閑話.新吾の三国平定。
(永禄3年9月12日(1560年10月11日))越後 春日山城
新吾(
「
「顔を上げよ。もっとちこうよれ」
新吾は2歩3歩と近づくと
副将の
「帰蝶義姉上と相談の結果、新吾には越中、能登、加賀の三国を平定して貰う。武威を示すだけだ。難しい話ではない。楽な仕事だ」
「お待ち下さい。
「うむ、箔が付く」
新吾は戸惑いながら様子を伺った。
しかし、
試されているのだろうか?
などとも考えてしまう。
「そう固くなるな。尾張に戻れば、従兄弟から義兄弟になる。晴れて織田一門衆だ。帰蝶義姉上を助けて貰わねば困る」
新吾は元々
その後、|妹らの誰かを嫁にする話が上がったが、信長と
「別に反対していた訳ではないぞ。武家の習わしは判っているが、どうも俺の妹らは
因みに、信長は妹らをどこにも嫁にやらんと訳の判らない事を最初は言って、帰蝶に叱られたらしい。
単に政略結婚に使いたくなかっただけのようだ。
信長もそんな事を言わなくなった。
だが、最近は願っていた事とは勝手が変わって来た。
どうしてそうなったか判らないが、お市やお栄などは
こんなハズではなかったと何度も言う。
他の姫もこれからどんな風に育つのか判らない。
姫の心配より、その嫁ぎ先の方が心配になって来たらしい。
新吾は
その中から信秀13女のお色が新吾の婚約者に選ばれた。
来年は9歳となり、
その半年後に嫁ぐ事が決まった。
まだ、床に臥せっているが、
守護代であった
対抗していた
それでも
しかし、加賀国の一向一揆が越中まで波及し、それを契機に神保家と椎名家の対立も深刻化して行った。
武田と上杉の代理戦争になるハズであった。
だがしかし、急展開で武田と上杉が和議を結び、
今年 (永禄3年、1560年)3月に
そもそも能登守護の能登畠山家第9代当主
その
争いに疲れた能登畠山家が力を失い、畠山七人衆と呼ばれる年寄衆組織に実権を奪われ、
その後に謀略を持って畠山七人衆の実権を握る
織田方の加賀一向宗に味方して、一向宗の代わりに越中を攻めるなどあり得なかった。
結局、
加賀は加賀で複雑であった。
加賀一向宗は織田方であったが、大坂御坊は幕府方である。
加賀の門徒も二つに割れていた。
大恩ある
悩み所である。
その
見捨てられた
これを聞いた越中の領主達が旗色を変えて、
織田方を自称する
「新吾は余計な事はせず、織田家に降りたい者を受け入れよ。所領安堵の約束もしてはならん」
「畏まりました」
「
「同行せずともよろしいのでしょうか?」
「必要ない。
「畏まりました」
能登の
加賀では一向宗が推薦する僧を領主に認めるだけで良いと言われた。
守護と守護代は京に僧を上洛させて正式に与えるらしい。
それでは加賀が一向宗の国になってしまうと新吾は心配する。
「百姓の持ちたる国をお認めになられるのですか?」
「長島や大坂御坊では酷い目に遭わせておる。然れど、尾張や三河の一向宗は忠義を尽くしておる。1つくらいは恩義に報いねばならん」
「しかし、秩序が保たれるのでしょうか?」
「問題ない。仮と言っても守護、守護代、領主を置かせる。その次期領主候補は尾張の学校を卒業しないと継げない。織田家の流儀を知る者が就く」
駿河、信濃、越中より東は尾張の学校に次期領主候補を送る事が義務付けられる。
人質に近い制度だが、人質のような制約はない。
休学届けを出せば、いつでも帰国できる。
卒業できないと領主を継げないだけだ。
卒業者が居ない領地は代官を派遣するので新幕府 (織田家)も問題ない。
「実はな新吾。寺の住職も学校制度を作り、卒業しないと住職になれないようにしようかと思っておる」
「そんな事ができるのですか?」
「何も我らが教えるのではない。僧侶を派遣して貰って各宗派の者が教える。一箇所で教えさせるだけだ。但し、その学校の入学する準備段階として、初等科の学校を卒業している者とする」
「すべての僧侶となる者に織田の流儀を教えておくのですね」
「そういう事だ。荷物のついでに僧侶も運んでやると言えば、手間も要らん。一箇所に集めて教えた方が合理的であり、質も向上する。悪い話ではないであろう」
常識を覆す提案である。
それぞれの寺が教えていた事を1つの学校で教える。
各宗派の結束力が上がる。
移動手段を織田家が提供すれば、不可能ではないと思える所が
話が終わると新吾は部屋を出た。
余りに多くの情報量に頭がくらくらとした。
◇◇◇
(永禄3年9月14日(1560年10月13日))越後
新吾らは春日山城を出発し、翌々日には糸魚川付近にやって来た。
この
何でもよく氾濫を起こす
その川に付けられた仮浮き橋を渡りながら、
「
「何をでございますか」
「この川の上流に至宝と呼ばれる
「商人がこの浜辺で小さな
「今は取り尽くして見る影もない。誰も覚えている者もいない。土地の武士まで驚いておった」
「新発田から出る燃える水も買い上げると言っておられましたな」
「我らとは見えているモノがまるで違う」
そう言うと新吾は難しい顔をした。
同じような歳で父である
格の違いを見せ付けられた思いであった。
「越後の石高を二倍にできると思うか?」
「
「そうだな」
「
「雨が降る度に浸水する所には川鳥でもなければ棲めぬ」
「河の流れを変えれば、広大の農地が生まれます。そこに
その
歯止めなしで治まるのかと新吾は思った。
「
「蝦夷地の開拓は越後の叛乱を防ぐ事になるのか。待て、それでは河川の改修は誰にさせるつもりなのか?」
「そこが
「なるほど、分かれた四つの守護代が1つに結託せねば、対抗できないな」
「そうなるかと。さらに佐渡に織田家の軍港を造るとおっしゃりました。北周り航路の拠点にするそうです。ならば、織田家の帆船に積まれた大砲が越後の海岸を睨み付ける事になります」
「それは怖いな」
領地安堵ではない。
河川の改修に伴って、領地の移動や交換があると言った。
村同士が憎しみ合い、常に問題を起こす村は村ごと移動を命ずる事もあるらしい。
逆らう者は根切りすると脅していた。
「5年後には石高二割増しを約束させておりました。厳しいだけではありません」
「飴と鞭と言う奴だな」
「この越後と蘆名領に子飼いの黒鍬衆50人と兵2,500人を残されます」
「甲斐や信濃には5人ずつしか残しておらん。それに比べると本気なのだろうな」
「今栄えている直江湊にも、これから造る新潟湊に負けぬようにと発破も掛けておりました」
「冗談に聞こえない。翡翠や燃える水や新田開発といい、話が大きすぎて何が何やら良く判らん」
「それが
新吾と
まだ、のほほんとしていた。
◇◇◇
(永禄3年9月18日(1560年10月17日))越中 富山城
新吾率いる織田・美濃軍は富山城を拠点に活動する。
先行していた
「…………以上でございます」
「大義であった」
「急ぎ、暴れている者に書状をお配り下さい」
「直ちにさせる」
「某は一足先に飛騨に向かいます」
「急ぐ理由があるのか?」
「
「仇討ちだと?」
「ははは、三国を治めた後にゆっくりと説明させて頂きましょう」
言うだけ言って
新吾は置いて行かれた書類の山を見て溜息を付いた。
これを全部読めと言うのか?
「急ぎましょう」
「
「何も一人で見る必要はありません。我らも手分けして確認してさせてゆきます」
新吾が連れてきた側近5人が三国の詳細な情報を確認する。
守護、守護代は言うに及ばず、領主やその家臣までの情報が列記されている。
まず、国ごとに分け、領地ごとに分けてゆく。
新吾は書類を確認しながら、右筆に停戦命令と富山城へ登城する手紙を書かせ、飛び込んで来る家臣にも対応する。
忙しい。
とにかく、忙しい。
「
「そんな事を言っている暇はございません」
「
「知りません」
「私も無理だと思うのだ」
「いいえ、知りませんが
「
「某も連れてきた諸将の対応に加え、能登と加賀への先遣隊の選別もせねばなりません。手伝う余裕などありません」
「出陣したいと願い出てくる者だけでも何とかしてくれ」
「判りました。キツく言い聞かせておきます」
「そうだ、一緒に来た黒鍬衆の者に手伝わせよう。武に限らず、内政もできると聞いた」
「無理でございます。黒鍬衆は
「良いと思ったのだが、無理か」
「この忙しさを見ていますと、織田の者が優秀な者が多い理由が判ってきました」
「何故だ?」
「新吾様も側近の者も初日とは比べられないほど、仕事ができるようになっているではありませんか」
「そんな事を聞きたいのではない」
新吾は次々と登城してくる者の情報を側近から聞くと、あいさつを終えると次々と出される要求に対応する。
一方的に話を聞けば、筋の通っているように聞こえる。
事前に集められた情報を頭に入れてなければ、騙されたかもしれない。
こんな事もあった。
「
「まったくでございます。どうか斎藤様のお力で土地の返還をお願い致します」
「それはできん」
「何故でございますか?」
「そもそも、その土地はそなたが横領した土地であろう。取り戻されたからと言って、こちらを頼って貰っては困る」
そんな案件を新吾は処理して行き、最後まで粘っていた
槍1つも使わない平定であったが、新吾は疲れ切った。
終わったと寝転がった。
「新吾様、まだ能登と加賀が残っております」
「
「
「叱責だと?」
うげぇ、内ノ臓にあるモノをすべて吐き出したくなるような感覚に襲われるのに耐えた。
叱責は拙い。
それができないのは無能者だ。
その烙印は致命的だ。
姉上(帰蝶)に顔向けができなる。
新吾は力なく立ち上がると能登に向けて出立する。
「内心はともかく、
「そうであって欲しい」
能登の畠山家は
佞臣らは謀り事が好きらしく、話を聞くのも苦痛であった。
何の訴えがあっても他家の事に口出しはしない。
代官を置く事と守護、守護代、領主の次世代の者を尾張に派遣させる事を承諾させた。
さて、加賀では大歓迎を受けた。
あちらこちらの寺から接待を断るのに苦労した。
領主に任じるに当たって、他宗派への弾圧や横領の禁止を盟約させた。
その際に1つ1つの事例を上げると効果的であった。
織田方はすべて承知しているという姿勢を貫く。
情報の有難みが身に染む。
だが、それを丸暗記するのが辛い。
毎日、毎日、新吾は予習と反省の繰り返しだ。
これほど勤勉に学んだ事は記憶になく、寝る暇もないと嘆く。
だが、これが
これのどこが楽な仕事だ。
一ヶ月半、新吾は苦悩な日々を続けた。
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