鯱は毒と一緒に風を食う(41)
何が起きたかは当事者達にとっても理解の及ばないものだった。
吹き飛ぶ運命の輪。その前で突然、起き上がった幸善。目の前で起きた何かに驚愕するフェンスとドッグ。
それらが路地の中に縦列し、だれも事態を正確に把握できないまま、静けさだけが佇んでいた。その静けさの中に含まれる唯一の音は風の吹き抜ける音だ。
その音が路地を吹き抜けるだけでなく、幸善の周囲で停滞するように吹き荒れていることに幸善は気づいて、視線を手元に下げた。
見れば、幸善の身体から僅かに空気が吹き抜け、幸善を取り囲むように小さな竜巻が生まれている。
「何だ、これ?」
冷静に疑問を懐いた幸善が声を漏らし、掲げるように手を持ち上げて、そこから吹き出す風を見やった。体感したことのない現象だが、こうしていても何かがあるわけではない。
少なくとも、幸善にとって害のあるものではないようだ。
そう思ってから、幸善は自身の首元に手を伸ばした。息苦しさも、胸を支配する痛みも消え、幸善はさっきまでの時間が嘘だったように元気さを取り戻している。
(どういうことだ?)
自身の変化に誰よりも疑問を懐く幸善が首を傾げそうになったところで、ようやく驚愕から回復したドッグが口を開いた。
「幸善?何をしたんだい?今、あの人型が吹き飛んだよ?」
「え?」
ドッグの言葉を頭の中で翻訳し、何となく意味を掴んでから、幸善は運命の輪に目を向けた。
倒れ込んだ幸善の口の中に指を突っ込み、ドッグやフェンスを脅していたはずの運命の輪だが、今は路地の中ほどで起き上がろうとしているところだ。
言われてみれば、さっき幸善がゆっくりと起き上がろうとした時、幸善の視界の中を運命の輪らしき姿が飛んでいたが、それに対して幸善が何かをしたという意識はなかった。
勝手に飛んだ、と言い張りたいところだが、勝手に人が吹き飛ぶとは思えない。それも相手は人型だ。遊ぶ理由もない。
それなら、自分が何かをしたのかと考え、幸善は起き上がる直前の記憶を思い返した。
藁にも縋る思いで手を伸ばし、自分の内側に意識を向けた先で、幸善は何かを掴み取ったはずだ。そのことを思い出し、掴み取った何かが何であるかを考え、幸善はようやく納得を得る。
再び手に視線を戻した幸善がそこから吹き出す風を感じて、小さく首肯した。
これは仙術だ。幸善が意識を向けた先に存在した仙気が反応して、生み出した仙術による風で間違いない。
恐らく、運命の輪が幸善の体内に入れた毒のまとう妖気と反応し、このような形で現れたのだろう。
妖気に仙気が反応して、仙術という形で中和した。それが幸善の中から苦しさが消えた理由だろうと幸善は思った。
「ああ、ああ……ああぁ……」
地面に打ちつけた身体を確認するように、全身を弄りながら青年が声を出した。大切にしていた玩具を壊してしまった子供のような声だが、何かが壊れたわけではない。
強いて言うなら、死にかけた幸善が帰ってきたくらいだ。
「ああ、痛い……痛いよ……」
不意に自身の身体を抱き締めて、青年は小さく涙を流し始めた。幸善に向けた妖術やその際の言動を考えたら、とてもじゃないが信じられない姿に幸善だけでなく、フェンスやドッグも引き攣った顔をする。
「何を泣いてるんだ……?」
困惑した気持ちを吐き出すように幸善が聞くと、青年は涙で顔を濡らしたまま、幸善を僅かに見やって、更に自分の身体を強く抱き締めていた。
「こんなに痛めつけられたら、誰だって泣くよ……!」
「痛めつけるって……それはお前もしてきたことだろう?」
セバスチャンのことを思い出し、さっきの自分の姿を思い返し、幸善は指摘するように青年に指を向けた。
しかし、青年はそれを認めないと言わんばかりに大きくかぶりを振って、涙塗れの顔を幸善に向けてきた。
そのまま激昂するように日本語を叫ぶ。
「見る方が好きなの!?やるのは嫌いなの!?」
「おいおい……何で、こいつ…スポーツ観戦みたいなこと言ってんだ……?」
幸善達の存在を気にする素振りもなく、しくしくと涙を流し続ける青年を前にして、幸善は風をまとったまま、ただただひたすらに引いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます