第92話 清洲騒動(3) 信長、天に絶叫する!

信長は凄い!

信長のことを良く知る乳兄弟の(池田)恒興つねおきはそう思った。

羨望の眼差しである。


「そなたらの働き、あっぱれである。見事なり!」


ははは、信長は満面の笑みを浮かべた。


恒興はその笑顔を見ただけで嬉しかった。

倍する清洲の本隊に完勝した。

素晴らしい!

完璧だ!

信長様、万歳!


「おめでとうございます。見事でございます」

「勝三郎 (恒興)もよく踏ん張った」

「お褒め頂いて、この恒興! 信長様のお言葉を代々の誉れと致します」


別に信長は恒興を褒めた訳ではない。

敵右翼の切り崩しは申し分ない。

(伊丹) 康直やすなおの突撃を褒めるべきだ。

敵後方に配置されていた予備兵は 森親子 (可行よしゆき可成よしなり)と(前田)利春としはるの活躍で完全に沈黙した。

三人の働きは目覚ましい。

後で褒美を与えようと考えていた。

恒興はがんばった。

常備兵を預けているのでできて当たり前だ!

その程度だ。


「あのな!」

「いいえ、言わずとも判ります。乳兄弟と言うだけで褒めていたのでは周りに示しが付きません。信長様のことはよく存知上げております」

「であるか」


信長は声のトーンを下げながら恒興を放置することにした。

信長のことを思う忠臣であるが、どこか思い込みが激しいのだ。

特に害がないので放置することにした。

時間の無駄だ!

そこで当たり前にように可行が口を開いた。


「殿、間近申し上げたき儀がございます」

「何であるか?」

「物見の報告によりますと、犬山城の織田 信清おだ-のぶきよが兵3,000人を引き連れて南下して来ているとのことです」

「何だと!」

「事前に察知できず、申し訳ございません」

「そなたに罪はない」


戦闘がはじまる前なのでかなり経っている。

まだ、丹羽郡を出たくらいなのでもう少しだけ時間の猶予が残されていた。

一方、守山の信光が清州の援軍と称して清洲城に到着するのももう少し掛かる。

微妙な時間だ!

信光が清洲城を占領し、守護の斯波 義統しば-よしむねを解放し、敵である守護代の信友を捕えるか、討ち取る。

それまでここにいる敵を足止めしたい。

だが、それを待つと犬山と挟み撃ちにあってしまう。

誰だ?

こうも裏を取られるのが悔しかった。


「信長様、どう致しましょう?」

「勝三郎、慌てるな! 別に負けた訳ではない」

「申し訳ございません」

「しかし、合わせると4倍になりますな!」

「折角、散らした敵が集まるかもしれません」


信長の兵は1,800人。

敵は清洲援軍2,400人、

岩倉の先発隊500人、

岩倉の本隊2,000人、

そして、犬山信清のぶきよの兵3,000人が加わり、

延べ7,900人と4倍である。


これに散っていった清洲の本隊の兵が合流するかもしれない。


信長の兵は寡兵だ!

敵より圧倒的に数が少ない。

挟撃で消耗戦を強いられると負けてしまう。

最悪、全滅を覚悟しなければならない。


信長は無意識に爪を噛んだ。


決断したいが、意に添わぬ時にする信長の癖であった。

おぉ、これは信長様が悩んでおられる。

小姓の頃からずっと信長を見てきた恒興は察した。

ここは俺の出番だ!


殿しんがりはこの恒興が引き受けます」

「阿呆! まだ、勝っておるわ!」


信長が恒興を叱った。

あははは、叱ったが信長は笑っている。

信長の為に命を惜しまぬ恒興の気持ちは嬉しかった。

肩の力はすっと落ちてゆく。


「では、進みますか?」


長門守 (岩室 重休いわむろ しげやす)がそう言うと信長は首を横に振る。


「長門守殿、進むとはどういう意味だ?」

「(前田)利春殿、よくお考え下さい。清州の本隊は壊滅したのです。それをの当たりにした兵の士気が上がります。清州の援軍など敵ではありません」

「そうだったな! 儂の失言だ」

「さらに援軍に来た岩倉の先発隊は500人のみ、一蹴で叩き潰すことが可能であります。それから後ろに見える岩倉本隊の槍の頭が揃っております。恐れることは何もございません」


あははは、(森)可行が豪快に笑った。


「長門守は若いのによく見えておるのぉ!」

「槍の頭が揃っていると言うことは本隊ではなく、別働隊ですな!」


(伊丹)康直も察した。

槍の長さが揃っているのは農民や加世者かせものに槍を貸し出した時に起きる。

自前の槍を持っていないので槍の長さが揃うのだ。

つまり、織田信安が率いる岩倉勢の本隊は林 秀貞はやし-ひでさだと戦っている。

あれは別働隊だ!

槍もロクに触れない者が混じった混成隊と言うことだ。


(伊丹)康直、(森)可行、可成、(前田)利春らが目をギラつかせた。

もう獲物を睨み付ける猟人になっていた。


士気の上がらぬ清洲の援軍、

兵を揃っているがわずか500人の岩倉の先発隊、

数はいるが弱兵の岩倉の別働隊、

手柄の取り放題ではないか!


「三連戦になりますが、我らの敵ではございません」

「その通りだ!」、「如何にも」、「取り放題ですな!」

「急に何でございますか? 何が起こりました」


恒興は理解できていなかった。

どこか温厚な恒興は本質的に武将ではないのだ!

文官として有能でない。

太鼓持ち?


「三連戦の後に犬山と当たります。疲れておりましょうが お気張り下さい」

「心配無用!」

「その程度、朝飯前だ!」

「大した者だ! 流石、信長様の知恵袋だ!」

「ですから、何が起こっているのですか?」


ばんばんばん、(前田)利春が嬉しそうに恒興の背中を何度も叩いた。


「判らんか? 手柄の取り放題と言うことだ!」

「はぁ? 利春殿、何故そうなるのですか?」

「敵は分かれておるのだ! 各個撃破で手柄首の取り放題ではないか?」


長門守の言葉で、三人には目の前の敵はもう手柄首にしか見えない。


「三連戦はキツうございます」

「勝三郎、ここで気張らんとどうする」

「無茶です。なぁ、森殿!」

「そんな柔な鍛え方はしておらん」

「俺も大丈夫です。存分に織田の強さを見せ付けましょうぞ!」

「よく言った! (森)可成とか申したな! 見所があるぞ!」

「古参の利春様にそう言って頂いて嬉しく思います」


古参と新参が心を通わしてきた。

恒興はちょっと焦った。

盛り上がっているのに水を差すのも悪いのだが、信長は周りを気にせずに口を開いた。


「悪いがその策は取らん。その策では完勝できん」

「では、如何なさいますか?」

「このまま大里砦 (浅野屋敷)に後退し、籠城する。ただ、籠城ではない。砦内に誘い込み、一瞬で終わらせる」


長門守も驚いた。

信長がすぐ決断できなかったのは、魯坊丸の策を使うのが癪だったからだ!

砦を使った火計!

敵の何割かが焼け死んで戦う気力を失う。


「敵が怯んだ所を討って出てなぎ倒し、その上で清洲を囲む」


(伊丹)康直と森親子 (可行と可成)がにやりと笑った。

(前田)利春は首を傾げたが、可成が「大丈夫です」と声を掛けた。

決まれば、一方的な戦いになる。

信長の策を使えばほとんど被害らしい被害もでない。

我らはトンでもない主君を得たと思ったのだ。


「信長様、何をおっしゃっておられるのですか? 籠城して何故、勝てるのです」

「勝三郎 (恒興)、儂を信じろ!」

「もちろん、信じております。ですから、お教え下さい」

「説明している暇もない」


信長は手を上げると部隊を再編制して、スムーズに大里砦 (浅野屋敷)まで引かなければならない。

威風堂々いふうどうどうと相手を威嚇しながらの撤退戦だ!

敵が襲い掛かってくれば、一撃して引く。

そんなことを繰り返しながら犬山が大里砦に到着する前に砦に入る必要がある。

言うは易く行うは難し!


「(前田)利春、勝三郎 (恒興)、そなたらには犬山の遊撃を任せる。進軍を遅らせるだけで良い。無駄に兵を死なすな!」

「畏まりました」、「お任せ下さい」

「伊丹、森、そなたらは右から迂回して、敵に一当てし、敵を誘って増田砦に向え! 煙が上がった後の反撃はそなたらに任せる」

「御意」、「お任せを!」、「承知仕った」


800人の兵を再び分散し、常備兵1,000人で後退する準備を急ぐ!

手慣れたモノであっと言う間に準備が整う。

敵と接触する前に後退を始められそうだ。


西の空が明るくなり、雲の合間から細長く伸びる一筋の光芒こうぼうが天から降り注ぐ。

少し明るくなってきたような気がする。

暗雲の雲が引き裂かれてゆき、西から東へと雲が裂けて光の筋が広がってゆく。


「やっと晴れたか!」

「殿の勝利を祝っておるのです」

「ははは、気の早いやつめ!」

「すでに勝利は決まっております」

「であるな!」


伝令~~!

大里砦 (浅野屋敷)方面から馬に乗って伝令が走ってきた。

伝令、伝令、伝令と叫び、兵の間を駆け抜けて伝令が信長の前で跪く。

皆も慌てて集まってくる。


「殿、一大事でございます」

「何があった? まさか、すでに大里砦に着いたとか言うのであるまいな!」

「その逆でございます」

「逆じゃと?」

「犬山勢が反転して撤退しております」

「なんじゃそりゃ~あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


それはそれは大きな声で叫んだ。

信長の決意を無残に砕いた。

この瞬間、信長の完勝が決まったのだ。

後は清洲が陥落するまで待つだけだ!


清洲騒動は後半戦へと続く。


 ◇◇◇


ダダダダダッダダダ~~~~ン!

犬山城に向かって広野川 (木曽川)の対岸で鉄砲が派手に鳴った。

広い川面に大きな音が鳴り響く。


「撃て、撃て、撃て、派手に空砲を撃ちまくれ!」


斎藤 利政さいとう-としまさはどっしりと座って、派手に鉄砲を撃たせていた。

利政は上機嫌で酒を呑みながら言い放つ!

一方、対岸の犬山城では城番が青くなっていた。

味方と公言していた斎藤軍が現れたのだ。


はじめは一万人程度であったが、今では二万人に膨れ上がり、さらに増えている。

50人程度しか残っていない犬山城では一溜りもない。

絶え間なくなる鉄砲の音に肝を冷やす。

慌てて殿に伝令を送った。


上機嫌の利政に対して、怒っているのは嫡男の高政たかまさである。


「何故、渡河されないのですか?」

「渡河しては銭が貰えん」

「兵を集めたのは、このような宴会をする為ではございません」

「高政、お前もタダ酒を呑め!」

「要りません」

「女・子供まで呼び出してどうするおつもりですか?」

「どうもせんぞ! 儂ははじめから『川見を行う』と呼びに行かせたのを忘れたか?」

「昨日まではいくさ支度をされておられたではございませんか?」

「それは昨日までの話だ!」


利政は昨日まで兵一万人が織田の領内に入れるように準備をしていた。

だが、朝になると「女・子供も含め、村総出で川に来るように!」と命令を変えた。

川に到着すると、焚き物の煙が多く上がる。

景気づけに空砲の鉄砲30丁を撃たせている。


「一人200文だ。半分を家臣に与えても大儲けではないか! しかも経費もすべて織田持ちだ。織田の銭で領民に腹一杯の飯を食わせられる。しかも秋のいくさも控えておる。丁度いい、こづかい稼ぎだ!」

「何を暢気なことを言われる」


利政は尾張を乗っ取るつもりで兵を用意していた。

しかし、日が昇ってきた頃に織田の使者がやって来た。


「織田の手紙にも丹羽郡と葉栗郡を好きに切り取って良いと書いてありました。余力があるならば、清洲も取って良いと書いてあったではありませんか?」


少し癪だが魯坊丸は織田の取次役であり、その取次役が良いと言ったのだ。

この好機を逃す手はない。

利政は懐から手紙を取り出して、高政に投げ付けた。


「良く読め! 清洲での戦いで信長が負けた場合のみだ!」


利政は手紙を読むと川の様子を確かめさせた。

だがしかし、昨晩の荒々しさは消えて無理をすれば、船が出せるようになっていた。

天も小僧に味方するか!

利政は諦めた。

信長ならば、面白いことになるかもしれないと思っていたが、小僧が帰ってくるならば、この話は終わりだ。

(今川のことは知りませんが、勘で胡散臭さは感じています)


尾張を切り取って良い?

違う。

取れるものなら取ってみろと挑発しているのだ!

入らぬ脅しの一文を入れるとは随分と焦っている。

小僧も余裕がない証拠だ。

下手に手を出せば、火傷をする。

せめて1文でも多く毟り取ってやろうと考え直したのだ。


「とにかく腹一杯の飯を食わせてやる。飯を食いに来いと誘え! 一人でも多く集めるのが今日の戦だ!」


利政の命で村から総出で飯を食いに来させた。

東美濃からも兵がやって来た。

川辺を埋め尽くす総勢3万人を越える斎藤家の大軍に犬山の兵は恐れを為した。


帰ってきた (織田)信清は青筋を立てて怒った。


「おのれ、利政!」


犬山から知らせを聞いた (織田)信安も少し遅れて撤退を開始する。


「何故、斎藤が攻めてくるのだ?」


後に、岩倉城主の(織田)信安と犬山城主の(織田)信清が「事前に交わした不戦の約定を破るのか!」と苦情を送ったそうだが、「自領で川遊びをして、何が悪い! 一歩たりとも入っておらん」と返事が返ってきた。


まぁ、蝮の言葉を信じた信安と信清が悪い。

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