第55話 I will be back -オレは帰ってきた-

永禄3年 (1560年)11月1日。

真田さなだ-信綱のぶつな昌輝まさてるは、信濃国しなののくに安曇郡あずみぐんから野麦峠のむぎとうげを越えて、野麦のむぎ街道を通って飛騨に入ったが、北アルプスの最南端で乗鞍岳と鎌ヶ峰の間にある野麦峠のむぎとうげ(標高1,672m)は険しい街道だ。

少し遠回りになるが南北街道から中津川に戻って東山道 (中山道)を通った方が楽だった。

南北街道は美濃や三河に火山灰を運ぶ『灰の道』と呼ばれている。

綺麗に街道が整備されている訳ではないが、多くの人が行き交うので宿があちらこちらに作られており、この寒空に野宿を避けて帰国できる。

宴会が終わると兵を順次に帰国させて行った。


3日後、信綱のぶつな昌輝まさてるに見送られて、益田街道ますだかいどう(飛騨街道)の中山七里の道を南下した。

いつ大雪が降っても不思議ではない。

ただ、俺に焦りはない。

何故ならば、中山七里沿いに流れる飛騨川と馬瀬川が合流する金山の下原からは奥美濃だからだ。

桜洞城さくらぼらじょうから距離にして、9里(34.4km)しかない。

しかも飛騨侵攻が始まると、帰蝶義姉上が輜重隊しちょうたい5,000人と街道整備に帰蝶黒鍬衆(スコップマン)2万人を動員した。

道幅は広がっていないが土を盛って叩いて平に固め、その上にローマンコンクリートを張って荷馬車が通れるようにした。

姉小路あねこうじ-嗣頼つぐよりは帰蝶義姉上の支援で息を吹き返した。


相変わらず、帰蝶黒鍬衆(スコップマン)の幹部の裸にフンドシ一丁で大きな背負子を背負うスタイルは健在らしい。

この寒空でよくやると感心する。

各部署の作業指揮者は暴走族が着るような長ランを身に付け、『帰蝶様、命』の金の刺繍を縫い付けている。

そんな連中が毎朝、毎晩に欠かさずスコップ術の鍛錬をする。

鍛錬の時はフンドシ一丁だ。

異様な筋肉を誇る風体。

厳格な指揮系統。

異様な掛け声。

彼らは土木作業のスペシャリストであり、桁違いの動員数を持つ。

帰蝶黒鍬衆(スコップマン)は飛騨への領主の威嚇に最高だった。

俺としては恥ずかしい。


だが、コスト(賃金)が安い。


彼らは安俸禄でも文句1つ言わず、織田直臣という名誉を与えられる事に満足している。

日々の復唱で忠誠心が厚い。

危険な勤務先でも喜んで赴任してくれる。

しかも入隊の求人活動(布教)も熱心に行われており、どれだけ使い潰そうとも減る事がない。


「帰蝶義姉上も大変だな」

「若様も熱田を信仰している者の数を把握してみますか? あるいは、一向宗の前で演説されては如何ですか?」

「全力で遠慮する」


祭りの日にお札を買って、俺の懐を温かくして貰うだけで十分だ。

飼い主になって世話をする気にならない。

数万人が並ぶ前に立って演説した。


『私は織田-信長おだ-のぶながの妻、帰蝶である。

日ノ本の未来は貴方達でなければ切り拓く事はできない。

この暗黒の世の中を終わらせましょう。

我が家臣よ、私と共に戦おう』


鼓舞が終わると、幹部と会議がある。

なんと幹部になると帰蝶義姉上との会議に参加できる。

作戦は帰蝶義姉上が一方的に伝えるだけの独演会であり、最後に握手をして送り出してくれる。

まるで講演の最後にやる握手会だ。

そこまでして帰蝶黒鍬衆(スコップマン)を鼓舞する帰蝶義姉上は本当に凄いと尊敬する。


「能力はともかく、死を恐れない不屈の軍団です。厄介極まりない兵力となります」

「作業を一時的に邪魔はできても止める事はできない」

「若様の黒鍬衆と同じく、敵前で土木作業ができます。しかも万単位の動員数です」

「飛騨の民は帰蝶義姉上の底力を見せ付けられた訳か」

「織田家の底力でございます」


飛騨国と奥美濃は近い。

桜洞城さくらぼらじょうと気良庄(郡上)の馬瀬村は山越えがあるが3里(10.6km)と離れていない。

奥美濃は街道の整備が終わっているので補給路を作るのも簡単だった。

大軍の利が生かせないだけだ。

一夜城ならぬ、一夜街道は脅威だ。

敵が察知した時にはこちらは城の直前まで迫っている。

しかも織田家は大軍で攻める軍ではない。

近代的な兵器を使った少数精鋭を主とし、情報を得る為に忍びを重宝する。

織田家が美濃を制圧した時点で飛騨の命運は尽きていた。


益田街道ますだかいどう(飛騨街道)は金山の下原から先が美濃である。

そのまま名越峠を越えて太田(美濃加茂)に向かい、東美濃を南下して那古野に向かう道と、西街道を通って袋坂峠、北条峠を越えて関口に向かう道がある。

新吾を稲葉山城に入れるとすれば、西街道だ。

そろそろ下原が見えて来た?


「何故、いる?」

「先触れを出しておきましたので、新公方様をお出迎えに来たのではございませんか」

「尾張の国主がここまで来るか?」

「信長様ですから不思議ではございません」


馬を走らせれば、2日で来るのも難しくない。

(清洲から下原まで20里 (80km))

下原から稲葉山城まで強行して無理をすれば、明日でも帰城できる場所だ。

もちろん、凱旋でそんな事はしない。

山道なので北条峠を越えた下之保殿 (関市下之保しものほ多良木たらき)で一泊し、明後日に稲葉山城に戻る予定だった。

やっと見えて来た下原に真新しい立派な橋が架かっていた。

そして、その先に…………。


兄上(信長)がなんでいる?

普通は清洲城か、稲葉山城で待つモノだろう。

国主(尾張守護代)がふらふらと少数で来るな。

馬鹿か。


「はい、信長様は『うつけ』でございますから」

「あぁ~、そうだった」

「特に野駆けを大層好まれます」

「日課のように走っているな」

「目付け役の長門守がお亡くなりになり、帰蝶様は稲葉山で指揮を取られており、誰も咎める者がおりません」

「反論の言葉もない」

「今の信長様を止められるのは若様だけです」

「最悪だな」

「京でもご活躍でございました」

「俺はあれを放置していたのか」

「そのようです」

「何故、知らせない」

「皆が若様の心の平安を先に延ばそうと思ったのでしょう」


俺の忍びは気を利かせて、こういったサプライズを敢えて報告しない事がある。

あぁ、先に聞かされてもどうしようもない。

追い返して帰ってくれる訳もない。

千代女は急がない報告は敢えて伝えない。

知った所で帰ると言う選択もなく、越後以降の心地よい旅が台無しになる。

気に病んでもどうしようない事はワザと伝えないのだ。

本当に助かる。


兄上(信長)の横に先行していた新吾がわたわたとしていた。

橋の向こうで跪き、頭を下げて無事の帰国を喜ぶ口上を述べた。


「何のつもりだ」

「新公方様を誰よりも早く出迎えようと思いました」

「心にもない事を…………そうでしょう。兄上(信長)」


兄上(信長)は顔を上げてにやりと笑った。


信照のぶてる様に置かれましては…………」

「止めよ。心にもない敬語を口走られては背筋が寒くなる。普通にしてくれ」

「では、お許しを頂いたのでそうさせて頂きます」


そう言うと立ち上がって馬の手綱を従者から奪った。


「どうだ、公方になった気分は?」

「最悪だ」

「あははは、そうだろう。武勲を重ねながら、儂にすべて押し付けようとしたそなただからな」

「兄上(信長)の仕掛けですね」


帝が兄上(信長)に相談もなく、征夷大将軍に任じる訳がない。

帝は俺が地位に就くのを嫌がっていた事を良く知っていたハズだ。

それでも体面の為に何とか与えようとしていた。


「儂ではないぞ。況して、近衛-稙家このえ-たねいえ様でもない。稙家たねいえ様はそなたに嫌われたくないので反対していた」

「では、誰です?」

「誰でもない。そなたが武勲を立て過ぎたのだ。東国に遠征する許可を求めて来たので公家達が騒ぎ出した。箔を付けずに『東国征伐』などされては、足利-尊氏あしかが-たかうじ公が朝廷と割れて出陣した事を連想させると」

「だから、討伐の許可を貰う為に使者を送ったのでしょう」

尊氏たかうじ公も使者を送って征夷大将軍の称号を欲しがったが、当時の朝廷は認めなかった」


尊氏たかうじは許可もなく、鎌倉に向けて出陣した。

朝廷は尊氏たかうじとの不仲を噂されて慌てた。

そして、征夷大将軍の代わりに征東大将軍の称号を送る事で体面を保った。

俺と朝廷に亀裂が走ると思った?

だから、嫌々でも朝廷の臣下になってやっただろう。

公家達は自らの心の平安を得る為に、ここで征夷大将軍の称号を与えなければならないと焦った訳か。

馬鹿か。


稙家たねいえ様もそんな根も葉もない噂などないと言われた。そんな噂はそなたが後で一蹴するので気にするなと説得したが、公家衆の不安は止まらない」

「どうしてですか?」

「10万の大軍を一蹴できるそなた・・・だ。自ら現人神を名乗って、帝も公家も排除しかねないと焦ったのだ」

「幕府を排除して、朝廷も取り壊す真似はしません」

「儂は知っているが、公家はそれが判らん。せめて征夷大将軍の称号を与えて、媚びを売らずにいられなかったのだ」

「馬鹿らしい」

「帝もお困りになって儂に相談された。儂は称号を贈っても『そなたは怒らぬだろう』と答えておいた」

「やはり、兄上(信長)か」

「儂と公家衆の板挟みになって、帝が苦しまれるのをお主は望まぬであろう?」


兄上(信長)がそう言ってにやりと笑った。

その通りだ。

帝を苦しめるのは本意ではない。

糞ぉ、兄上(信長)も稙家たねいえも積極的に防波堤にならなかった意味で同罪だ。

だが、二人を責めると帝も責める事になる。

してヤラれた。


思えば、兄上(信長)と初めて会った時から弁論で敗ける気がしなかった。

思った通りに行かず、刀を翳して俺を脅していた。

それからも兄上(信長)は弁論で叶わないと知って力押しで無理を通すようになった。

そう考えると、成長したと褒めるべきか。

兄上(信長)を相手に弁論で敗ける日が来ると思っていなかった。

翌々日、稲葉山城に入った。

鬼のように怒った帰蝶義姉上が出迎えてくれた。


「殿、いったい何のつもりですか?」


開口一番、行列を止めて兄上(信長)が帰蝶義姉上に叱られていた。

それもかなり長い時間だ。

もちろん、それを察しない兄上(信長)ではないので先に帰ろうとしたが、俺が兄上(信長)を逃がす訳がない。

正門の前、遠目で大衆からも見える場所に兄上(信長)を正座させて叱った。

俺が悔しがる顔を一日も早く見たい為とは言えず、しどろもどろに言い訳をする。

そんな言い訳が通じる訳もない。

いい気味だ。

誰がこの尾張と美濃で偉いかを見せ付けるように。

それを察していても兄上(信長)はそれ以上の失態をしたので反論できない。

城に入ると終始笑顔の帰蝶義姉上が俺を労ってくれた。

宴会が催され、皆を労う言葉を掛けた。


稲葉山城で長居はせずに出立する。

目の前に木曽川が広がった。

終わった。

俺の旅は終わった。

多くの英霊が無駄死にで無かった事の証の為に…!

再び俺の理想を掲げる為に…!

人間の屑、ごろごろ人生成就の為に…!

尾張よ。俺は帰って来た。

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