閑話.軽井沢の戦いとその後。

(永禄3年 (1560年)8月25日)

軽井沢の戦いは4、5日からもう少し長い睨み合いの戦いになると予想された。

甲斐のりゅうである武田-信玄たけだ-しんげんと黒鍬衆の織田おだ-長頼ながよりの知恵比べが起こるハズであった。

兄の小瀬-清長おぜ-きよながは予想が外れた事を笑いながら言った。


信照のぶてる様の予想も外れる事があるのだな」

「兄上、信照のぶてる様も全知全能ではございません。『甲斐の龍』を『甲斐の虎』と間違う事もございます」

「ははは、信じられん。信玄しんげんは朱印の『龍』を使い、謙信けんしんは元々『景虎』を名乗っておった。信玄しんげんが龍で、謙信けんしんが虎であろう」

「いいえ、謙信けんしんも『懸かり乱れ龍』の旗を上げますので、越後では『越後の「龍』と呼ばれております」

「龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風生ず、竜虎相搏りゅうこあいうつではなく、龍龍相搏りゅうりゅうあいうつになってしまうな」

「兄上、そろそろ父上が出過ぎております」

「引くか?」

「はい、父上が下がった事を合図に鉄砲隊から下げ、敵を死の間合いに引き込みたいと思います」

「承知した」


軽井沢の戦いは25日早朝から戦口上で始まった。

ダダダダダダダァ~ン!

口上が終わると弓合戦だが、織田では弓の代わりに本隊の鉄砲が火を噴いた。

佐久の兵に貸し与えた1,000丁である。

長頼ながよりの同僚である黒鍬衆は本隊、左右に隠した鉄砲隊、矢ヶ崎山の裏手に隠した伏兵に分けて配置していた。

精進場川を下がると、左右の鉄砲隊で死の間合いと呼ばれる十字砲火ができる場所を作り、そこに敵を誘い込む。

鉄砲隊の代わりに伏兵を置き、左右から挟撃する薩摩が得意とする『野伏のぶせ』という戦術を改良したモノである。

左右を合わせて3,000丁の鉄砲が火を噴けば、唯で済む訳もない。

相手も見晴らしの良い場所に伏兵を隠しているとは思うまい。

信玄しんげんでなければ…………。

長頼ながよりら黒鍬衆は佐久で信照のぶてると打ち合わせを慎重に行った。

その時の会議が長頼ながよりの脳裏に浮かんだ。


長頼ながより、そなたらの一番の目的は佐久地方の死守であり、時間稼ぎだ。謙信けんしんとの戦いが決すれば、おのずと引く」

「承知しております」

信玄しんげんは野戦を好む」

「短期決戦に持ち込みたい。背後を犯して、信照のぶてる様の兵を割くのが目的でございますな」

「その通りだ」


信玄しんげんの予想進路は、東山道 (中山道)と旧東山道 (旧中山道)、さらに南に下った矢ヶ崎峠、稲村山を越えた入山峠、谷急山の大遠見峠を越えた和美峠などに分散して兵が押し寄せてくると思われた。

そうなると、東山道 (中山道)の出口になる矢ヶ崎山と離山に砦を造って待ち構えると、軽井沢の南から侵入し、二つの砦を無視して追分に入ってゆくであろう。

そして、追い駆けて来た織田方を反転して野戦に引き込むと、信照のぶてるは予想した。


「では、矢ヶ崎山と離山に砦を造るのは拙うございますな」

「同じ野戦になるならば、こちらの描いた図で野戦に応じるしかあるまい」

「では、どうなされますか?」

「最短の碓氷峠うすいとうげで網を張る」


元公方義輝よしてるが関東遠征の後に街道の整備を命じた。

越後と関東を結ぶ北国街道と三国街道を整備した。

旧東山道 (旧中山道)は入り組んでおり、整備が難しいので碓氷川の上流の川に沿って新しい街道が造られ、碓氷峠うすいとうげが生まれた。

東山道 (中山道)と旧東山道 (旧中山道)の出口は半里 (2km)と離れていない。

精進場川の辺りで合流している。

街道はそのまま離山の麓を通って追分へ伸びて行く。


信照のぶてるの策は簡単だ。

離山の起伏と湿地帯の葦を利用して、相手に気付かれないような空堀を造る。

後は追分に引いて、織田方は軽井沢を抜けた追分で決戦に応じるように見せかけるという策である。

ここまですれば、信玄しんげんは軽井沢に分散して入る事に意味が無くなる。

最短の東山道 (中山道)を通って、碓氷峠うすいとうげを越えてくるに違いない。

そして、そうなった。

相手の出方を確認してから織田方は出陣した。

離山の南側にある丘に本陣を置き、精進場川を決戦場とし、本隊を前進させて布陣した。

ここから軽井沢の全域を使った騙し合いが始まると信照のぶてるは予想した。

まず、北への迂回を防ぐ為に忍び衆に地雷帯を設置させた。

南は湿地帯が広がり、迂回するには矢ヶ崎山を越えねばならない。

その矢ヶ崎山の裏側に伏兵を置いた。

この伏兵は、他の山道を通って軽井沢に侵入した敵に対応する兵でもある。

ここから先は臨機応変りんきおうへんだ。


どんな奇策が飛び出すのか?

こちらに配置された黒鍬衆の実力が試される。

長頼ながよりはそう緊張して対峙していたのに、信玄しんげんはほとんど無策で突撃して来た。

あり得ない?

信玄しんげんは何を考えているのかと思考するが答えが出ない。

とにかく、予定通りに兵を引いて『死の間合い』に引き込む。

こちらの撤兵に応じて敵が引くかもしれない。

そんな懸念を持ちながら、父の造酒丞みきのじょうが反転するのを見て、長頼ながよりは本隊の鉄砲隊を先に下げた。


造酒丞みきのじょうが率いる1,000人の兵は那古野と東三河の者であり、造酒丞みきのじょうが手塩に掛けて育てた。

見事な統一した動きで敵を一押しすると一斉に引いた。

右翼、左翼の兵は佐久の徴兵であり、厳しい訓練をしていない農兵の動きは緩慢だ。

最初の一撃までは隊列を乱さずに進めたが時間が経つと綻びが生まれ、陣が崩れて押し戻されていた。

最奥まで進んでいた造酒丞みきのじょうが抜け出して来ると、慌てて左右の兵を引いたが総崩れだ。

崩れた織田方に気を良くした関東軍が何も考えていないように追い駆けてきた。

先に下がった長頼ながよりが本陣で反転して、本隊の鉄砲隊を整えながら困惑する。


(『信玄しんげんは何を考えている。判らん。不気味過ぎる』)


内心は焦っていても大将が狼狽する姿を兵に見せる訳に行かない。

まるで当然のような顔をして、父の造酒丞みきのじょうと兄の清長きよながが戻って来るのを待った。

逃げ遅れた佐久の武将や兵の首を狩っていた為、関東軍の追撃速度が落ちている。


(『ない、ない、ない、あり得ない。速度を落とさずに父上と同じように雪崩れ込まないと鉄砲の餌食になるぞ』)


気が動転したのか、長頼ながよりは相手の失態にすら突っ込みたくなる。

この状況をひっくり返す策があるように思えて不安に駆られた。

しかし、関東軍は逃げ遅れた兵の首を狩ると、再び追撃の速度を上げた。

すでに織田方の大半は安全圏まで来ていた。


(『え~~~い、もうどうにでもなれ』)


長頼ながよりは腹を据えた。


『放て!』


ダン、ダァダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダァ~ン!

本隊が放った一発の弾音を合図に、左右に身を隠していた鉄砲隊の鉄砲が一斉に火を噴いた。

身を守るべき竹盾も放り投げて追って来ていた関東軍の兵がばたばたと倒れてゆく。

たった一撃で400人から500人の命が消し飛んだ。

負傷者を入れるともっと多い数になるだろう。

しかも関東軍の足が止まっている。

何が起きたのかが判らないという顔で茫然と立ち尽くしている。


『あいつらは馬鹿か』


本隊の鉄砲隊も前に味方がいなくなったので鉄砲を構える。

ダダダダダァダダダダァダダァダダダダダダダァダダダダダダダァダダダァ~ン!

第二射が撃たれた。

わずかにタイミングがずれた音を出していた。

また、数百人がばたばたと倒れた。

恐怖に引き攣った兵が逃げ出した。

戻って来た造酒丞みきのじょうが余りの成果に目を丸くしている。


「この鉄砲の十字砲火は凄まじいな」

信照のぶてる様が考えられた鉄砲の運用方法の1つです。敵を密集させて、左右から撃ち抜きます。効果は見ての通りでございます」

「よくぞ、気づかれずにいたな」

「矢ヶ崎山の裏手に隠した伏兵に気が削がれたのでしょう」


これも織田忍び衆の働きのお蔭だ。

鉄砲を撃つとすぐに弾を詰め直し、準備が終わった者が撃ってゆく。

ダダダダダダダァダダダダダダダァダダダァ~ン!

ダダダァ~ン!

ダダァダダダダダダダァダダダダダダダァダダダァ~ン!

ダダダダァ~ン!

数多の死体が転がり、傷ついた者は腕を抑え、足を引き摺りながら撤退して行く。

精進場川に辿り着くまで鉄砲の発射音が続いた。


被害が拡大した頃に、矢ヶ崎山の山頂付近で爆発の煙が上がった。

形勢逆転で敵の兵が浮き足だった所を一気に駆け登って、山頂から火薬玉を使ったらしい。

何もせずに登山だけで終わるのではないかと焦った伏兵組が無茶をやった。

持って来た火薬玉を次々と投げ入れる。

敵兵の元に転がって行って爆発した。

動揺した敵は撤退を開始して、それを追い駆けて逃げる敵に投げ込んでいた。


因みに、『どんくりころころ』の由来は、信照のぶてるが4歳の時にはじめて火薬玉を使った事に由来する。

村人に説明する時に『どんぐり』を使って転がせて見せた。

こっそりと丘の上から火薬玉をころがし、盗賊を混乱させた所で村人をけしかけて倒した。

村人は火薬玉を『かみなり様』と呼んで、より一層敬うようになったそうだ。

その経緯から導火線の長い火薬玉を『どんぐり弾』と呼び、導火線の短い火薬玉を『発破弾』と呼ぶ。

この『どんぐり弾』は砦や山の斜面から転がして敵に放り込むように使う。

策名『どんくりころころ』は信照のぶてるの欠点の1つだ。

誰が聞いても間の抜けた策名だ。

力が抜ける。

だが、名前など記号の1つだと言って一度使った策名を変えない。

締まらない名称と思うが、変更が利かないのだ。


山頂から下へ下へと爆発の煙が下がって行く。

逃げて行く敵に追い駆けて『どんぐり弾』を放り投げているようだ。

しかし、長頼ながよりは眉を寄せる。

途中の林などに伏兵などを用意されていれば、大変な被害にあったかもしれない。

迫撃砲の準備が終わると山頂から砲撃も始まり、無差別に攻撃が始まった。

これで大勢が決まった。

狭い街道に逃げ遅れ、降伏する敵も現れた。


「父上、追撃はここまでです」

「何を恐れておる」

「必ず、伏兵を隠しております」


信玄しんげんの影に怯える長頼ながよりの慎重過ぎる判断であった。

しかし、それが正解であった。

まったく言う事を聞かない関東の武将らに見切りを付けた秋山-虎繁あきやま-とらしげは武田1,500人を街道沿いの各所に伏兵として隠した。

関東軍に靡く武田菱は傭兵に持たせた偽物だったのだ。


元関東管領上杉-憲政うえすぎ-のりまさが逃げ出す。

それを合図に大挙して逃げ出した。

関東軍は総崩れした。

だが、街道は狭い。

織田方に降伏する者などが続出した。

追っていれば、碓氷峠うすいとうげの先で地獄絵図のような惨劇が起こるハズであった。

追ってきた織田方の大将首を討つのが、秋山-虎繁あきやま-とらしげの狙いであった。


秋山-虎繁あきやま-とらしげは有能な軍略家であったが、信玄しんげんのような風格はなく、話術も長けていない。

関東の兵が巧く動かない。

他の武田武将は吠えるばかりで、それで動くのは甲斐の兵のみであった。

今回の目的は、佐久に配置された織田の兵を北信濃に送らせないこと。

ならば、関東軍を追いたくなる状況を作ればいいと改めた。

思考が柔軟というか、大胆というか、人を食ったような性格なのだろう。


伏兵は失敗したが、その策はおおむね成功した。

造酒丞みきのじょう碓氷峠うすいとうげを越えて逆侵攻して来たのだ。

長頼ながよりの慎重な性格は進軍を急がせない。

織田忍び衆を先行させて偵察を行った為に、伏兵は悉く失敗した。

上野に入っても手堅く砦、城と落としてくる。

武田軍は風のように現れ、蜂のように刺す攻撃を繰り返した。

被害は少ないが、織田方の諸将を怒らせるには十分だ。

これで満足して引き上げるという選択を潰した。


「命令に従わぬ者は厳罰に処すると思え」


長頼ながよりが諸将の怒りを城取りに変えさせた。

もう十分だ。

松井田城を落とし、人見城も落とした。

だが、これにて撤退などと言える雰囲気ではない。

武田菱がぶんぶんと飛んで五月蠅い。

長頼ながよりは制止に苦労する。

このまま勢いで元関東管領上杉-憲政うえすぎ-のりまさを追って平井城ひらいじょうまで攻め上るという雰囲気になる。

長頼ながよりは諸将を止めて、手短な名山城、筑前上の砦、菅沼城、滝山城と手堅く落としてゆく。


城取りで喜んでいる所に武田菱が飛んで来て、外側に小さい被害を与える。

浮かれている諸将に冷や水が掛けられ、画竜点睛がりょうてんせいを欠く。

城一つくらいでは諸将の怒りが収まらない。

勝ちに自惚れて、怒りに任せて諸将が勝手に動き出せば、秋山-虎繁あきやま-とらしげが狙う本陣への突撃も有り得たのだが、雨が降るだろうと長頼ながよりが諸将を止めて、兵の指揮が乱れない。


そして、その均衡は脆くも崩れる。

一日に三城を落とす火力は周辺の領主達を怯えさせた。

鉄砲で威嚇し、正門を火薬で吹き飛ばす。

空いた門から兵が雪崩込み、城内の弓兵は素早く鉄砲で始末して城を落とす。

関東では北条ほうじょう-宗哲そうてつもやっていた攻城戦の織田マニュアル通りの攻め方なのだが、上野国の領主達にとっては未知の戦い方だ。

日ごとに城が落ちて行く。

ある一線を越えた所で上野国の領主達が寝返り出した。

造酒丞みきのじょうに降伏し、兵を出す領主が現れると織田方の兵が一気に膨らんだ。


上野国の領主達が武田を見限った。

拠点を失った秋山-虎繁あきやま-とらしげは負けを認めて、三国街道を通って信玄しんげんのいる越後に逃げた。

その後、織田方は勢いの儘に平井城ひらいじょうを落とし、元関東管領上杉-憲政うえすぎ-のりまさを捕らえ、上野国を制した造酒丞みきのじょうは北信濃に兵を戻す機会を失った。


「怒りに任せて兵を拡散させなかった。長頼ながより様の見事な手腕に感服いたしました」

「敵の将を思いの儘に動かせる軍略に舌を巻くばかりでございました」

「ご謙遜を。長頼ながより様の自制心は某の策を完全に崩壊させました。見事の一言でございます」

「崩壊などしておりません。見事に釘づけにされてしまいました。戦略的には私の敗北です」

「いやいや、某の負けでございます」


後に、長頼ながより秋山-虎繁あきやま-とらしげは互いの負けを認めあったと言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る