第57話 千代女の静かな勘気。

(永禄3年 (1560年)11月10日)

晴嗣はるつぐが作法の復習を先にするか、しょうを聞こうかとうきうきとしていた。

俺は浜松城を出発して、甲斐との戦いが始まっても練習を続けさせられた。

戦の最中にしょうを吹くのは相手を挑発しているだけではないのだろうか。

俺にそんな意図はなかったがどうだったのだろうな。

月夜の演奏。

馬鹿にしやがって、あるいは、なんて風流な大将なのだろうと思われたのだろうか。

今更にそんな事を思う。


時には今川-氏真いまがわ-うじざねが訪ねて来て、晴嗣はるつぐと三人で演奏会になった日もあった。

幼い頃から習っていた氏真うじざねの腕前は晴嗣はるつぐに負けないほどの美しい音色を奏でた。

日課なので兵達もすぐに慣れたようだ。

意外だったのは、北条ほうじょう-宗哲そうてつ尺八しゃくはちだった。

戦以外に趣味がないと思っていたが、馬の鞍も尺八も手作りだと言う。

人間、意外な趣味を持っている。

宗哲そうてつが合流してから毎日のように氏真うじざねと一緒に現れて、演奏会となっていた。

葛尾城で籠城していた村上-義清むらかみ-よしきよなどは、絶対に怒髪天どはつく形相で怒っていたに違いない。

まぁ、流石に謙信けんしんが到着してからは中止になった。


「麿と別れても、練習は欠かさずやる約束でしたね」

「やっていたぞ。少しだけ」

「指が疎かになっておりますぞ。毎日欠かさずやっていたのですか?」

「嘘ではない。毎日のように触れていた」

「まったく、恥を搔くのは信照ですよ」

「宮中の演奏は来年に延ばそう」

「戦勝の報告を帝にし、九州の諸大名との新たな主従関係を結ばねばなりません。当然、宮中の宴が開かれ、今度こそ、吹いて欲しいと頼まれるのは必定でしょう」

「腰抜けの九州大名め、こういう時こそ九州男児の気骨を見せる所だろう」


九州の大名が早々と降伏していた。

関ヶ原で幕府軍が大敗し、畿内を抑えられ、武田-信玄たけだ-しんげんが負け、石山本願寺が降伏し、越後の上杉-謙信うえすぎ-けんしんも軍門に降った。

ほぼ同時に奥州勢も織田方の南部氏に完敗していた。

そして、極め付けが鎌倉で行われた奥州仕置である。

元公方の足利-義輝あしかが-よしてるが地獄から蘇って俺の傘下に入り、義輝よしてるの子が次期将軍になると公言した。


俺は中継ぎ公方と知れ渡った。


鎌倉で10月10日に発表された衝撃的な事実は翌日には小田原に届き、定期便の船で3日後には熱田に伝わった。

商人の足は速い。

熱田には堺と博多の商人が常駐しており、3日と掛からずに堺に、戦時下でも10日後には博多に届いていた。

10月末には、九州でその事実を知らない大名や武将はいないと言っても過言ではないらしい。


大義名分であった『足利幕府復興』の旗が折れた。

足利幕府の象徴というべき義輝よしてるが織田方におり、織田幕府は一代限りと知れてしまった。

これでは朝敵の言い分が味噌(大義)も糞(私欲)も一緒になってしまった。

大義なき戦いには誰も付いて来ない。

さらに、逆賊の汚名まで被る事になる。

終わったのだ。


大友-義鎮おおとも-よししげの根性なしめ」

「頭を剃って、宗麟そうりんと名を改めたそうです」

「知るか」


宗麟そうりんの九州戦線はこんな感じだった。

まず、大友家のジャンク船3隻で派手に開戦した。

九州連合軍は長門の海岸を制圧し、そのまま安芸へと侵入したのだ。

これに対して、毛利-元就もうり-もとなりは村上水軍と織田家の貸した300石帆船1隻で対抗した。

織田の帆船は安芸の貿易湊を守るように命じていたのだ。

まず、こちらの三門の砲撃から始まった。

一方的な砲撃に敵が混乱して近くの島の影に身を隠そうとした所を、その島に隠していた村上水軍の小舟が突然に伏兵として現れ、そのまま中央突破で焙烙玉を放り投げて蹂躙じゅうりんした。

九州連合軍の主力である大友家のジャンク船3隻であったが、射程距離が段違いだったので活躍する場もなく、いくつかの小破を負わされて追い払われた。

一方的な毛利方の勝利だった。

但し、元就もとなりはこれを地の利の生かした勝利と割り切り、毛利方から海戦を挑むような危険な真似はしなかった。


元就もとなりは安芸以外の海岸線を放棄し、大友勢を上陸させて撃退する策に徹した。

本拠地の安芸を空にできるからこその芸当であり、安芸に引き摺り込んでの海戦には応じる構えをみせた。

まず、海岸の被害は戦後に大友に賠償責任で返還して貰うと説得すると、長門・石見の民は諦めたように従った。

大友勢は誰もいない海岸に上陸すると、元就もとなりは時期を見計らって反撃を仕掛けた。

ジャンク船の大砲は海岸近くしか届かず、ロクな援護射撃もできないと知ればやりようはいくらでもあったようだ。

九州連合軍が毛利軍の餌食となって撤退を繰り返す。


最後に闇夜に海を渡った村上水軍の特攻隊が樽に詰めた火薬を爆破して、ジャンク船2隻を大破させた。

ジャンク船は横腹に大穴を開けて沈んでいった。

残るジャンク船1隻で織田家の帆船に対抗できない。

上陸していた九州連合軍は長門から撤退して九州に戻るしかない。

たった1隻の織田帆船に制海権を奪われたのだ。


そこに義輝よしてるの生存の話が飛び込んで来る。

宗麟そうりんは毛利家と和議を為し、朝廷に謝罪の使者を送り出した。

宗麟そうりんの裏切りを見て他の九州大名もこぞって手の平を返し、朝廷に使者を送って来る。

これが4日前に堺に早舟で知らせて来た情報だ。

千代女は3日ほど伏せて休暇を作ってくれるつもりだったらしい。


「待て、鎌倉に居た晴嗣はるつぐがそれを知っているのか?」

「聞かずとも判っておられましょう」

「今、鎌倉にいるのは誰だった」

「右筆は若様が橋の下で拾った北根-彦左衛門きたね-ひこざえもんでございます」

「昨年まで京の天文方を任せておった奴か」

「京で晴嗣はるつぐ様にお世話になった恩もございます。聞かれれば、断れないでしょう」

「情報漏えいには?」

「なりません。甲、乙、丙、丁の丙でございます」


織田家の情報は4つに分類される。

甲と乙は最重要案件と重要案件であり、特定の者しか情報を伝えてはいけない情報だ。

丙は通常情報であり、重要人物ならば話しても良い事になっている。

丁は一般情報であり、あとで瓦版でも掲載される程度の情報だ。


『九、ダイ、オオク、クダル、シシャ』(九州の大名達が降伏の使者を送っている)


堺に戻った先触れが織田家の光通信網を使って、その日の内に京から鎌倉まで届けられた。

それだけだ。

大した情報ではない。

予想されていた未来の1つに過ぎない。

その対応も決まっている。


そうなのだ。

九州平定は最初からオマケだった。

ぐるりと海に囲まれている九州は船の大砲を使った砲艦外交ができる国が多く、兵力数以上に国力差があったのだ。

そういう意味で内陸部の関東平定より難度が低かった。


その情報を兄上(信長)や帰蝶義姉上なども知っていたのだろうが敢えて話題にもしないほどの些細な事なのだ。

ただ、口の軽い家老衆には知らせていなかった…………それだけだ。

確かにあれこれ悩むのは詳しい事が判ってからで良いだろう。

今日か、明日でも尾張にその詳しい情報が届くだろう。

情報の速度が遅いのは、その情報の価値が低い事を現している。

だが、有象無象の武将達は九州の降伏を大騒ぎするだろう。

そうなると俺の耳に自然と聞こえてくる。

それまでを休暇としてくれていた。


それと兄上(信長)の腰が軽くなった原因の1つかもしれない。

その程度の情報なので晴嗣はるつぐに知らされて当然であり、その連絡を受けて3日で帰ってくる晴嗣はるつぐの方が異常だ。


「どちらかと言えば、若様が戻る日程を気にして船を用意させていたのでしょう」


てへぺろ☆(・ω<)。

晴嗣はるつぐが正鵠を射られて顔を逸らした。

また、商人らに無理を言って停泊させていたな。


「千代、輝ノ介の補助を勝手に放り出して来た者に何か罰はないか?」

「申し訳ございません。輝ノ介を監視させるという役職はございません」

「そうであろう。麿は信勝に征東大将軍せいとうたいしょうぐんの地位を授けに行っただけじゃ」

「しかし、近衛このえ家の傲慢は目に余ります」

「これは信照のぶてるの事を思っての事」

「果たしてそうでしょうか」

「…………」

「若様は文句を言われませんが、我らも同じように思っているなどと思わないで頂きたい。甲斐に一緒に同行しておりましたから甲斐の奇病が発病してお倒れになり、そのままお亡くなりなったと言うのは如何でしょうか?」

「千代、それは酷過ぎるぞ」

「そうでしょうか、近衛家に対しての警告になると思われます」

「それは拙い」

「残念です。若様のごろごろしたいという願いが叶うのですが…………」

「ど、どういう意味だ」

晴嗣はるつぐ様が病魔に掛かっておいでならば、若様も奇病に掛かっているかもしれません。帝に移す訳には行かないので尾張で静養するという名目が生まれます」


俺と晴嗣はるつぐが千代女の過激な提案に目を丸くする。

確かに静養という名目でごろごろの日々が買えるのか。

甘い誘惑に一瞬だけ、心がグラつく。

俺が病死と言えば、疑う者はいないだけに善行を積んで来た。

ないな。流石にそれはない。

俺と晴嗣はるつぐは顔をこわばらせて見合わせた。


晴嗣はるつぐ様、若様は道義どうぎ(人の行うべき道徳)を弁えておられます。都に上がらぬなど言う訳もありません。踏み込んで若様を意の儘に動かそうなどとお考えになられませんように」

「待て、麿はそのようなつもりはない」

「では、この話が鎌倉に届くまで3日はございます。晴嗣はるつぐ様はそれまで鎌倉に居られるハズ。それでよろしいですか」


千代女の眼光に殺気が籠り、それに応じて周囲に誰でも判るような殺気が沸いた。

俺より刀の才能がある晴嗣はるつぐに判らない訳がない。

だらだらっと大粒の汗が流れ出した。

千代女は予定を狂わされ、落胆する俺を見て怒っていたのだ。


「もう一度言う。麿にそのようなつもりはない」

「承知しております。ですが、私共は若様が第一でございます。若様を無理矢理に動かそうとする者に敵意を持たないように我慢するのも限界があると心得て頂きたいのです」

「そのように見えたか?」

「見えました。弄って遊ぶのは若様が元気な時にして下さい」

「元気…………もしかして疲れているのか?」

「若様も隠すのが上手になられましたので困ります」


千代女がそう言うならば、俺は疲れているのだろう。

俺自身も自覚していないが…………。

千代女が殺気を消すと、周りや屋根、床下からの殺気も消えた。

今度は柔らかい笑みを零す。


「私達は若様の御無事と健康さえ気にして頂ければ他意はございませんが、若様を御護りする者がすべて物分りの良い者ばかりではございません。これまでは戦国の世でありましたから、彼らは心強い味方でした」

「千代…………」

晴嗣はるつぐ様には言っておく方がよろしいでしょう」

「何があった?」

「何もございません。何もございませんから問題なのです。腕自慢の無頼漢はやる事がなくなってしまったのです。暇を持て余した彼らが晴嗣はるつぐ様らの傲慢な態度を見て、どう動くかなどは予想も尽きません。今のような脅しだけで済まないかもしれません」


晴嗣はるつぐはごくりと生唾を呑み込んだ。

戦乱の世が終わって浮かれていたが、終わった事で始める混乱を考えていなかった。

そして、難しい顔をした。


「ご安心下さい。若様はそのような者に新しい場所を提供する為に南蛮人らと戦うのです」

「それが九州仕置きの先の話か?」

「くれぐれも若様の邪魔をなさいませんようにお願い致します」

「相判った」

「では、まずは休息を頂きます」

「三日後に来る」

「四日後でお願いします」

「…………四日後だな」

「はい、よろしくお願い致します」


千代女が晴嗣はるつぐに完勝した。

暇になった晴嗣はるつぐはこの話を兄上(信長)にするだろう。

そして、今後の方針が決まって行く。

予防線を張りながら俺の仕事を1つ減らした。

流石、千代女だ。


ただ、怒った千代女はちょっと怖い。

爽やかな笑顔で毒を吐く。

ビビった。

俺も怒らせないようにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る