第22話 天下分け目の戦場はどこだ?

(永禄3年 (1560年)4月初旬)

京で何があっても良い様に清洲にもどっていた常備兵4,000人と黒鍬衆500人を近江の国境まで進めておいた。

公方の義昭(よしあき)がやっと一時停戦を承諾し、誠仁親王(さねひとしんのう)が伊勢に向かわれる。

親王が使われる街道は鈴鹿峠越えの鎌倉街道であった。

御所を出発し、大津、草津、石部、水口、土山、坂下へと至ると鈴鹿越え、伊勢に入る。

伊勢の関で鎌倉街道を外れ、伊勢別街道を経由して伊勢街道を通って伊勢神社へと至り、おおよそ半月を要して到着する。

六角-義治(ろっかく-よしはる)もそこまで馬鹿ではないのか、停戦に従って大人しくしてくれた。

親王の護衛と称して幕府方の兵を同行させる事を要求した。

中々、強かな策と思ったが違ったらしい。

親王一向の安全を考えて、一日後ろで同行を許す。

見送りの代表は管領筆頭の畠山-高政(はたけやま-たかまさ)と奉公衆の一部だ。

総勢一万五千人が水口まで同行し、停戦が終わると甲賀攻略の部隊になる。

高政(たかまさ)らは織田家と直接に戦うくらいなら甲賀衆と戦った方がマシと考えた。

何とも消極的な策だった。


同じ様に、摂津、堺、和泉を平定した幕府方の軍が上洛し、京を素通りさせて観音寺城へ向かわせた。

これは俺の指示(脅迫)だ。

奉公衆代官の兵のみならば、現地での乱暴・略奪の禁止を徹底的に教育しているので問題を起こさない。

しかし、一緒に上洛を命じられた中国地方(播磨、但馬、備前、備中、美作、因幡、伯耆)の領主が連れている兵は守る様子がない。

現に摂津や和泉で起こった三好との戦いの後に略奪行為が発生した。

幕府が厳しく罰しなかったので完全に規律が緩んでいる。

そんな危険な連中を京に一日でも置きたくない。

追い出すぞ。

なんて考えた所で実行するは幕府です。

こちら思惑通りに動かすなど出来る訳もなく…………できました?

義昭(よしあき)のお気に入りの側近達が脅迫に脆すぎ、こちらの言い成りになってくれそうだ。

武衛屋敷の惨状を見て見限った。

主人の義昭(よしあき)より御身大事とはロクな奴じゃない。

太鼓持ちばかりだ。

加えて畠山中務少輔の湯川-直光(ゆかわ-なおみつ)の命乞い来た。

直光(なおみつ)は管領筆頭の畠山-高政(はたけやま-たかまさ)の側近中の側近であり、高政(たかまさ)が頼る側近だ。

その直光(なおみつ)が高政(たかまさ)の命乞いをしてきた。

これである程度はこちらの思惑で幕府を動かせる。

さっそく近江へ兵を移すように命令しておいた。

裏切った側近らが公方義昭(よしあき)にこう言って聞かせたらしい。


「上洛した中国の者は元尼子家に仕えていた者がおります。公方様の首を狙い、織田に媚びて一国一城の主とならんとする不逞(ふてい)の輩がおるかもしれません」

「そのような者は打ち首にせよ」

「証拠もなく、首を落としては兵を引き上げて帰ってしまいます」

「それは駄目じゃ」

「しかし、誰が公方様の首を狙っておるのか判りません。上がってきた兵は京に留め置かず、近江の援軍として送り出すのがよろしいと思います」

「良きに計らえ」


こんな感じで一日だけ謁見の為に留まると、そのまま観音寺城に向かうように命じられた。

幕府軍が観音寺城に集結した。

だが、畿内に派遣された奉公衆代官の兵は織田家と戦う事を嫌がったのだ。

正確には兵が嫌がった。

もう忘れているかもしれないが、畿内に派遣された兵は俺に疫病から助けられた元難民で構成されていた。

京で土木工事と兵の基礎をみっちりと教えられた者達だ。

俺が出てくれば逃げると明言する。

槍を向けた瞬間に天罰を下されて地獄に落とされると恐れ、そんな感じで怯える兵が半数もいる。

何か正論っぽい事を言って織田家との決戦を避ける事にした。

こうして畿内の奉公衆代官の一万五千人は佐久良(さくら)城と日野城の攻略に回った。


つまり、畠山-高政(はたけやま-たかまさ)が率いる紀伊・河内・大和の幕府軍の一万五千人、畿内の奉公衆代官の兵一万五千人の合計三万人の兵が脱落した。

織田家との決戦に挑むのは、織田家と戦った事のない摂津から西の奉公衆代官と領主達となる。


「総勢六万騎か、大戦になるな」

「兄上(信長)、本気で言っておりますか?」

「何か拙い事を言ったか」

「兄上(信長)は総勢五万騎を出すと公言したのです。ほぼ同数の六万騎で勝てると幕府が思いますか?」

「う~ん、足りんか」

「全然足りません。北近江、若狭、丹後、丹波にも動員を掛けて、三万人を足すようです」

「それで九万騎になるな」

「それでも足りないと思ったのか、越前の朝倉にも兵を出すように何度も使者が走っております」


越前の朝倉家は一万二千人の兵を出せる。

加えると十万人を超える。

この時期からすれば大変な数だ。

集結するだけで一ヶ月近く掛かってしまう。


対する織田家も大垣城周辺の兵を送りはじめていた。

兄上(信長)が言った五万人を揃える為にもう使うつもりがなかった農兵までかき集める。

農民達もこれが尾張で起こる最後の大戦だと口々に言う。

さて、どこを戦場にするかだ。


「坂田郡で北の兵を牽制しつつ、4月末に野良田を決戦地でよろしいか」

「駄目だ。野良田は京に近すぎる」

「初日は牽制に留め、翌日の早朝に勝敗を決めれば、十分間に合うと思いますが?」


野良田は観音寺城から北東に2里半 (10km)の所にある平地だ。

進出して来た織田軍を幕府軍10万騎で半包囲する広さがある。

摂津で上陸する兄上(信長)は京まで20里 (80km)を走る事になる。

夜通し走ったとしても丸一日を要する。

京を制圧する時間が足りないと考えていたようだ。


「足らぬ。しかし、それ以前が問題だ。野良田に至るまで織田家は坂田郡を取り返し、佐和山を越える必要がある。つまり、織田家が連戦戦勝する事になる」

「弱腰になった公方が逃げ出すと」

「そうだ。決戦に及ぶ前に兵を引き上げられては堪らん。決戦地は今浜が良い」


義昭(よしあき)を観音寺城に引き止めておくように命じておくが、絶対とは言えない。

しかし、義昭(よしあき)一人が京に帰ってもどうという事はない。

それより今浜の方が問題だ。

近淡海(ちかつあはうみ)(琵琶湖)の東に当たる湖北平野も十分な広さがある。

問題はどうやって釣り出すかだ?


東山道を押さえた儘では幕府軍も退路を断たれる危険があるので全軍で出てくれない。

少なくとも義昭(よしあき)が出て来ない。

野良田ならば、出て来なくとも観音寺城から眺める事ができるが、それより東となると釣り出す必要がある。

国境の今須までの東山道を明け渡すと、幕府軍は北側を迂回して湖北平野を分断してくる。

今浜で突出した軍は完全に孤立する。

半包囲どころか、完全包囲される事になる。

流石に駄目だ。

今川-義元(いまがわ-よしもと)との戦いで博打(ばくち)は懲りた。

次は外れを引く自信がある。

もう二度とやらない。

俺が首を横に振る。


「ならば、10万人の観客を配置できるのはここか」


兄上(信長)が扇子で関ヶ原を指した。

少し手狭であるが、桃配山(ももくばりやま)に本陣を置き、三方の山々を観客席と見立てれば、幕府方10万騎も配置できそうだ。

『古今和歌集』で「関の藤川」と呼ばれた藤古川(ふじこがわ)が水掘のような役割を果たす。

実際、河川改修が終わった藤古川(ふじこがわ)では橋が掛かっている二か所以外から渡河して攻める以外はかなり苦労する。

城に籠るようなモノなので義昭(よしあき)も安心して出陣できる。


西側を走る相川(あいかわ)も同じだ。

相川(あいかわ)より東側に配置すると、上流を迂回するか、関ヶ原の中央に掛けた橋を渡る必要がある。

これでは援軍が送れない。

そう考えると、相川(あいかわ)と藤古川(ふじこがわ)の間に敵の本隊が配置される。

中央を流れる梨木川(なしきかわ)は水量が少なく、川幅を狭く板で仮設の橋を掛ければ問題ない。

安全と思っている西側で布陣して義昭(よしあき)は戦場を見渡せる。


「田畑が荒らされるのは迷惑なのです」

「水田が多い訳ではなかろう。戦には問題ない」

「確かに問題はありませんが…………」


兄上(信長)が言う通りで被害は極小的だ。

砂磯(されき)台地で水捌けが良過ぎて水田に向かない。

河川の改修が終わらないと畑として機能しないので河川の改修を先にしてきた。

ゆえに、完成した畑も少なく、まだ収穫量も知れている。

その、やっと完成してきた畑が踏み荒らされる。

関ヶ原の移住した者の事を思うとちょっと可哀想に思えた。


「耐えてくれ。敢えて負けてやらねば、公方様も出て来れまい」


そりゃ、そうだ。

だが、言うは易し、実行するのは大変だ。

古来、戦場は両者の阿吽(あうん)の呼吸で決まってゆく。

織田家が一方的に決める事ではない。

しかし、義昭(よしあき)の側近の何人かはこちらの意図で動かせる。


まず、俺と兄上(信長)が指揮権を争って兵の準備が遅れていると情報を流す。

義昭(よしあき)方の間者を放って確認するハズだ。

それに合わせて、兄上(信長)の常備兵を下げさせ、俺の兵を入れ替える。

実際は別働隊の再編成であり、海上輸送の為に呼び戻すのだが、向こう側から見れば、織田家がモタついているように見える。

そこで義昭(よしあき)が攻勢に出るように裏から唆す。

幕府軍の大攻勢に坂田郡に援軍を出している氏家-直元(うじいえ-なおもと)には巧く負けを装って国境まで引き上げて貰う。

東山道を奪われたように見せかけよう。

退路を失っては大変と直元(なおもと)に撤退の指示を出す。

もちろん、坂田郡で六角-義賢(ろっかく-よしかた)方に与する者を一緒に引き上げさせる。

とにかく、それで国境を固めさせる。


そこに織田方は大垣城で兵の集結が遅れているという情報を流す。

俺は美濃の斎藤-義龍(さいとう-よしたつ)(元高政(たかまさ))を黙らせて、後顧の憂いを無くしてから幕府との決戦をするという。

一方、兄上(信長)はすぐに幕府と対決するという。

二人が正面から対立し、俺が強制的に兄上(信長)を清洲に送還したとでもするか。

軍の一部が引き上げる騒ぎを起こさせる。

林-秀貞(はやし-ひでさだ)らをここで大垣から清洲に戻そう。

秀貞(ひでさだ)らの別働隊に同行する者を、ここで大垣から退場させる。

大垣で揉めているので援軍が出せないという噂を流す。

これで関ヶ原方面は国境を固めるだけだ。

俺は幕府がすぐに攻めて来ないとタカをくくっていると誰かに言わせよう。

そうなれば、幕府が取る行動は1つだ。

織田家の隙を突いて幕府軍が国境に兵を進める。

ここまでくれば、後は仕上げだ。

最終的に須川山砦、今須城、玉城、松尾山城、上平寺城を放棄して舞台が整う。

当然、城下町と関町も放棄する。

関ヶ原を戦場に設定するには、こんな感じの策が必要になる。

何というか、大掛かりで手間の多い作業だ。


「よくも、さらりとそんな策が浮かぶものだな」

「はじめから色々な事態を想定しています。俺の中では下から数えた方が早い最悪に近い策です」

「その策でよかろう」

「いくつかの城と町を放棄せねばなりません」

「清洲城や那古野城のような貴重の城でもあるまい」


相手を威嚇する為に築城した浜松城を例外とするならば、俺は大垣城を最後に堅固な城は造らせていない。

あくまで石垣を組ませたのみで見た目を美しく仕上げているが、機能美を求めて城を造らせている。

よって、それほどの防御力はない。


「半里 (2km)も飛ぶ大砲があれば、城を堅固にする価値はもうない」

「その通りです」

「大砲を揃えれば、城に籠っていても守れまい。城に大砲を設置しても同じ事。大砲同士が撃ち合えば、城壁の意味もない」

「本気でこの策を採用する気ですか?」

「うむ、これにする」

「判りました。いつでも取り戻せる四城一砦は放棄しましょう」

「すまんな、手間を掛ける」


関ヶ原から京まで20里 (80km)余りもある。

京に逃げる義昭(よしあき)、摂津から京を目指して西国街道を上る兄上(信長)とほぼ同じ距離だ。

どちらの街道も整備されており、川にも橋が掛かっている。

摂津には組織的に抵抗できる兵も残っていない。

確かに大坂御坊に兵くらいは残っているだろうが、淀川の分水が多く、川幅が広過ぎる。

淀川には橋が掛かっていないので大軍は出せない。

これで条件的な差はない。


「では、関ヶ原を主戦場とします。相手がいるので状況は変化します。後はこちらで勝手にさせて貰います。文句はございませんな」

「あぁ、後は好きにせよ」

「その言葉、覚えていて下さい。帰蝶義姉上、聞きましたな」

「はい、確かに聞きました」


よし、これで言質を取った。

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