第19話 信照 対 信長 の論戦。

(永禄3年 (1560年)3月下旬)

兄上(信長)が話を聞かせろと偉そうに言った。

初戦で負けたのは誰だ?

良くも悪くも織田家は不敗だったので、京に集まった連中も織田家とだけは戦いたくないと思っていた。

その前提を崩してくれた。

六角家の家臣が観音寺城を放棄して自領に帰った事で六角-義治(ろっかく-よしはる)の兵は常備兵2,000人のみとなり、その兵で平井-定武(ひらい-さだたけ)の屋敷を襲い、捕えた定武(さだたけ)らの首を逆賊として晒(さら)した。

公方様もそれを褒め称えた。

観音寺城周辺の領主や豪族らも幕府から逆賊の汚名を着せられるのを嫌がった。

だが、同時に親殺しの義治(よしはる)に従いたくない者も多い。

そこで実従(じつじゅう)の仲介で義治(よしはる)への忠誠は一先ず保留し、幕府へ恭順する言質を取った。

こうして、湖畔に近い蒲生郡と神崎郡の領主達は積極的に従った者と代官が兵を徴集するのを許した者に分かれた。

いずれにしろ、これで兵が集められる。

従わない領主は放置して六角家が派遣していた代官が自ら参陣し、強引に村人を徴兵して4,000人の兵をかき集めた。

義治(よしはる)は常備兵1,000人を城の守りに残し、残る5,000人で坂田郡に進軍したのだ。

そして、織田家の援軍と戦って辛勝した。


「信照(のぶてる)様、殿が一時的に兵を下げた事を詫びさせて頂きます」

「帰蝶義姉上、謝罪は無用でございます。領地を奪われた訳ではなく、織田軍もほぼ無傷です。兄上(信長)は自らの名誉より家臣の命を重く見たのです。褒められても罰する必要はございません」

「そう言って頂けますと、心のつかえが取れる思いでございます」


俺と帰蝶義姉上は兄上(信長)を罰しない事を皆の前で確認した。


さて、実従(じつじゅう)は他の六角家の家臣を臣従させる為に公方義昭(よしあき)に援軍を求めていた。

義昭(よしあき)も京に集まってきていた一万五千人の内、五千人の兵を近江に派遣していた。

しかし、滋賀郡を治める進藤-賢盛(しんどう-かたもり)、栗田郡の山岡-景之(やまおか-かげゆき)、野洲郡の永原-重興(ながはら-しげおき)などが抵抗したのだ。

つまり、通行の許可を出さなかった。

大津付近で互いに兵を出して睨み合っていた。

賢盛(かたもり)らも幕府と戦いたくないので戦端こそ開かれていなかったが、ギリギリの交渉が続けられていた。

そこに兄上(信長)の敗戦の報せが届いた。

賢盛(かたもり)が中心となって西近江連盟は幕府と和議を結び、義治(よしはる)の支配下から離脱し、幕府に従うとした。

義昭(よしあき)から見れば、近江を分裂させた上で支配下に置けるという最上の結果を得た訳だ。


「調子に乗った義昭(よしあき)は三好討伐の命を出しました。おそらく、半月の内に三好勢は畿内から排除されるでしょう」

「そうなるでしょう」

「救援は送らないのですか?」

「もう間に合いません」

「栄華を誇った三好にしては呆気ないな」


紫の頭巾を被った輝ノ介が呟いた。

三好家の打倒こそ悲願であったが、俺が和議を申し出たので叶わなかった。

その三好家が畿内から消える。

思う所があるのだろう。


「これが代官と奉公衆代官を送った効果です。権力を分散させたので幕府の威光なしでは守護代としてまとめられない。最強の三好-長慶(みよし-ながよし)がいないのです。誰が幕府に逆らってまで味方してくれるのですか」

「なるほど」

「有力者も幕府の直臣にしました。派遣していた代官や奉公衆代官が領内の領主や豪族を取り込んでおります。敵とされた三好家の者は幕府に降伏するか、山奥に身を潜めるか、幕府の支配が緩い阿波に逃亡するしかないでしょう」

「そういうモノか」

「この織田家も例外ではありません。代官はすべて織田家から派遣しておりますが、斯波(しば)家へ忠義を持つ者は多く、その斯波-義銀(しば-よしかね)は幕府方です」

「織田家でも裏切りがでるのか?」

「六角家の代官も義治(よしはる)方に付きました」

「確かに、そうなったな」

「ですから、俺に逆らった者はすべて『朝敵だ』と脅しておいたのです。これで反逆者に幕府に従った忠義者などとは言わせません。捕えた者は謀反人として晒し首に致します」

「あははは、それで皆を集めたのか」

「そういう事です」


俺が輝ノ介と話していると、義銀(よしかね)に近い代官らが冷や汗を流す。

謀反人となれば、家名断絶だ。

連座が適用されない織田法であっても、残された者は汚名を背負って生きる事になる。

おそらく仕官の道は閉ざされる。

代官らとは別に家老達がこそこそと何かを言っていた。


『あれは何者だ?』

『信照(のぶてる)様の護衛です』

『護衛? 随分と偉そうではないか?』

『やんごとなきお方だと伺っております』

『やんごとなき?』

『信照(のぶてる)様から詮索するのも禁止されております』

『詳しくは知りませんが、先の関白様ともタメ口でございます。くれぐれも無礼のないようにお願い致します』

『判った。気を付ける』


不審人物の輝ノ介が目立っていた。


六角家も織田家を真似て代官を派遣していた。

家老や重臣達は家を守る為にどちらに付くのが得かを考えて動く。

しかし、派遣された代官は役人だ。

損得ではなく、上司の命令を聞く。

お栄に領国経営の無知を暴露され、恥をかかされた義治(よしはる)は領内の事を気に掛けるようになった。

真面目に学ぼうとする義治(よしはる)に満足した。

義賢(よしかた)は成長を願って義治(よしはる)に役方を命じていた。

これで代官の直接の上司となる。

さらに、公方様から守護も命じられた。

代官らが義治(よしはる)に逆らう意味はない。

こうして、家老や重臣達は義賢(よしかた)派となり、代官・常備兵は義治(よしはる)派に分かれてしまったのだ。

領地で代官が抵抗するので領主達も焦った。

しかも負ければ、逆賊の汚名を着る。

周囲の領主らに襲い奪われる可能性が高い。

観音寺城周辺の領主や豪族らは一先ず臣従する事になる。

一方、後藤家や蒲生家では領内の代官を調略してからでないと出陣できない。

すぐに兵を動かせないのが実情だった。


謀反防止の代官制だが、今回はそれが仇になった。

俺は尾張・美濃の領主や代官を集めて恫喝し、三河、西遠江、伊那には手紙を送っておいた。

念の為だ。

まぁ、織田家の領内で簡単に裏切る奴もいないと思う。


「そうですね。信照(のぶてる)様に逆らう者は少ないでしょう」

「帰蝶義姉上、楽観過ぎます」

「そうですか。わたくしは熱田明神様に逆らって天罰を受けるなど嫌です。おそらく、領民が付いてきません」

「そうだといいですね」

「それに殿(信長)が負けるのは初めてではありません。何度も戦に負けております。美濃との戦いでも明智で負けおります。織田家の無敗は信照(のぶてる)様の無敗であって、殿(信長)ははじめから無敗でございません」


おぉぉぉ、家老達が声を上げて、「そうであったな」と手を打った。

そうなのだ。

兄上(信長)ははじめから無敗ではなかった。

むしろ、負けた戦の方が多い。

兄上(信長)が凄く嫌そうな顔で帰蝶義姉上の方を見ていた。


「そんな話はどうでもよい。さっさと策を申せ」


話を逸らす為に声を荒らげた。

俺の策は単純だ。

織田全軍で京に上洛する。

そう思わせて、近江に幕府軍を引き摺り出す。

だが、敵も味方も兵を集まるのを待つ必要はない。

織田家が動いたと聞いた義昭(よしあき)は近江に増援を送る。

おそらく、三日後か、四日後だ。

観音寺城に増援が到着するのは早くとも四日後になる。


「神速を以て、四日で観音寺城を陥落させます。同日、京の見回り組で武衛屋敷を強襲し、少数精鋭で潜入して義昭(よしあき)を捕縛して兵の解散を命じます」

「随分と温いな」

「そんな事はありません。どうやら伊那の惨状が伝わっていないようですので、観音寺城を大炎上させてみせましょう」

「できるのか?」

「別に難しくありません。戦は数でないと知らしめてやります」


観音寺城の西側は近淡海(ちかつあはうみ)(琵琶湖)が広がり、西側から大軍で攻める事が難しい。

西に突き出たような安土山は湖畔に浮かんでいる。

つまり、今浜に出れば、舟で近くまで簡単に行けるのだ。


「敵も黙っておるまい」

「兄上(信長)、舟の上ですよ。近づく者はすべて鉄砲で狙撃して近づけさせません」

「少数で勝てるのか?」

「楽勝です。半里 (2km)先からの攻撃です。半円を描くように観音寺城の外側から山火事を起こさせ、逃げ道を塞いで城と共に焼失して貰います。夕刻から攻撃を行えば、遠くからも山火事がよく見えるでしょう。そうして一夜にして全滅させます」


他の一門衆や家老達が半里 (2km)先からの攻撃という言葉に背筋を凍らせた。

そんな攻撃に抗う術はない。

敵が恐怖に震えた所で義昭(よしあき)を捕縛して終わらせる。


「公方様が素直に従わない場合はどうする?」

「残念ですが、首を取って終わらせます。神輿がなければ、兵も去るでしょう」

「確かに、戦はすぐにでも終わりそうだな」

「完勝です」


兄上(信長)が後ろに目線を動かすと輝ノ介が小さく頷く。

義昭(よしあき)に関しては先に了承を貰っている。

馬鹿が意地を見せれば、首を取ってもいい。

さらに納得して貰う為に輝ノ介には別働隊を率いて、東山道から観音寺城を目指して貰う。

重騎馬隊を中心に構成する別働隊だ。

俺とどちらが早いかの競争だ。

輝ノ介が四日後の日の入りまでに観音寺城を落とせない場合は攻撃を開始する。


「武衛屋敷の強襲は大丈夫か? 丹波の村雲流、寝返った甲賀衆、金で雇われた伊賀衆と飛騨衆が護っておるぞ」

「俺の忍び衆がその程度の奴らを排除できないと思いますか?」

「なるほど、よく判った」


兄上(信長)の目が涼(すず)やかだ。

納得して頂けようだ。

そう思っていると、何か含むような顔をして頬を少し上げた。


「戦術とも呼べぬ。力押しだな」

「敵の意表を突く。神速である事が戦術です」

「だが、却下だ」

「何故ですか?」

「観客が少な過ぎる。山火事はよく見えるかもしれんが、義治(よしはる)は山火事で焼死したと思われる。それでは織田家の恐怖が広まらぬ」

「では、どうするつもりですか?」


兄上(信長)が地図を広げさせ、京、摂津、近江、伊勢、尾張に碁石を適当に落とした。


「まず、御所の帝と公家様を京より退避させる」


京の上にあった白石を移動させて伊勢の方に移した。

そして、各地から黒石を京に集め、東・西三河、三河、西遠江に置いていた白石を尾張に集めた。


「これで公方様は心置きなく、京に兵力を集める事ができる」

「邪魔者がいなくなれば、集め易いでしょう」

「そうだ。そこから双方の戦力が激突する」


兄上(信長)は京の黒石と尾張の白石を手に包んで、双方を近づけてゆく。

白石と黒石が“がちゃ”とぶつけた。

観客が多いほどよいというのはそういう意味か。

織田家が尾張、東・西美濃、三河、西遠江から兵を集めて五万騎を揃えると公言すれば、最低でも幕府軍も五万人を動員する。

すると10万の兵が観客になる。

そこで織田家の力を見せ付けろという意味にそう。


「負けた幕府軍が撤退し、京に立て籠った場合はどうします」

「いっその事、京ごと燃やすか?」

「本気ですか」

「新たな政(まつりごと)を始める為に、町を新たにする。悪くはないと思うぞ」

「ご冗談を」


ははは、兄上(信長)が笑う。

京の町は俺が苦労して再建している途上なのだ。

それを始めから?

どれだけの銭が飛ぶと思っている。

この笑いは俺がそう言うと察していたのだろう。


「ならば、これでどうだ?」


白石を熱田に置き、それを指の先で伊勢半島と回って摂津に回すと京まで上げた。


「無茶です」

「無理ではあるまい。船団に一万の兵を乗せて摂津から上陸し、決戦の当日に京を密かに取る」

「紀伊水道を通る時に見つかり、敵が引き返します」

「夕刻に外海に集まり、夜陰に紛れて摂津の港まで進む」

「それこそ無茶です」

「同じ事を言わせるな。熱田衆、津島衆、佐治衆、伊勢衆、熊野衆の船員は堺まで何度も行っておる。月明かりがあれば、無茶であっても無理ではあるまい」


兄上(信長)が摂津に船を付けるのは、西国(さいごく)街道を一気に駆け上がって、逃げる幕府軍より先に京に入るつもりだからだ。

だがしかし、海路に予定など立てられない。

嵐にでも遭えば、ご破算だ。


「嵐でも到着してみせる」

「本当に無茶な策を言いますね」

「空を見れば、おおよその推測は付くであろう。駄目でも公方様と交渉もできる」

「確実な策ではありません」

「確実なモノなど1つもない。幕府との決戦は信照(のぶてる)様が率いよ。儂は船団を率いて京に上がる」

「それより確実に勝てる策があるのです」

「勝ったとしても戦が続く、それでは意味がない。次の戦で畿内での大戦を終わりにする。畿内平定に10年も費やすつもりはない」

「本気ですか?」


畿内、中国の諸将や兵達に織田家の力を見せ付ける。

兄上(信長)は観客が多いほど良いと言ったのはそういう意味か。

二度と織田家に逆らわぬように身に染みて知らしめる。

そちらに主眼を置いているのだ。


だが、兄上(信長)が京を取るのに失敗した時はどうなるか?

先例をなぞると、降伏か、逃亡だ。

降伏ならいい。

だが、逃亡の場合、京の町に押し入り、強盗や強奪の末に最後に火を放って逃げ出して行く。

滅茶苦茶にされた上に逃げられたとなると見るに耐えない惨状となる。

却下だ。

危険(リスク)が大きすぎる。


「よいではないか。10万を超える大軍がぶつかり合う。血湧(ちわ)き肉躍(にくおど)る殺し合い。正に武士の本懐ではないか」

「輝ノ介、黙ってくれ」

「いや、黙らんぞ。少数の敵に突撃するより、数万の敵に突撃する方が面白そうだ。皆も戦いたかろう」


輝ノ介がそう声を上げると家老達もやる気になってきた。

そうなのだ。

俺の策は少数精鋭なのでほとんど武将に活躍の場がない。

内容を聞くとやる気がなくなる。

一方、兄上(信長)の策では間違いなく大戦が待っている。

やる気がでるというモノだ。


成功すれば、損はない。

だが、決戦の日に合わせて夜の紀伊水道を抜け、一騎駆けのような速度で西国(さいごく)街道を京まで駆け上がるなど無茶苦茶だ。

博打のような作戦だ。

俺は確実に行きたい。


「信照(のぶてる)様、諦めも肝心かと」


帰蝶義姉上が俺を諌(いさ)めた。

一門衆と家老達が兄上(信長)の策に盛り上がって、帝をどう退避させるかと具体的な話を始めている。

もう引き返せないという感じだ。

俺に味方する者はいないのかと溜息を付く。

帰蝶義姉上だけが頷いてくれた。

長門守、カムバック。

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