鯱は毒と一緒に風を食う(38)

 青年の主張は言語の壁を飛び越え、その場の全員を困惑させた。ドッグやフェンスと違って、幸善は何を言っているか正確に分からなかったのだが、それでも二人の反応や青年の発した声色、頻りに交じる吐息を聞いていれば、青年の思考が理解の届かないところにあることは容易に想像がついた。


「悪いが、もう一度、ゆっくりと説明してくれないか?どうやら、俺達は大事な部分を聞き逃したらしい」


 フェンスが片手を突き出し、青年を制止するように懇願した。青年はその頼みを快く聞き入れ、もう一度、自身の目的を言葉にしてくれる。


「動物が苦しむ姿って……興奮するだろう……?」

「何ィ?」


 フェンスが腹の底からの困惑を吐き出すようにそう口にした。


 働かない頭では話の大半を理解できない幸善から見れば、再放送かと思うほどにさっきと同じ流れだった。青年の言葉は到底フェンスが理解できるものではないらしい。

 それはドッグも同じことのようで、声こそ発していないが、表情はフェンスと同じものを浮かべている。


「ちょっと待って。確認したいのだけれど、貴方がNo.10?」

「ああ、うん……?どうして、知ってるの……?」


 ドッグの質問に青年は困惑した顔を浮かべる。


 人型のNo.10、運命の輪。その行動はC支部の仙人の多くが把握しているはずだ。それくらいの行動を取ってきている。


「これまでに大量の動物を殺しているよね?それは全て、今言ったことが動機?」


 困惑する青年からの質問に対する返答としては不十分と言えるドッグの言葉だったが、その言葉自体が返答の役割を負っていることを青年は理解したようだ。

 納得したように首肯し、さっきと同じ声色で言う。


「ああ、そうだよ……当然だよ……もがき苦しむ姿をぼうっと眺めている瞬間が……一番堪らないんだ……」


 青年の説明を受けて、ドッグとフェンスは引き攣った表情を浮かべていた。それほどまでに青年の言葉が理解できないものなのだろう。


 英語と日本語。言語の壁として存在する理解の有無ではなく、もっと根本的な考えの違いだ。

 それは何かに属するから生まれるものではなく、個としての違いと言えるだろう。


 少なくとも、幸善はこれまでに逢った人型の全てを全く理解できないものと感じたことはほとんどない。考え自体は分からなくても、その考えに到達するプロセスや考えから導き出される行動くらいは理解の及ぶものだった。


 それが運命の輪の場合は違った。この青年の考えを全て理解することは難しいと思うものだった。


 確認するように聞き出し、それを聞いた上で距離を離すような反応を見せたドッグやフェンスを見ていたら、それくらいのところまで幸善は想像ができた。


 もしくは既に想像していたと言えるのかもしれない。セバスチャンを殺した人型について考え、迷いながらも関わらないと決めてしまった時に、幸善はそこまで思い至っていたのかもしれない。

 それが直接、目の前に現れたことで確信を得た。


 幸善の口の中に突っ込まれた指も、幸善を殺害する意思があって、突っ込んでいるものだと幸善は理解する。


 別に耳持ちとしての幸善に価値がなくなったわけではない。

 ただ単純に、運命の輪がそういう価値を理解できないところにいる人型なのだ。


「君達も……分かるよね……?」


 青年の質問を受けてドッグとフェンスは言葉を失っていた。


 現状から考えるに、青年を刺激することは避けたい。青年の思考が理解できないところにある以上、青年の行動はドッグやフェンスの予想できる範囲にいない。それは人型との対戦経験がある幸善も同じことだ。


 この場で最適と言える行動は青年を刺激することなく、青年から幸善を解放させるように仕向けること。

 それが難しければ、最低限時間を稼いで応援の到着を待つ。当然、それで事態が解決するとは限らないが、このまま放置するよりはマシだろう。


 ドッグとフェンスは考え、現実的なのは後者だと思った。思考の読み取れない相手を誘導できるほどに、二人に交渉の技術はない。


「それがこれまでの目的だとして、今の目的は何?」

「今の目的……?」


 ドッグの質問を受けて、青年はしばらく考え込むように宙を見つめ始めた。ともすれば、隙だらけと思う光景だが、ドッグとフェンスが動き出すよりも早く、青年の視線は幸善に向いて、小さな声で幸善に質問するように呟く。


「何だっけ……?」


 何を言っているのだろうかと幸善が思いながら、青年を眺めていると、不意に青年が思いついたように口を開いて、「あ」と声を漏らした。


「たまには人が苦しむ姿も見てみたいな……」


 青年がそう口にして、ドッグとフェンスが表情を変えた直後、幸善の口の中に唐突な苦みが広がった。

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