憎悪は愛によって土に還る(18)

 憎しみが募っていたからではないと相亀は思っているが、その真意は自分でも分からない。気づいた時には吹き飛んだザ・フライを追いかけ、相亀はもう一度、拳を叩き込んでいた。


 もちろん、土の鎧を貫通したからと言って、ザ・フライが動けなくなるほどのダメージが入ったわけではない。確かに大きなダメージは入っているが、本体のタフさを考えたら、限界まで殴ることは正しいと言えた。


 だが、それをいつまでも許してくれるザ・フライでもない。いつかに見たように呻き声を上げると、ザ・フライは自身の身体から土を周囲にばら撒いた。


 土の塊を作るわけでも、鎧のように硬くするわけでもない。純粋な砂粒による飛沫だ。流石にアッシュの妖術でも、どうにかなる対象ではなく、相亀は飛び散る土から顔を守るように手を上げて、その場に立ち止まるしかなかった。


 土の飛沫が去った後は土煙が舞い上がり、ザ・フライの動きは消える。位置はリセットされ、もう一度、距離の壁ができる。次の動きを正しく予測できる保証はない。


 今の流れで倒し切りたかった。そのように相亀が後悔を懐く中、相亀の手の中に収まっていたアッシュが蠢き、手の隙間から不意に頭を出した。


 土の飛沫が止んで、土煙が舞い始めた直後のことだ。そのアッシュの動きに相亀が驚き、慌てて手の内側に押し込もうとした瞬間、アッシュは広がる土煙の中に舌を伸ばした。

 舌は土煙の奥へと突っ込み、伸び切ったようにピンと張って停止する。何かにぶつかったかどうかは広がる土煙が邪魔をして分からない。


 だが、アッシュはその奥の様子が分かっているように、二、三度、伸ばした舌を少し揺らすと、大きく頭を動かして舌を引っ張った。


 その直後、釣竿を引っ張り上げるように舌が豪快に引かれ、土煙の奥から何かを引き摺り上げてきた。


 それはザ・フライの身体だった。


「え……!?ええ!?」


 驚きのあまり声を上げる相亀の前にザ・フライが迫ってくる。近づいたことで分かったが、ザ・フライは伸ばされたアッシュの舌に絡まれ、身体のあちこちが溶け始めているようだ。うまく身体を動かすことができなくなっているどころか、舌に縛られた腕は今にも崩れ落ちそうになっている。


 その光景に相亀は納得したように小さく頷き、迫るザ・フライを見ながら拳を構えた。

 どうやら、アッシュは最初から協力を考えてくれていたらしい。それが分かる光景だった。


 相亀の眼前にザ・フライが届いた瞬間、相亀はまだアッシュの涎が残った拳をザ・フライに叩き込んだ。ザ・フライは地面に叩きつけられ、そこでピクピクと痙攣させる以外の動きを止める。


 死んではいないはずだ。それほどの力は込めなかった。いや、正確には込められなかったと言うべきだろう。アッシュの涎による痛みで、拳はだんだんと力が入らなくなっていた。


「終わった……」


 いろいろな気持ちが溢れ、相亀はそう口にしながら、その場にへたり込んだ。相亀の手からアッシュが飛び出し、ザ・フライの隣に着地する。相亀はその光景を見ながら、大きく息を吐き出す。


「相亀君……?」


 穂村が階段前から少し身を乗り出し、心配そうに相亀に声をかけてきた。その声に反応し、相亀が振り向こうとした瞬間のことだ。


 ザ・フライの身体に絡めるようにアッシュが舌を伸ばした。


「ん……?」


 振り向きかけた首を止めて、相亀はアッシュに目を戻す。何をしようとしているのだろうかと当然の疑問を懐く。


 次の瞬間、アッシュが絡んでいた舌を引っ張り、ザ・フライの身体を口元に運んできた。ザ・フライは相亀に殴られ、アッシュの涎で身体が溶かされ、既に抵抗できない状態だ。


 その状態のザ・フライを少しずつ口に含んで、アッシュは順番に飲み込み始めた。ザ・フライの苦痛に塗れた唸り声が僅かに聞こえてくる。


「おい……マジか……?」


 その光景に相亀が引く中、アッシュはザ・フライの身体を完全に腹の中に収めていた。最後には満足そうに「ケロッ」と、げっぷ代わりの鳴き声を上げている。


 テレビでも見られない衝撃的な光景に相亀は引き攣った顔をする。感想の言葉でも出てこないほどの映像だった。

 その背後に穂村が近づいてきた。座り込んだ相亀と満足そうなアッシュを見ながら、心配した様子で声をかけてくる。


「大丈夫?相亀君?」


 その声と一緒に差し出された手を見て、相亀は首肯しながら、アッシュの涎に塗れていない方の手を伸ばそうとした。


 その瞬間のことだ。相亀の頭の中に突如、理性が飛来した。


 ザ・フライと戦っていた最中の記憶が全て思い起こされ、穂村の手に自分の手を伸ばそうとした体勢のまま、完全に動きを止める。


「あれ……?ていうか、俺……?普通に穂村に触って……?」


 そう考えた直後、相亀の頭に急速に血が昇り、塞がっていたはずの傷口から再び血を噴き出した。


「相亀君!?」


 思わず叫んだ穂村の声を聞きながら、相亀は揺れる視界のまま、ゆっくりと床に倒れ込んでいく。


 さっきはどうして大丈夫だったのだろうか。僅かに残った意識に疑問を残しながら、相亀はゆっくりとその意識を手放した。

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