閑話.後藤高治の逆襲はなしよ。

(永禄3年 (1560年)3月中旬から4月初旬)

後藤-賢豊ごとう-かたとよ六角-義賢ろっかく-よしかたに仕え、進藤-賢盛しんどう-かたもりと共に『六角氏の両藤』と呼ばれる宿老であった。

きぬがさ山 (観音寺かんのんじ山)に後藤館を持っており、奉行人として六角家の当主代理として政務を執行していた。

家中における人望も厚く、力を付ける賢豊かたとよに対して義治よしはるは不安を覚えていた。

後藤家を守護代、進藤家を又代にすると義賢よしかたから聞かされた時は目眩を覚えた。


近江守護の六角家が神輿にされる?

直感的に義治よしはるが拒絶する。

もちろん、そんな事はない。

六角家は管領代として幕府の全軍を預かるので彼らの軍権を掌握できる。

決して、他の守護のように名誉職になる訳ではない。

守護代になる後藤家や又代の進藤家の持つ軍を自由に使える。

それどころか、尾張の守護代である織田家すら配下になると聞かされた。

義賢よしかたは敢えて信照のぶてるが帝の名代として守護代の上で監視する事は言わなかったので激情の儘に反抗するような事はなかった。

格の違いをいずれは知ると期待されていた。

それに実行されるのは奥州征伐と九州掌握を終えた2年後か、3年後と聞かされた。

漏れなく全国の諸将が公方様に頭を下げた後だ。

学ぶ時間はたっぷりとあった。

義治よしはるは各地で起こるであろう小さな反乱を討伐するのが仕事になる。


そこまで聞かされても義治よしはるにとって、やはり近江の支配権を譲る事は納得いかなかった。

父の六角-義賢ろっかく-よしかたはまだ39歳であり、あと5年、もしかすると10年は管領代および守護を務める。

まだまだ引退は遠い。

後藤家が守護代になると、近江の仕事はすべて引き継ぐ事になる。

義治よしはるは折角手にいれた役方頭の職を失い、賢豊かたとよの名代という何というか不安定な役職に付く事になる。

何よりも守役である後藤-賢豊ごとう-かたとよが信用できなかった。


『おもらし暴露事件』


お栄とのお見合いで暴露された失態は義治よしはるに人間不信というトラウマを植え付けていた。

賢豊かたとよの嫡男である壱岐守や蒲生-定秀がもう-さだひでの子である賢秀かたひでを側近から外して遠ざけていた。

筆頭家老の後藤家との確執は家督争いで致命傷になりかねない事件であった。

しかし、義治よしはるは運が良かった。

もうしかすると悪運であり、悪魔が憑りついていたのかもしれない。

間を置かずに、織田-信光おだ-のぶみつがお栄の事を謝罪し、信長のぶながの養女を妻に出すという話が上がった。

結果として、義治よしはるは次期当主から脱落する事が防げた。

そして、『永禄の変』が起こると現公方の義昭よしあきが六角家を頼り、義治よしはる義昭よしあきを連れて上洛し、公方に気に入られた。

なんと六角家の嫡男でありながら相伴衆しょうばんしゅうに任じられたのだ。

相伴衆しょうばんしゅうは管領に次ぐ席次の役職であり、管領代の配下で信長のぶながと同じである。

これで六角家の家中での地位が一気に引き上がった。

細川-晴元ほそかわ-はるもとの暗殺が起こると公方様から毎日のように手紙が届くようになった。

そして、公方様の使者として実従じつじゅうがやって来た。

こうして義治よしはる義昭よしあきから近江守護を任じられた。

夢までに見た近江守護だ。

浮かれて皆を集める。

だが、後藤-賢豊ごとう-かたとよ進藤-賢盛しんどう-かたもりの家老が阻んだ。

実従じつじゅうは落ち込む義治よしはるを慰め、悪魔の囁きをする。


“守護職を保留し、伊勢侵攻を取り止める”


使い者からそう聞かされて、賢豊かたとよと息子の壱岐守が胸を撫で下ろす。

そして、義治よしはるから今後の事を話したいと部屋に招かれた。

賢豊かたとよ義治よしはるが憎い訳ではない。

まったく無警戒で部屋に入って行った。


義治よしはる様、思い止まって頂いてありがとうございます」


油断して義治よしはるの部屋に入ってきた二人の背後から種村三河守と建部日向守が切り掛かった。


「織田家と通じていた後藤-賢豊ごとう-かたとよが俺を殺そうと暗殺を謀った為に返り討ちにした」


義治よしはるげき観音寺かんのんじ城の城内を駆ける。

城内には家臣らの屋敷があり、後藤家に同調した者が騒ぐかもしれない。

義治よしはるはまず常駐兵の掌握に走る。

城に戻って来たばかりの六角-義賢ろっかく-よしかたも慌てた。


「気でも狂ったか?」


義治よしはるは『父の義賢よしかたの安全を確保せよ』という名目で兵が押し寄せる。

家老に誑かされている可能性がある。

抵抗する者は容赦なく斬れと命じられていたので義賢よしかたが休んでいた館が騒然となった。

進藤-賢盛しんどう-かたもりがわずかな手勢を連れて駆け付けたが多勢に無勢で事態は混乱する。

実従じつじゅうが連れてきた手勢が義賢よしかたの命を狙って、背中からぐさりと刀を突き刺した。

おそらく、助からない致命傷を負ったと思われた。

その後、遅れてきた進藤しんどう家の兵がやって来て、義賢よしかた賢盛かたもりは何とかその場を逃げる事ができたのだ。

義治よしはるはすぐに追い駆けている余裕はない。

観音寺かんのんじ城とその周辺を完全に掌握するのが先だったのだ。

多くの家臣が屋敷から逃げ出し、自領へと散った事で義治よしはる観音寺かんのんじ城を丸1日で掌握し、義賢よしかたが入ったという平井-定武ひらい-さだたけの屋敷に兵を向けた。

定武さだたけは屋敷に籠もって二日も抵抗してし続けた。

三日後に陥落し、義治よしはるの前に義賢よしかたの遺体が届けられた。

もちろん、定武さだたけが用意した偽物であり、義治よしはるはすぐに見抜き、本物の義賢よしかたを探すように命じた。

義治よしはる自身は観音寺かんのんじ城の周辺を完全に掌握するのに時間が掛かった。

近江の武将はどこもかしこも頑固者が多かったからだ。


 ◇◇◇


後藤家の屋敷は観音寺かんのんじ城の北にあるきぬがさ山の頂上部にあった。

きぬがさ山は標高432mの山であり、別名を観音寺山という。

支城に和田山わだやま城、佐生さそ城、箕作みつくり城、長光寺ちょうこうじ城などがあり、それを家臣に守らせる事で難攻不落の山城となっていた。

それを守る家臣らが自領に逃げたので、義治よしはるは割と簡単に攻略できた。

その支城の1つである佐生さそ城は後藤家の次男である後藤-高治ごとう-たかはるが守っていた。


「何だと? 父上と兄上が討たれたと申すか?」

義治よしはる様は襲って来たので返り討ちにしたと申しておりますが、殿が義治よしはる様を襲うなどあり得ません」

「兵を集めよ」

「お待ち下さい。すでに義賢よしかた様も討たれたと報告が入っております。敵は城を守る2,000人が義治よしはる様に付いております。ここには100人余りしかございません。とても敵いません。また、他の家臣も動揺しており、後詰めも期待できません」

「では、どうせよ申すのか?」

「ここは一先ず、某の城である鯰江なまずえ城に移動されては如何でしょうか? そこで兵を集め、それから父上の仇討ちをされるのがよろしいかと」

「判った。従おう。鯰江なまずえ城に移動する」


鯰江なまずえ城は後藤家の家臣鯰江-為定なまずえ-ためさだの居城である。

観音寺かんのんじ城から南西に1里余 (5km)ほど行った愛知えち川に近い平城であった。

為定ためさだは城に到着すると同時に陣触れを出した。

だが、村に配置した代官が抵抗したのだ。


「奉行に問い質し、その許可を貰ってからでないと認められない」

「阿呆か、その役方頭の義治よしはる様が謀反を起こしたのだ」

「私に言われても困ります。代官からそう伝えよと申されただけでございます」

「判った。そのまま中立を保て」


使いを見送りながら為定ためさだは焦っていた。

返事を出してきた代官はまだ領主を立ててくれている方なのだ。

息子の貞景さだかげが入ってきた。


「父上、拙うございます」

「どうした?」

鯰江なまずえ一族の村はこちらに付いてくれましたが、周辺の村では代官が兵を集めて徹底抗戦の構えを見せております。しかも、義治よしはる様に使者を送ったと聞きました」

「勝てるか?」

観音寺かんのんじ城から援軍が来なければ、負ける事はございませんが…………」


貞景さだかげが言葉を濁した。

その意味を即時に理解する。

そうだ、観音寺かんのんじ城が近すぎるのだ。

貞景さだかげが後ろにいる高治たかはるをちらりと見る。

為定ためさだは首を横に振った。

それでは世話になった後藤家への裏切りだ。

高治たかはるを見限る事はできないという意味だ。

近江武士の意地だ。

そんな事はできない。


「父上、目加田-貞政めかた-さだまさに預けるのはどうでしょうか?」

「ここよりマシであろうが大差ない」


目加田めかた家の拠点は城というより館であった。

周辺に赤井氏や吉田氏、高野瀬氏などがおり、互いに争って勢力が拮抗している。

代官が抵抗するのは同じであり、どう情勢が転ぶか判らない。

それに観音寺かんのんじ城の北東に2里 (8km)である。

城に近い事に変わりはなかった。


「では、小倉-実光おぐら-さねみつ殿に預けるのは如何でしょうか?」


為定ためさだが顎に手を当てて考えた。

小倉-実光おぐら-さねみつ佐久良さくら城は鯰江城から南西に2里 (8km)と奥に入った山間やまあいにある。

観音寺かんのんじ城から程よく離れており、山城である為に守り易い。

実光さねみつは実子を亡くし、蒲生-定秀がもう-さだひでの三男である実隆さねたかを養子に貰っていた。

実光さねみつの忠誠を疑う余地がなかった。


「問題は一族衆か」


特に山奥の小倉おぐら西家は独立志向が強く、お互いに用水権利などをめぐって争いが絶えない。

小倉-実光おぐら-さねみつが後藤家に付けば、小倉おぐら西家は義治よしはる方に付くかもしれない。


「この際です。蒲生-定秀がもう-さだひで殿の援軍を申し出ておけば、時間が稼げます。また、織田家にも救援を求めましょう」

「それしかないか」


為定ためさだの指示に従って、後藤-高治ごとう-たかはる佐久良さくら城に避難した。

そして、鯰江-為定なまずえ-ためさだ目加田-貞政めかた-さだまさらは義治よしはる方と戦ったが、援軍が到着すると次々と倒されて、遂に城を放棄して高治たかはるの元に避難してきた。

また、予想通りに小倉おぐら西家が義治よしはる方に付いたので、高治たかはるは周辺の掌握から始めなくてはならかった。

蒲生-定秀がもう-さだひでも同じであり、領内の代官を討伐、あるいは、臣従させ、蒲生家を頼ってきた者への援軍と大忙しである。

織田-信実おだ-のぶざねを大将とした織田家の援軍が到着した頃、やっと周囲の掌握を終え、観音寺かんのんじ城への進軍を始める準備ができた。


信実のぶざね様、援軍を心より歓迎致します」

高治たかはる殿、後藤家の家督を継がれたのです。もう『様』は要りません。某と同格でございます」

「いやいや、某はまだまだ若輩の身でございます。織田家を訪れた時にお世話になった事は一生忘れる事はございません。これからも敬わせて頂きます」

「それはどうか」

「いえいえ、これからもよろしくお願い致します」

「判りました。そこもとの兄君に嫁がせておりました娘をそのまま貰って頂けますか?」

「よろしいので!?」

「あれもその方が喜ぶでしょう」

「これからは義父上ちちうえと呼ばせて頂きます」


高治たかはるは中々に調子の良い性格をしていた。

信実のぶざねもにんまりだ。

この儘、兄から弟へ近江の守護代候補との縁を繋げておく事に意味があった。


さて、織田家の援軍は後藤家や蒲生家の救援を目的としていた。

この時点で信実のぶざねはほぼ仕事が終わった。

ゆっくりと観音寺かんのんじ城方面に向かいながら周辺を調略してゆく。

信長の意図は長門守に手柄を立てさせる事だ。

本隊を追い越して観音寺かんのんじ城を攻略するなどという事を考えていなかった。


「まず、足固めからはじめしょう」

「城を取り戻すのではないのですか?」

「すでに織田家の本隊が向かっております。後藤家に従わせる者らに誰が主人かを判らせてやりましょう」

「判りました」


ゆっくりと腰を落ち着かせ、周辺を確実に掌握する。

そんな戦略を取っていたので本隊が敗退したと聞いて慌てた。


「どういう事だ。負ける要素などどこにもないだろう?」


信実のぶざねは信じられないという顔で使者に何度も問い質す。

兵を分けて散開させていた事を後悔する。

再度、集結した頃には観音寺かんのんじ城に幕府からの援軍が到着し、今度は信照のぶてるからの“待て”の指示が入った。


信実のぶざね義父上、何故攻めてはいけないのでしょうか?」

信照のぶてる様の御意向だ。事は近江だけの問題でなくなった。大局を見ておられる。下手に逆らえば、大目玉だ」

「しかし…………」

義治よしはるに寝返った者をもう一度こちらに引き戻す仕事が残っております」


先戦で浅井家と六角家を天秤に掛けた家は酷い状態であった。

二度と六角家に逆らえないように派遣した代官に兵を付けた。

もちろん、兵は領地から上がる銭で賄う。

代官の家臣は村々に派遣され、その長の一族から妻や子供を人質として、嫁や養子として取られた。

多賀-高家たが-たかいえから貰った藤堂-虎高とうどう-とらたかの領地である犬上郡藤堂村も同じであった。

娘を代官の家臣の嫁として人質に取られた。

また、主家である多賀たが家を守る為に義治よしはる方に味方する事にしたのだ。

虎高とらたかの策は多賀たが家から義治よしはるに届けられ、実従じつじゅうの後押しで実行された。

多賀たが家は多賀たが神社を守る一族であり、手出し無用と義治よしはるが言ったので中立が許された。

一方、丸山城の虎高とらたかは何も知らされずに攻めてくる六角の兵の猛攻を耐える。

山手から攻める部隊以外には作戦の内容が知らされていなかったのだ。

六角の兵も本気で攻めているので物見も気が付かなかった。

多賀-高家たが-たかいえは兵を寄越して頂けるならば、織田方に付くと返事が返ってきた。


信実のぶざね義父上、これはどう致しましょう」

「時期を見て兵を送る。それまでは中立を保つように言っておけ」

「判りました。公式にはこちらの誘いを断って中立を保つと言って寄越したとしておきます」

「それでよい」


義治よしはるは幕府の威信を翳して近江の領主に従うように命令するが、犬上郡、愛知郡、神崎郡、蒲生郡、甲賀郡の山間の領主達は動かない。

後藤-高治ごとう-たかはる蒲生-定秀がもう-さだひで三雲-定持みくも-さだもち望月もちづき-出雲守いずものかみらが従わないからだ。

それ所か、じわじわと反旗を翻す者も現れた。

義治よしはるは幕府の更なる援軍を求め、自らは高治たかはるが籠もる佐久良城と定秀さだひでの日野城 (中野城)を攻めた。


「慌てるな。鉄砲も火薬玉も十分にある。簡単には落ちんぞ」


高治たかはるが兵達を鼓舞した。

織田家から支給された鉄砲と火薬玉があり、食糧など支援物資は十分にあった。

さらに遊撃隊として、信実のぶざねらが後背を襲う。


「ははは、他愛も無い。やられる為にやってきたのか?」


義治よしはるは城攻めに失敗した。

高治たかはるらは勢いの儘に鯰江城を奪還しようとしたが、そこに帝の使者がやってきた。

一時停戦だ。


信実のぶざね義父上、これはどういう事ですか?」

「焦るな。すぐに取り戻す」


誠仁親王さねひとしんのうが伊勢に参拝なされる。

通過が終了するまで停戦を命じられた。

これで京に織田方の兵がいなくなり、公方は京を空にして近江に兵を送る事ができる。

その一部が佐久良城と日野城、そして、甲賀の里に向かうのは必定である。


「ご、五万以上の大軍が押し寄せてくるのですか?」

「鯰江城を奪還しても守り切れまい」

「どうするのですか?」

「どうするも何も佐久良城を守り切らねばならない」

「五万を相手にですか?」

「全軍がこちらに来る事もない。一万、多くとも二万は超えん」


東から西方向に張り出した低丘陵に建てられた佐久良城は山城であるが、それほど堅固ではない。

主郭の周辺に土塁を巡らせ、高低差を利用した掘があるくらいだ。

一万以上の大軍に攻められては一溜まりもない。


「時間がない。急ぐぞ」

「何をされるのですか?」

「城を改修するのだ。二万人が攻めて来ても簡単に落ちぬ城にする」

「そんな事が…………」

「鉄砲や火薬の力を甘く見るな。人と火薬は使いようだ」


周辺の村人を避難させ、同時に土木工事で城を強固にする。

六角家の新兵器である小大砲 (大鉄砲)が使われる事も用心するように信照のぶてるから手紙で忠告された。

一方、日野城 (中野城)は佐久良城より1里 (4km)も奥に入った場所であった。

しかも段丘を利用して築かれ、城の周囲に水堀を巡らし、日野川を天然の外堀に見立てて造られた堅固な城であった。

汗水を流している間の時間が過ぎた。

こうして、天下分け目の戦いの前哨戦がはじまろうとしていた。

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