鯱は毒と一緒に風を食う(16)
幸善がこれまでの経緯を一通り話し終えると、それを報告書としてまとめ上げるために、リングはそそくさと幸善の部屋を後にしていた。
未だ目を合わせることなく、ぺこりとお辞儀をしてから立ち去ろうとするリングを見送りかけて、幸善は貴重な通訳を失いかけている事実に気づく。
「あ、ちょっと待って!?俺はどうやってリングさんを呼べば!?」
幸善が慌てて呼び止めると、部屋の外に出かけていたリングは立ち止まり、やや困惑した様子で再び幸善の方を向いてきた。
ただし、視線はやはり床に向いたままだ。
「あっ……えっと……支部長を…呼んでいただければ……」
「いやいや、不便にも程があるでしょう?そもそも、その支部長と話すために通訳が欲しいし」
通訳を呼ぶために通訳が必要となれば、何のための通訳か分からない。
戸惑ったようにリングは視線を床の上を彷徨わせてから、そそくさとポケットに手を突っ込み、そこから何かを取り出していた。
「えっと……それなら…連絡先を……」
「ああ、そうしてもらうと……」
そう言いかけてから、幸善は触れたポケットにも、テーブルの上にもスマホがないことを思い出した。人型と一緒に航空機から落下した後、幸善のスマホは行方不明の状態だ。キッドの島でも一切見なかった。
「ごめん。俺のスマホなかった」
「それなら……それを……」
そう言いながら、リングが部屋の中に設置された受話器を指差した。
「これって内線だけじゃないの?」
「大丈夫…です……」
顔の前にスマホを掲げながら、小さくかぶりを振るリングの姿を見て、幸善は納得した。そこから連絡が取れるなら、少なくとも、支部長を呼びに行くよりは楽だ。
「なら、教えてもらおうかな」
幸善は元からテーブルの片隅に置かれていたメモ用紙とペンを手に取り、リングの電話番号を聞き出した。これでイギリスでの通訳を本当の意味で確保できたと言える。
「では……失礼します……」
そう言って再び頭を下げてから、リングは幸善の部屋を後にした。その姿を見送り、幸善は部屋の中に置かれたベッドに寝転ぶ。
こうしている間にも、日本では幸善の知らないことが起きている。そのことを考えたら、焦りを覚えないわけではない。一刻も早く帰りたいという気持ちは否応なく強まっていく。
だが、急にイギリスから日本に戻れるわけではない。アイランドが約束してくれたのだから、既にQ支部にも連絡は行っていることだろう。
キッドの島にいた時と違って、今は確実に日本に帰れる保証がついている。そう思ったら、あの時ほどに焦る必要はない。
それよりも今は日本に帰った時のことを考え、少しでも身体を休めるべきだ。キッドの島では、そこがキッドの島であるという意識もあってか、完全に身体を休めていたわけではなかった。
数日の休みを貰えた。それもイギリスにいるのだから、実質的には旅行のようなものだ。この期間を利用しない理由はない。
そのように考え、日本に帰るまでの数日間をどのように過ごすか考え込んでいたら、幸善はいつの間にか、眠りについていたようだ。
気づいた時にはベッドに寝転んだ体勢のまま、幸善は聞き慣れないアラームを聞いていた。ぼんやりとした意識の向こうから聞こえてくるアラームに、幸善は何の音かと眉を顰める。
いつの間にか眠っていたようだが、本当にいつの間にか眠っていたのでアラームをセットする余裕はない。
そもそも、部屋の中にはアラームをセットできるスマホも時計もなかったはずだ。このアラームは目覚ましではないのかもしれない。
それでは何のアラームかと、ややアラーム音を煩わしく思いながら、その音の聞こえてくる方を見ると、そこにはリングとの会話でも見た受話器が置かれていた。幸善が内線用と勘違いした受話器だ。
それが鳴っていると気づき、幸善はそのアラームが誰かからの連絡だと理解した。
C支部内で幸善にわざわざかけてくる人物だ。誰かは分からないが、候補は限られている。
最も可能性の高い人物は誰かと考え、幸善は慌てて受話器を手にした。
また小言を言われるかもしれない。幸善はそう危惧したが、幸善に連絡してきた相手は想像していた相手ではなかった。
「もしもし!」
「…………!?あ……あの……大丈夫…ですか……?」
それはリングの声だった。
「あれ?リングさん?どうしたの?」
「実は……支部長から……連絡があって……」
「支部長から?」
やはり、さっきの幸善の考えは当たっていたらしく、連絡自体は支部長からのもののようだった。
ただ支部長と直接繋いでも、そこには言語の壁が立ち塞がる。
よって、リングが今回はかけてくる流れになったらしい。
「頼堂さんに……お願いが……」
「俺に?どうしたの?」
「仕事を……お願いしたい…そうです……」
「し、仕事……?」
リングから伝えられた不穏な言葉に、幸善はゆっくりと顔を強張らせた。
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