閑話.京に残された者達。

天文22年 (1553年)4月18日、尾張では織田家と今川家が雌雄を決している頃、三好-長慶みよし-ながよしは勝龍寺城から兵2,000人を引き連れて上洛し、御所に入った。

一時は長慶を除名すると言う議題が上がるほどに帝はお怒りになり、右大臣の近衛 晴嗣このえ-はるつぐが取り成して事なきを得て上洛できたのである。


「朕は長慶が上洛する為に石山本願寺(大坂御坊)に綸旨を出したと言うのに、掛かる仕打ちをされたのは酷く悲しい」

「長慶は帝に逆らう意志はございません」

「だが、会う気にはならん」

「お許し頂くだけで十分でございます」


長慶は御所に修繕費を差し出し、また、武衛屋敷再建の費用も出すと言っている。

今後、左近衛大将の西園寺 公朝さいおんじ-きんとも、右近衛大将の久我 晴通こが はるみちの命に従って、京の都の治安回復に協力すると約束を交わした。

御所の完全なる勝利であった。

だが、公方様は朽木に避難し、魯坊丸も尾張に帰った。

帝を守る者は長慶以外いないという寂しい状況であり、ここで三好と争っても朝廷に益がなかったのだ。

長慶は晴嗣から御許しのご内意を貰ってから吉祥院城に向かっていった。


晴嗣は父の稙家たねいえに肩に手を置かれる。


「次は朽木に行って、公方様のお迎えだ」

「麿は疲れました」

「何を言っておる。魯坊丸らと散々に遊んだであろう。仕事をしろ」


京は大戦があった割に大きな被害はなく、再び野盗などが増えているくらいで済んでいた。


「おぉ、そうだ。晴通殿のお迎えは麿が致します」

「必要ない。それは儂がしようと思っておる」

「父上、それは狡うございます」

「変わったという尾張には一度行ってみたかったのだ! それに後始末に参議も増えるであろう」


当事者の (久我)晴通は (西園寺)公朝の家族と共に尾張に避難していた。

費用はすべて織田持ちであり、街道の安全は六角が保障してくる。

まぁ、これ幸いと観光旅行に行っている訳だ。

晴嗣は同じ向かうならば越水城の長慶の元ではなく、晴通と同行して尾張の方がよかったと嘆いた。


「貧乏くじです」

「馬鹿を申せ、少しは儂にもいい思いをさせろ」


父が尾張に出発するのは、晴嗣が朽木から戻って来てからだ。

ともかく、晴嗣は魯坊丸に強請ねだって作らせた家風呂に入って疲れを癒した。

風呂に入る度に井戸から大量の水を汲まなくてはならない。

毎日、風呂に入りたい晴嗣であったが従者が嫌な顔をする。

2日に一度で我慢することにする。


尾張から水汲みの道具を持って来させないといけないと思案していた。

角倉すみのくら-与左衛門よざえもんは魯坊丸の息が掛かっておったな。

朽木に行く前に寄って急かしておくか。

魯坊丸は役職を与えると嫌な顔をする。

だから、その兄である信長と信勝を公方様に推薦して名誉職の御供衆おともしゅうにすれば、水汲みの道具も献上してくれるに違いないなどと考えていた。


 ◇◇◇


長慶は丹波から松永 久秀まつなが-ひさひでを呼び戻した。

波多野稙通の八上城を包囲していた久秀であったが、後背の守護代である内藤国貞の八木城が三好政勝と香西元成に襲われたので撤退するしか道はなかった。

そして、救援が間に合わずに国貞は討死した。

その子息である千勝丸(貞勝)は湯浅宗貞に匿われて園部城に居たので、それをお助けしてから反撃に転じた。

15日には周辺を平定し、三好政勝と香西元成が籠る八木城を包囲していた。

長慶に呼ばれたので、久秀は弟の(松永)長頼に任せて京に戻って来たのだ。


長慶は久秀を伴って吉祥院城の一室で養生している長逸ながやすを見舞った。


「よい、そのまま寝ておけ」


そう言われても長逸は体中の痛みに耐えながら身を起こした。


「このような醜態を晒し、申し訳ございません」

「儂も見誤っておった。久秀、そなたもそう思うであろう」

「その通りでございます。虎の子と思っておりましたが、すでに『尾張の虎』を超越しているとは考えも致しませんでした」


尾張の虎と呼ばれた (織田)信秀は駿河の今川義元と美濃の斎藤利政を相手に戦った器用者であった。

尾張守護、美濃守護を助け、二人を相手に互角の戦いをする信秀は高く評価されていた。

昔、長慶も鷹を貰ったことを思い出した。


「某も知恩院に足を運びましたが、あの橋が仕掛け橋とは思いませんでした」

「準備周到、末恐ろしい小僧だ!」

「正に麒麟児きりんじでございます」

「長逸、お主が小僧を排除しようとしたのは正しかった。あれは危険だ」

「殿、争うのは危険でございます」

「判っておる。争うつもりはない。だが、排除すべきとは思わんか?」

「何故に?」

義興よしおきでは、あれを御せん」


厄介なことになったと長慶は本気で悩んでいた。


そもそも長慶ははじめから最後まで魯坊丸と和議をするように長逸に使者を送っていた。

畠山高政らにも兵を退くように勧告した。

だが、管領の細川氏綱の命令だから聞けないと返答してきた。

管領の細川氏綱は長慶への返事を保留したままで戦いに入った。


「そう言えば、氏綱はどうした?」

「恐れを為して吉田神社から逃亡し、淀城に入っております。如何なさいますか?」

「放っておけ! 京に上がろうとするならば、改めて罰する」


これで管領・摂津守護の氏綱の影響力は地に落ちた。

高政らも逃げ出した。

織田と戦った畠山の兵は織田を恐れて四散した。

あれはいくさなどではなく、天罰と思ったようだ。

神・仏に抗う者はいない。

守ってくれるべき兵がいなくなった高政らは命の危機を感じたのか、紀伊や南河内に逃げて行った。

畠山は兵を沢山失ったが、武将らはほとんど国元に帰れたのだから奇妙な戦いである。


「高政らはしばらく立ち上がれないでしょう」

「久秀、調略にて南河内、大和の諸将をこちらに寝返らせろ」

「畏まりました」


三好は兵も財も使い果たし、すぐに立ち直れないほど疲弊している。

だが、無傷の四国衆が残っている。

一方、長慶を追い落としたい高政ら畠山衆は三好以上に力を失った。

これを好機と捉えれば、畿内をより安定できると考えたのだ。


「丹波は亀山を押さえ、波多野稙通とは交渉を継続しろ」

「承知」


久秀は渋い顔をする。

当然だ。

『知恩院・東山霊山城の戦い』に続き、『丹波八上城の戦い』も敗北が決まった。

久秀は三好政勝と香西元成から八木城を奪回して、再び、波多野稙通の八上城を攻めるつもりだったから残念で仕方ない。

八木城を奪回した後、一万の兵を京に回して京周辺の治安を回復するように命じられた。

このまま野盗化した兵を放置する訳にいかない。


「殿、申し訳ございません。この腹を掻っ捌いてお詫びするしか…………」

「いらん。お前まで死んで貰っては儂が苦労する。若い者を育ててからにしてくれ!」

「申し訳ございません」


長逸は多くの武将を失った。

特に山城の国の者が多い。

山城の国衆は三好に対して憎悪を膨らませていることだろう。

この穴を埋めるのが長逸の仕事となる。

反乱を起こさせないのは久秀の仕事らしい。


「小僧の力量を見誤った儂の失策でもある」

「某の短慮で」

「あれは小僧の罠だ」


罠、そう小さく呟いて長逸が顔を上げる。

長慶が何を言っているのか判らない。


「よく考えてみろ。まだ始まってもおらんのに今川が攻めて来ていると誰が知ることができる」

「ですが、町の者も知っておりました」

「町の者はどこの誰からそれを知った?」


どこと聞かれて、長逸がはっとする。

そんな情報を知るのは当事者のみであった。


「降伏したその日に、町の者が知っていることがおかしいとは思わんか?」

「では、敢えて自分で流したのですか?」

「そうだ! 織田は慌てて京から撤退する理由ができた。恥も外聞もなく、銭を払って逃げ出したと思わせた。約定は一方的に渡された。そして、返しの約定は求めなかった」

「慌てていたのではなかったのですか?」

「小僧は慌てていない。初めから約定を反故にさせるように仕掛けられた罠だ。証拠がないのだ。そなたははじめからそんな約束はしていないと言えばよかった」

「その通りでございます」


三好が勝った後で何を騒いでも証拠がない。

織田の使者は一人で来た。

立会人も呼ばず、約束したという証文も要求しない。

交渉事も知らない田舎者と見下した。

そして、町の者が騒いだ。

同情を買う為に織田の兵が町の者に噂を流したと高を括った。


だが、今川が三万人の大軍で押し寄せてきているなど、具体的な数を言っていたので信じてしまったのだ。

長逸も勝っているのに降伏を言い出した織田の変貌ぶりに納得ができた。

多少、強引になっても尾張に戻ろうとしている。

向こうも必死なのだと思った。


「籠城されていては勝ち目がない。知恩院から出てくれば、数で押して潰せる。実に巧妙な誘惑だ。しかも先に毒を使って卑怯な手を見せている。騙し討ちくらいならば、罪悪感もない。さらに騙し討ちで逆に討ち取られても、こちらとしては織田に文句の付けようもない。非の打ち所がない策だ。ははは、恐れ入る」


長慶にそう言われて、長逸が頭からだらだらと汗を流し始めた。

自分は何と戦っていたのかと恐ろしくなってきたのだ。

見た目こそ、子供だが?

否、聖徳太子などに付き従うのは童子という子供の姿をした鬼ではないか?


長慶がはじめから仕込まれていたと考えるのも仕方ない。

魯坊丸は三好嫌いの公方様と組んでいるのだ。

もちろん、すべて偶然の結果から生まれた産物である。

魯坊丸は最初から籠城で長慶を待っていたなどとは考えもしない。

15日に今川の侵攻を知って、即興で考えた策とは誰も思わないだろう。

もし、知っても、さらに警戒感が高まったかもしれない。


「長逸、そなたが悔やむ必要はない。相手が悪かったのだ。儂も氏綱様が出てきた時点で、小僧より摂津の安定を優先した。織田には悪いと思ったが後で取り成せばよいと織田を切った。すぐに上洛せなんだ、儂の失態だ」

「殿、某は…………」

「判っておる。久秀の策が気に入らなかったのであろう」

「あのような怪物と知っておれば」

「儂も同じだ。織田が勝つなどと微塵にも思っていなかった。負けぬ内に上洛して、押し付けがましく恩を売れればよいなどと侮っておった。すまんな、久秀。おまえの苦労を無駄にした」


久秀はただ頭を下げるだけである。

いずれは長慶のような武将になると思っていたが、現時点で魯坊丸の武勇を期待していなかった。

気づけなかった自分を罵っていた。


名将の元には優秀な家来が集まると言う。

知恩院の改築を見ても易々と討たれるなど思わなかった。

橋の仕掛けを聞いた時など大笑いした。

長逸が攻めあぐねている間に長慶が到着し、長逸が少し痛い目に合えばいいと思っていた。

だが、野戦の話を聞いた時は言葉がでなかった。

誰があれを見抜ける?


魯坊丸は鉄砲を好む。

ゆえに野戦で使った物が火薬だと簡単に想像が付いた。

火薬の値段を知っている久秀は長慶と違った意味で背筋を凍らせた。

久秀も気づかなかった。

銭が戦を変えるとそう確信した。


そして、長慶の話を聞いて得心した。

助けを求める手紙は長慶と久秀が信頼に足る者かを見定める為に出されたのではないかと?

そうであったならば、長慶と久秀は信用を裏切ったことになる。

すぐに動かなかった代償は高く付くかもしれない。

そう思ってうな垂れた。


長逸は得体の知れない鬼を恐れ、長慶はすべてを見通す智謀を恐れ、久秀は湯水のように湧く銭を恐れていた。


さて、畿内は細川氏綱と畠山高政の没落で何とかなりそうな雰囲気であったが、周辺国には8歳の子供にやられたことで三好が侮られることになった。

つまり、天下の副将軍などと持て囃されることなく、畿内弱兵と見下されたのだ。


三好の苦境はここからはじまった。

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