離が段違いだったので活躍する場もなく、いくつかの小破を負わされて追い払われた。
一方的な毛利方の勝利だった。
但し、
本拠地の安芸を空にできるからこその芸当であり、安芸に引き摺り込んでの海戦には応じる構えをみせた。
まず、海岸の被害は戦後に大友に賠償責任で返還して貰うと説得すると、長門・石見の民は諦めたように従った。
大友勢は誰もいない海岸に上陸すると、
ジャンク船の大砲は海岸近くしか届かず、ロクな援護射撃もできないと知ればやりようはいくらでもあったようだ。
九州連合軍が毛利軍の餌食となって撤退を繰り返す。
最後に闇夜に海を渡った村上水軍の特攻隊が樽に詰めた火薬を爆破して、ジャンク船2隻を大破させた。
ジャンク船は横腹に大穴を開けて沈んでいった。
残るジャンク船1隻で織田家の帆船に対抗できない。
上陸していた九州連合軍は長門から撤退して九州に戻るしかない。
たった1隻の織田帆船に制海権を奪われたのだ。
そこに
これが4日前に堺に早舟で知らせて来た情報だ。
千代女は3日ほど伏せて休暇を作ってくれるつもりだったらしい。
「待て、鎌倉に居た
「聞かずとも判っておられましょう」
「今、鎌倉にいるのは誰だった」
「右筆は若様が橋の下で拾った
「昨年まで京の天文方を任せておった奴か」
「京で
「情報漏えいには?」
「なりません。甲、乙、丙、丁の丙でございます」
織田家の情報は4つに分類される。
甲と乙は最重要案件と重要案件であり、特定の者しか情報を伝えてはいけない情報だ。
丙は通常情報であり、重要人物ならば話しても良い事になっている。
丁は一般情報であり、あとで瓦版でも掲載される程度の情報だ。
『九、ダイ、オオク、クダル、シシャ』(九州の大名達が降伏の使者を送っている)
堺に戻った先触れが織田家の光通信網を使って、その日の内に京から鎌倉まで届けられた。
それだけだ。
大した情報ではない。
予想されていた未来の1つに過ぎない。
その対応も決まっている。
そうなのだ。
九州平定は最初からオマケだった。
ぐるりと海に囲まれている九州は船の大砲を使った砲艦外交ができる国が多く、兵力数以上に国力差があったのだ。
そういう意味で内陸部の関東平定より難度が低かった。
その情報を兄上(信長)や帰蝶義姉上なども知っていたのだろうが敢えて話題にもしないほどの些細な事なのだ。
ただ、口の軽い家老衆には知らせていなかった…………それだけだ。
確かにあれこれ悩むのは詳しい事が判ってからで良いだろう。
今日か、明日でも尾張にその詳しい情報が届くだろう。
情報の速度が遅いのは、その情報の価値が低い事を現している。
だが、有象無象の武将達は九州の降伏を大騒ぎするだろう。
そうなると俺の耳に自然と聞こえてくる。
それまでを休暇としてくれていた。
それと兄上(信長)の腰が軽くなった原因の1つかもしれない。
その程度の情報なので
「どちらかと言えば、若様が戻る日程を気にして船を用意させていたのでしょう」
てへぺろ☆(・ω<)。
また、商人らに無理を言って停泊させていたな。
「千代、輝ノ介の補助を勝手に放り出して来た者に何か罰はないか?」
「申し訳ございません。輝ノ介を監視させるという役職はございません」
「そうであろう。麿は信勝に
「しかし、
「これは
「果たしてそうでしょうか」
「…………」
「若様は文句を言われませんが、我らも同じように思っているなどと思わないで頂きたい。甲斐に一緒に同行しておりましたから甲斐の奇病が発病してお倒れになり、そのままお亡くなりなったと言うのは如何でしょうか?」
「千代、それは酷過ぎるぞ」
「そうでしょうか、近衛家に対しての警告になると思われます」
「それは拙い」
「残念です。若様のごろごろしたいという願いが叶うのですが…………」
「ど、どういう意味だ」
「
俺と
確かに静養という名目でごろごろの日々が買えるのか。
甘い誘惑に一瞬だけ、心がグラつく。
俺が病死と言えば、疑う者はいないだけに善行を積んで来た。
・
・
・
ないな。流石にそれはない。
俺と
「
「待て、麿はそのようなつもりはない」
「では、この話が鎌倉に届くまで3日はございます。
千代女の眼光に殺気が籠り、それに応じて周囲に誰でも判るような殺気が沸いた。
俺より刀の才能がある
だらだらっと大粒の汗が流れ出した。
千代女は予定を狂わされ、落胆する俺を見て怒っていたのだ。
「もう一度言う。麿にそのようなつもりはない」
「承知しております。ですが、私共は若様が第一でございます。若様を無理矢理に動かそうとする者に敵意を持たないように我慢するのも限界があると心得て頂きたいのです」
「そのように見えたか?」
「見えました。弄って遊ぶのは若様が元気な時にして下さい」
「元気…………もしかして疲れているのか?」
「若様も隠すのが上手になられましたので困ります」
千代女がそう言うならば、俺は疲れているのだろう。
俺自身も自覚していないが…………。
千代女が殺気を消すと、周りや屋根、床下からの殺気も消えた。
今度は柔らかい笑みを零す。
「私達は若様の御無事と健康さえ気にして頂ければ他意はございませんが、若様を御護りする者がすべて物分りの良い者ばかりではございません。これまでは戦国の世でありましたから、彼らは心強い味方でした」
「千代…………」
「
「何があった?」
「何もございません。何もございませんから問題なのです。腕自慢の無頼漢はやる事がなくなってしまったのです。暇を持て余した彼らが
戦乱の世が終わって浮かれていたが、終わった事で始める混乱を考えていなかった。
そして、難しい顔をした。
「ご安心下さい。若様はそのような者に新しい場所を提供する為に南蛮人らと戦うのです」
「それが九州仕置きの先の話か?」
「くれぐれも若様の邪魔をなさいませんようにお願い致します」
「相判った」
「では、まずは休息を頂きます」
「三日後に来る」
「四日後でお願いします」
「…………四日後だな」
「はい、よろしくお願い致します」
千代女が
暇になった
そして、今後の方針が決まって行く。
予防線を張りながら俺の仕事を1つ減らした。
流石、千代女だ。
ただ、怒った千代女はちょっと怖い。
爽やかな笑顔で毒を吐く。
ビビった。
俺も怒らせないようにしよう。
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