第20話 武衛屋敷の強襲。

(永禄3年 (1560年)4月初め)

ほ~ほ~とふくろうが鳴く、草木も眠る丑三つ時だ。

町の東端を南北に伸びる東京極大路ひがしきょうごくおおじ(寺町通り)は人間界と魔界の境界線と言われていた。

闇夜の中をその通りに七つの影が動いた。

まるで闇色のバックライトに照らされた様に闇の中に黒い影が伸びる。

地獄の閻魔様の使いだ。

御所の手前でその姿がふっと消え、次に武衛ぶえい屋敷の庭に現れる。

ぐさぁ、庭を巡回する兵の背後に回ってぐさりと刺した。


「他愛もない」


見回りの兵7人、警護の忍び3人が瞬時に命を落とした。

黒い影が屋根の瓦から落ちぬように紐で簡単に括り付けていた。

黒装束の男が口元の布を少し下げた。

信照のぶてるの忍び愚連隊ぐれんたいを率いる加藤かとう-三郎左衛門さぶろうさえもんの顔があった。


『死して屍拾う者なし』


信照直属の隠密忍び衆はその言葉を合い言葉にする命知らずしかいない。

彼らにとって公方義昭よしあきを守る忍び衆は温すぎた。


三郎左衛門さぶろうさえもん殿、公方様を守る忍び衆の腕がこの程度とはお間違いなきように」

「承知している。おぬしとやり合って勝てる自信がない」

「負ける気もないのに、よくいいますな」

わざで勝てそうもないので、じゅつを使わせて貰うだけだ」

「そういう事にしておきましょう」


もう1つの影は『花の御所』を守っていた忍びの棟梁だ。

今も輝ノ介に仕えており、無所属となった彼ら愚連隊に所属していた。

偽公方の義昭よしあきに仕える気がしないらしい。

今回は三郎左衛門さぶろうさえもんが間違って、義昭よしあきを殺さないように目付役として参加した。

武衛屋敷の庭の池は排水溝から下水道へ続いており、秘密の隠し通路として使える。

それを承知していれば、こんな温い警備はしない。


「主人が温いと、守る者も温いらしい」

「如何にも」

「さて、信照のぶてる様のお言葉を伝えねばならん。さっさと下らん仕事を終わらせよう」

「では、正面から行きますか」


きらん、三郎左衛門さぶろうさえもんの目が輝いた。

さっと五つ影が散った。

三郎左衛門さぶろうさえもんは堂々と奥に続く廊下を歩いてゆく。

廊下の先には居眠りをする者がちらほらといた。

皆、背後から襲われて声を上げる事もなく、永遠の眠りについた。

屋根の裏、床の下も同じだ。

忍び封じの構造に安心して油断しているから呆気ない。

造らせた信照のぶてるは隠し通路や仕掛け扉をいくつも用意している。

忍び返しの罠に油断していると背後からぐさりだ。

こうして難なく奥に侵入した。

義昭よしあきの寝室の隣には寝ずの番の護衛20人もいる。

皆、それなり手練れだ。


「おい、何か匂わないか?」

「公方様の部屋の香であろう」

「こんな匂いだったか。ごほん、ごほん、いかん。喉が…………ぐほぉ」


部屋の天井で薬を焚いてしばらく待つだけだ。

無色透明、刺激臭を嗅いだ者が慌てた時はもう遅い。

ばたり、ばたりと倒れてゆく。

臭いを誤魔化す為に微か香を混ぜた塩素系の毒ガスだ。

三郎左衛門さぶろうさえもんは障子を開けて、薬が拡散するまで離れて様子を見た。


「もうよいであろう」

「恐ろしい術でございますな」

信照のぶてる様がお許しになられるならば、この七人で屋敷を制圧するのも容易い」

「潜入する前ならば、信じなかったでしょう。何を馬鹿な事を言っているのかと思ったでしょうな」

「ふふふ、馬鹿共は一向宗20万人の暴徒を手に入れて意気込んでおるが、その気になれば、この毒ガスで20万人を地獄にやる事もできる。皆、信照のぶてる様の温情で生かされておる事を知らんのよ」


ごくりと忍びの棟梁だった者が唾を飲み込む。

冗談に聞こえない。

二人はマスクを付けて控えの間に入ると、自由に動けない20人の首元を軽く斬っておいた。

辺り一面が血の海となった。

手練れもこうなってしまっては形無しだ。

更に奥に進む。

巡回中の者や交代で見張っている者は先に処分されていた。

こうして邪魔者を排除して、三郎左衛門さぶろうさえもん義昭よしあきの寝室に入り、平手打ちで強引に起こした。


「何者じゃ。余を公方と知っての狼藉か?」

信照のぶてる様の使者でございます。どうか静かに聞いて下さい」

信照のぶてるの…………(ごくり)」


脇差しの刃が目を前の鼻の先を斬った。

痛みをまったく感じないが、血が飛び出す。

義昭よしあきがガタガタと歯を震わせた。


「よ、よ、よ、余を殺すつもりか?」

「殺すつもりならば、はじめから起こしません。信照のぶてる様のお言葉を賜ってきました。よ~く、お聞き下さい」


刃の切っ先を突き付けられて、義昭よしあきはうんうんと頷く。

話の内容は簡単だ。

目の上のタンコブである見回り組が出て行くのを黙って見ていろと言う内容だ。

義昭よしあきが最大の障害となっていた。

これは織田方の佐久間-信盛さくま-のぶもりが京に上がり、幕府方の細川-藤孝ほそかわ-ふじたかと協議している案件であった。


そもそも管領筆頭の畠山-高政はたけやま-たかまさは一万人の兵で見守り組の駐屯所を取り囲んだ儘で動こうとしない。

高政たかまさは攻めない。

何故ならば駐屯所の南には知恩院もあり、六年前の悪夢が過っていたからであった。


「酒は禁止だ。生水も飲むな」

「公方様が何故攻めないのかと問い質しております」

「こちらが挑むと決めた瞬間に織田家は間違いなく、何かを仕掛けてくる」

「当然でございます」

「織田家は卑怯者だ。何をするか判らん」

「どうするつもりですか?」

「和議だ。平和裏に京より退去して貰う」

「何を弱気な」


高政たかまさはもう腹下しは嫌だった。

駐屯所には2,000人の兵が駐屯している。

二万五千人の大軍であっても知恩院に籠もった織田の兵を落とせなかった。

わずか一万人では駐屯所を落とせない。

高政たかまさはそう考えた。

否、悪夢が過った。


『厠問答は御免なのだ』


心の中で絶叫する。

何故、織田家と戦う事になっておるのだ。

誰が望んだ?

高政たかまさの意志とは関係なく、何故か状況が勝手に進んでゆく。

そんな時に都合よく織田家の家老信盛のぶもりが使者として京に上がってきた。

幕府も藤孝ふじたかを出して交渉の席に付かせた。

織田家の提案は帝が皇后や公家を連れて伊勢に参拝するというモノだ。

その護衛に見回り組が付く。

管領高政たかまさはこの交渉に乗った。

はじめから朝廷を敵に回すつもりも公家や町衆に手を出すつもりはない。

見送るだけで見回り組には京から去ってくれる。

そんな高政たかまさの弱気に義昭よしあきが激怒して交渉が難航していた。


誠仁親王さねひとしんのうが伊勢に参拝なされる。幕府は黙って許可を出せ。そして、織田家との決戦には必ず出て来い。そなたが望んだ戦いだ。受けて立つとの事だ」

「見回り組が出てゆくのを見逃せというのか?」

「そうだ」

「余に戦場に出て来いと言うのか?」

「そなたが望んだのであろう」

「余は将軍なるぞ」

「知らぬのか、将軍とは兵を率いる者の事だ。それともこの場で首を切られる方がお望みか」


義昭よしあきは顔を引き攣らせて首を横に振った。

信照のぶてるは帝にも退避して欲しかったが、帝が伊勢に参拝した前例がないという理由で却下された。

三好家を下した幕府軍も残党狩りを終えて、もうすぐ京に上がってくる。

安全を考えると時間がない。

妥協案として、親王を伊勢に名代として送り、皇后や織田贔屓の公家達を一緒に送り出す事になった。

それも義昭よしあきが納得せずに停滞したので、こうして強行策を取った。


「もう一度首を横に振れ、然すれば、その首を刈ってやる。信照のぶてる様もお喜びになるであろう」

「待て、待つのだ。許可する。京を出るのを許可する」

「何だと、許可するだと!? この馬鹿者が詰まらん事を言うな」

「何故、怒る?」


三郎左衛門さぶろうさえもんが凄むので義昭よしあきは顔を引き攣らせてちびった。

どう答えよというのだ。

目を白黒させる義昭よしあきに助けの手が入った。


三郎左衛門さぶろうさえもん殿、用事は終わりました。帰りましょう」

「ちぃ、仕方ない」

「いいか、申し付けたぞ」

義昭よしあき様、命拾いしましたな」

「そなたらは誰だ?」

「この者は信照のぶてる様の忍びで、私は元公方様の忍びでございます」

「何だと余の忍びだったと言うのか? 何故、余を裏切るのだ」

「その胸にお聞き下さい。戦いを望んだのは公方様でございます」

「余は幕府として当然の事を行った」

「ならば、最後までそれを貫き通して下さい。次は戦場でお待ちしております」

「よいか、朝廷に手を出せばその首を拾いにくる。よ~く覚えておけ」


三郎左衛門さぶろうさえもんは首元の布を上げて目元以外を隠した。

そのまま、部屋を後にする。

最後にひと暴れだ。

抜け道を使わず、力押しで武衛屋敷の正面門から帰ってゆく。

七人が通った道に血の絨毯が引かれ、織田家の力を誇示して去っていった。


「こんな所に住んでいられるか」

「公方様、お待ち下さい」

「余は殺されたくないぞ」


義昭よしあきはその日の内に武衛屋敷を放棄して、御所から少し離れた妙覚寺に本陣を移した。

流石に城の縄張りを終えただけの二条城に入る事は諦めたらしい。

逃げたハズなのに?

京の町では公方義昭よしあきが武衛屋敷に侵入した悪漢ら100人を一人で斬り殺したという噂が走っていた。

公方様は八幡太郎はちまんたろう様の生まれ代わりだ。

先々代の公方様のように頬を赤く染めながら喜びに歓喜して皆殺しにしたと、人々が語っていた。

調べれば、すぐに真実を知る事ができる。

だが、調べない。

何故か、人は自分にとって都合のいい話だけを信じるのだ。

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