花の枯れる未来を断つ(7)

 コンタクトは檜枝が水月と別れた後に取られた。


「ごめんなさい。ちょっといい?」


 自宅に帰宅途中の道端でのことだ。檜枝の前に一人の女性が立ち塞がり、明らかに相手が檜枝と分かる声のかけ方をしてきた。


 そのかけられた声に檜枝は戸惑った。急に声をかけられたこともそうだが、この場合の戸惑いの大半は相手の容姿や発した言葉が原因だ。


 目の前に立つ女性は明らかに日本人ではなく、発した言葉も英語と分かるものだった。


「少し聞きたいことがあるのだけど」


 檜枝の戸惑いを知ってか知らずか、女性は気にすることなく言葉を続けた。


 幸いにも、女性の口にした英語は檜枝がこれまでに培ってきた英語学習の範囲内の言葉だった。何を言っているか、即座に変換することは難しくても、少し考えれば意味を理解することはできる。


「えっと……何ですか?」


 檜枝は何とか女性に意思を伝えようと、可能な限りの英語を口にした。発音は拙かったが、意味は相手に伝わったらしく、女性は軽やかに笑って、更に言葉を続ける。


「貴女、わよね?」


 そして、次に発した言葉を頭の中で変換するのに、檜枝は相当の時間を要した。


 意味自体はすぐに変換することができた。檜枝に対する言葉として、適切な意味はすぐに汲み取れた。

 だが、その意味の言葉を実際に発したと、檜枝は思うことができなかった。まさかと考え、他の文章を作ろうとし、檜枝の脳は失敗した。


 気づいた時には、不思議そうに首を傾げながら、女性の浮かべる朗らかな微笑みが歪んで見えるようだった。


「もう一度……お願いできますか……?」

「ああ、そうね」


 もしかしたら、意味が正確に伝わらなかったと思ったのかもしれない。


 今度は間違いがないように、と言わんばかりに女性はスマホを取り出し、そこに言葉を吹き込んだ。

 それまでのややゆっくりした口調とは違い、檜枝には早口にも思える声で何かを呟き、檜枝にスマホの画面を見せてくる。


 そこには明確に、間違えることなく、檜枝が疑った言葉が表示されていた。


『未来が見えますか?』


「どうして……?」


 戸惑いから檜枝はそのように質問していた。イエスでも、ノーでもない曖昧な返答だ。


 だが、この場でその返答は明確に答えているも同然だった。未来が見えると言われて、どうしてと返ってきたら、そこにくっつく言葉は容易に想像ができる。


 どうして、分かったのか。そこまで想像したのだろう。目の前の女性は再び笑みを浮かべた。


「どうして、という質問には答えられないけど、声をかけた理由は答えられるわ。別に何かをしようと思っているわけではないの。貴女の力を利用したいわけでもない。ただ、そういう力を持った人を助けているだけなのよ」


 少し口調が速くなったこともあってか、女性の口にした言葉の全てを理解することはできなかったが、耳の奥に残った後半部分を読み解くことはできた。


「助けている?どういうことですか?」


 檜枝の耳が間違っていなければ、女性は明確に特別な力を持った人物を助けていると口にした。


 それが本当だとしたら、その言葉は二つの意味を持つ。


 一つは目の前の女性が檜枝にとって味方であること。


 もう一つは檜枝と同じような力を持った人物が他にもいることだ。


 檜枝はこれまで孤独に生きてきた。それを呪ったことはないが、完全に受け入れられた時もない。もしも違う生き方ができたら、と想像したことは数え切れない。

 自分の生き方を否定したいわけではないが、他に可能性があったのなら、そちらを覗いてみたいと思うものだ。自分の目が未来を映すように、それが一瞬だったとしても、見るくらいはいいだろう。


 その思いも水月との出逢いが薄れつつあった。今の生き方をようやく本当の意味で受け入れ始めていた。


 そこに飛び込んだ女性の言葉に檜枝は僅かばかりの動揺を覚えた。興味がないと言い切れば、それは嘘を吐くことになる。


「話を聞いてみる?」


 檜枝の問いに女性が問いを返し、檜枝は怒ることなく、少し考えてから首肯した。その反応に女性は笑みを浮かべ、辺りを見回し始める。


「ちょっと長い話になるかもしれないから、場所を移したいのだけれど、いい場所とかあるかしら?」


 場所を移動したいと言っていることが辛うじて理解できたので、檜枝は少し考えてから、ちょうど向かっていた自宅のことを思い出した。

 ここから数分歩くことにはなるが、今日は両親も不在で話しやすい環境と言えるだろう。


 そこでいいかと檜枝は英語で確認し、女性は少し考えてから、分かりやすく手でオッケーのサインを作る。


「では、案内します」


 檜枝が自宅に向かって歩き出し、女性はその後ろをついて歩き出す。女性からは僅かに花の香りが漂っていた。

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