花の枯れる未来を断つ(6)

 当初は詐欺の可能性も疑われた檜枝だが、水月との交流を重ねる中でも、何か怪しい言動が確認されることはなかった。


 葉様が危惧していたように怪しい壺や石を売り込むことは当然なく、檜枝の望みは普通の友人関係の形成に繋がるものばかりだった。

 食事を共にしたり、買い物に行ったり、カラオケに行ったり、そういう交流を数度、繰り返した。


 そして、その度に檜枝が口にする「初めて」という言葉に水月の中の疑いは少しずつ解けていた。


 檜枝は本当に特別な力を持っていて、これまで水月が普通と感じるだけの他者との交流もなく、ここまで来たのだろうと想像したら、檜枝を疑う言葉も、疑う気持ちも水月は持てなかった。


 それに檜枝との交流は水月にとっても救いだった。

 檜枝と逢う時間を作ることで、必然的に水月の意識は別のことに向く時間が増え、いらない思考を進める時間が減り始めていた。


 檜枝の優しさに満ちた振る舞いや、自身の特別な境遇を受け入れる考え方も、水月の気持ちと向き合うきっかけになった。


 キッドへの憎しみはどう足掻いても消えることはない。

 だが、憎しみから刃を振るっても、何かが成されるわけではない。憎しみが晴れると決まっているわけでもない。


 憎しみばかりに追われ、今ある自分の環境が壊れるなら、それこそ本末転倒だ。

 何を得て何を失うのか、水月はちゃんと自分の気持ちと向き合い、そのことを考え続けないといけない。


 檜枝との出逢いでその当たり前のことを考え、水月は少しずつ自分の中の憎しみと付き合うことができるようになっていた。


「ありがとうございます」


 ふと檜枝がお礼の言葉を口にしたのは、何回目かに逢った時のことだ。買い物帰りに休憩しようと自販機で飲み物を買って、近くのベンチに座った後にぽつりと零すように言ってきた。


 飲み物を買ったのが水月で、檜枝に手渡していたなら分かるが、檜枝が近くで買ってきた飲み物を水月が受け取った場面だ。買った荷物もお互いに持っていたので、礼を言われる状況ではない。


 水月は何のお礼かと思い、目を丸くし、檜枝は眺めた。その視線に檜枝は照れ臭そうに笑い、今度は「ごめんなさい」と口にする。


「急にこんなことを言われても迷惑ですよね」

「いや、迷惑というか、驚いただけですよ。急にどうしたんですか?」

「こんな私ですからね。ふと近くにいる人にお礼を言いたくなる瞬間があるんです。両親にも急に言って、驚かれることがあるんですけど、でも、私は恵まれていると思うから」


 その言い方で檜枝の中ではきっと、もっと最悪なケースの想像ができていたのだと水月は察した。その場所から考えたら、今の自分は恵まれている。


 たとえ、友人と呼べる相手がほとんどいなくても、一人ぼっちになっていないのなら、それはとても良かったことではないか。


 檜枝の考えを想像し、水月はゆっくりと首肯した。確かに今の自分は恵まれている。水月も同じことを思った。


「お礼を言うとしたら、こちらの方こそですよ。檜枝さんの考え方を聞いていたら、私の悩みも解決してきましたから」

「水月さんにも悩みが?どのようなものですか?」

「大したことではないんですよ。檜枝さんの抱えているものに比べたら。私の悩みはただの想像とか、そういうものの塊ですから」


 檜枝の悩みは現実にそこにあるものだ。触れられるものではないが、手を伸ばせば触れられそうなほどに近くにある。

 それを悩みと呼称すれば、水月の悩みは妄想と呼ぶ方が近かった。


 憎しみも全て含めて、現実にそこに迫っているものではない。あると分かっていたものをあると意識して、改めて思い出しただけのことだ。

 それが水月に関わってくると、水月自身も分かっているわけではない。悩むだけ馬鹿らしいほどに遠くの話だ。


「檜枝さんと逢えたことで目が覚めて、今は少し清々しいくらいです。解決したと言い切れるかは分かりませんが、本当に気にならないくらいになったんですよ」

「良く分かりませんが、水月さんの力になれていたのなら良かったです」

「本当にありがとうございます」


 お互いにお礼の言葉を口にしてから、水月と檜枝は照れ臭そうに笑い声を上げた。


 いろいろと不安なことも多かったが、今は目の前にあることに集中しよう。今の自分にできることをもう少し現実的に追い求めるべきだろう。

 水月は自分の中の憎しみと距離を置く決意ができ、そのことに対する安堵感で一杯になっていた。


 だから、それ以外のことを深く考えることはなく、秋奈の言っていた忠告の意味を改めて考えることはなかった。

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