鯱は毒と一緒に風を食う(14)

 開いた扉の向こう側に立つ外国人男性を前にして、幸善は首を傾げた。

 逢ったことも、話したことも、見かけたこともない相手だ。その相手がわざわざ自分の部屋を訪ねてくる理由が分からない。


「どちら様ですか?」


 ぎこちないながらも英語を口にし、幸善がそこに立っている男性の素性を聞こうとした。


 ちょうど、その時のことだ。幸善の背後から物音と、リングの慌てた声が聞こえてきた。


「痛っ……!?」


 噛み締めるように呟かれた声を聞き、幸善が振り返ってみると、さっきまで座っていたはずのリングが立ち上がり、必死に足を押さえている姿を見つける。

 どうやら立ち上がろうとして、テーブルに足をぶつけたようだ。痛みに悶える様はさっきまでのリングの姿との対比から、相当な痛みが襲っていることを容易に想像させた。


「大丈夫ですか?」


 幸善が心配してリングに声をかけたところで、幸善は唐突な温もりを耳元に感じ取った。


 再び振り返って、扉の向こうに目を向けてみると、さっきまで部屋の外に立っていたはずの男性が距離を詰めて、幸善に顔を近づけている場面と遭遇する。

 僅か数センチのところに男性の顔があり、幸善は想像していなかった距離感に慌てて飛び退いた。


「うわっ!?何っ……!?」


 幸善は思わず声を上げて、男性との間に距離を作っていた。誰なのかは分からないが、初めて逢った相手にする距離の詰め方ではない。


 この人は何者なのか。距離感が異常ではないか。抗議をするべきなのか。いろいろなことを考えながら、幸善は男性から離れた位置で落ちつこうと大きく息を吸ったが、男性は幸善の反応を含めて、一切取り乱した様子がなかった。


 それどころか、自分から離れる幸善まで興味深そうに眺めて、ふんふんと何かに納得したように何度も頷いている。


「なるほど。君がそうか」


 そのように英語で呟きながら、男性は幸善の顔を観察するように頭を近づけてきた。


 さっきから何がしたいのか分からないが、人の顔をじろじろ見ることの失礼さは万国共通のはずだ。幸善は男性の視界を遮るように片手を伸ばし、近づいてくる男性を引き離した。


「誰か知りませんけど、人の顔をジロジロ見ないでください」


 そう日本語で口にしてから、相手に伝わっていないと幸善は気がついた。英語に翻訳しようと頭の中で言葉を並べてみるが、会話をスムーズに行うにはあまりに遅い時間がかかっている。


 その翻訳を待たずして、男性は幸善に対する興味を途端に失ったように、幸善から距離を取った。

 あまりに急な対応に驚いたが、距離感としてはこれが正常だ。これで何者であるか聞ける。


 幸善がそう思ったのも束の間、男性は一言口にして、部屋の外に身体を向けた。


「分かったからもう大丈夫。じゃあね」


 幸善にも分かる簡単な英語を口にしながら、男性は軽く手を振って、部屋から出て行ってしまう。


「え!?ちょっ!?あの……!?」


 それを幸善は呼び止めようと思ったが、相手は幸善の言葉を聞くことなく、さっさと部屋から立ち去ってしまった。


 後には呆然と立ち尽くす幸善と痛みに悶えるリングだけが残される。


「何だったんだ……?」


 そのあまりに唐突な存在に幸善が呟いた直後、痛みに声を震わせながら、リングが消え入るような声を漏らした。


「No.……1…です……」

「え?何て?」

「さっきの方は……序列持ちナンバーズの…No.1……です……」

「は…ぁあ……?」


 リングの言った言葉の処理に時間がかかり、幸善はしばらく反芻するように考えてから、ようやく理解した言葉の意味に押されるように部屋の外を覗き込んでいた。

 さっきの男性の姿はもうない。その空間を眺めながら、腹の底から思ったことが声に出る。


「マジ……?」


 竜巻のように突発的な存在を思い出し、幸善はそれがリングの言う序列持ちのNo.1であることが最初は信じられなかった。

 No.1であるからにはもう少し真面な人物であるはずだ。そう思いかけて、幸善はこれまでに逢った序列持ちを順番に思い出す。


「ああ……まあ、確かに言われてみれば……」


 非常に序列持ちっぽい。さっきの男性の振る舞いを思い出し、幸善はそう思った。

 疑問に思うまでもなく、序列持ちのNo.1なら、あれほど自由な行動をするべきだろう。幸善は納得する。


 その一方、さっきの男性が序列持ちであるなら分からないこともあった。


 それが幸善を訪ねてきた理由だ。逢ったことも、話したことも、見かけたこともない序列持ちのNo.1が何の用で自分を訪ねてきたのだろうかと幸善は当然の疑問を懐いた。


 何か深い意味があったのか。そう考えるのも束の間、幸善はこれまでに逢った序列持ちを思い浮かべ、一つの答えを導き出した。


 多分、気紛れだ。これほど納得できる理由もない。

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