第39話 ねずみ短檠
「ど、どうしたんですか? こんな遅くに。驚きました」
子槻だと分かって胸を撫で下ろしたものの、逆に見慣れない寝巻きの子槻とふたりきりということに鼓動が戸惑う。対する子槻は案ずるように眉をひそめる。
「それはこちらのせりふだよ、春子。こんなに遅くまで仕事をしているのかい? 歩き回って疲れているだろう?」
「ああいえ、仕事は半分くらいで、半分くらいは趣味で……よ、よくここにいると分かりましたね?」
子槻への香水を作っていることはまだ秘密にしておきたかったので、ぼろが出る前に春子は話をそらした。子槻は不安そうに口を曲げたままだ。
「明かりが見えたのだ。不届き者がやって来たら危険極まりないだろう」
そこまで心配してくれているのかと恐縮したが、ふと離れの明かりに気付くには外に出ないといけない、ということに思い至った。もしかして見張られているのだろうか、と思ったが、追及すると大変そうなので触れないでおく。
「あまり根をつめるものではないよ。春子が愉快なのなら止めることはできないが……それにしてもずいぶん暗くないかい」
子槻が畳の部屋まで歩んできて、のぞきこんでくる。たしかに机の前と上に行灯を置いているきりなので、暗い。
「そうですね。けれどあまり油を使うのもぜいたくな気がして」
「今さら何を遠慮するのだ。それに、石油ランプならもっと明るいのではないか?」
「石油ランプは明るいんですが、臭いがするので菜種油の行灯のほうが好きなんです」
菜種油も無臭ではないが、石油と比べれば燃やしたときの臭いが段違いに少ない。
子槻は腕を組んで頷く。
「ふむ。たしかにそのとおりだ……分かった。春子、ちょっと待っておいで」
そうして子槻は引き戸から外へ出ていった。春子が手持ちぶさたに香水を混ぜ合わせる瓶を振っていると、子槻が戻ってきた。火の入っていない大きめの行灯をふたつと、台座に棒のついた何だか分からないものを抱えている。
子槻はふたつの行灯の油皿に惜しみなく菜種油を注いで火を移し、畳の部屋に置いた。互いの顔もはっきり見えるくらいになる。
そうして、台座に棒のついた何だか分からないものを机に置いて、春子の隣へ座った。
「さあ見たまえ、春子。ここにねずみがいるだろう」
歓喜を抑えきれないといった顔立ちで、子槻は棒のてっぺんを指さした。よく見ると、棒の上にねずみの置物が下をのぞきこむようについている。
「本当だ。何ですかこれ、置物ですか? 可愛い!」
丸いねずみの形がたまらなく可愛いと、春子が前から横からと眺めていると、子槻がますます目を輝かせる。
「そうだろう愛らしいだろう! ねずみ短檠(たんけい)というのだ。見ておいで」
子槻はてっぺんの黒っぽいねずみを取り外すと、ねずみの腹のくだへ、油つぼからさじで油を注ぎこんだ。ねずみを棒の上へ戻すと、下を向いたねずみの口から、菜種油がしたたり落ちてくる。それを受け止めるように棒の途中には皿がついており、こよりが置かれていた。油に浸ったこよりを子槻は火ばしでつまみ上げて、隣の行灯から火を移すと、ねずみの下の油皿へ戻した。
「ごらん。ねずみの口から油が止まったろう。皿の油が減ってくると、ねずみの口から油が落ちてきて、一晩中火を絶やさずにいられるのだ」
そんなことがあるのか、ねずみの口から油が出すぎて皿があふれてしまうのではとか、逆に油が落ちてこず皿が干上がるのではとか、春子は息をつめてねずみの口元を見つめた。
油の止まったねずみの口元から、やがて粒がしたたって、皿の炎を小さく揺らした。偶然かもしれない、と春子が見つめ続けていると、もう一滴。また一滴。
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