憎悪は愛によって土に還る(11)
左腕の欠損に右腕の骨折。状況は前回の最後に巻き戻ったが、相亀の狙いはそこで終わりではなかった。
ザ・フライの輪郭以外の情報が白く包まれた向こう側から、僅かに聞こえてくる呻き声に耳を傾け、相亀はザ・フライの右腕を掴んだ腕に力を入れた。
骨の折れた痛みでザ・フライの腕から力が抜けたことは分かっている。今のザ・フライに相亀の行動を止める手段はない。
身体を勢い良く背後に逸らせ、そのまま後頭部から倒れ込むように、相亀は勢い良く腕を引っ張った。
瞬間、ザ・フライの輪郭が途切れ、相亀の視界の中に右腕の形だけが残った。
相亀は背後からショッピングモールの床に倒れ込んだ。背中に衝撃が襲ってくるが、朦朧とした頭はその衝撃すらも遠く感じさせる。
腕の中には何かを掴んだ感触だけが残り、遠くからザ・フライの声が聞こえている気がした。痛みに苦しんでいるのか、叫んでいるような声だ。距離は近いはずなのだが、相亀の意識の乖離に沿って、その声はどんどんと遠くなっている。
これでザ・フライの武器を奪った。右腕を失い、土でできた作り物の左腕では相亀に有効な一撃を与えられない。
攻撃は必然的に足に依存する。そうなれば対応することも難しくはない。少なくとも、さっきまでの相亀なら、そうだっただろう。
しかし、今の相亀は違った。ザ・フライの一撃を真面に受け止め、今すぐにでも意識を手放しそうな状態だ。その状態でザ・フライの動きを見極められるはずもない。
その当然の事実に気づいていながらも、目を瞑ろうとしていた相亀の前に、ザ・フライの影が移動してきた。
ロープで縛りつけるように無理矢理に意識を保ちながら、ゆっくりと目の前の状況を見定めようとした相亀の視界の中で、ザ・フライの輪郭がじんわりとした色を帯びていく。
そこにザ・フライが立っている。その姿がぼんやりとしたものながらも見られるようになった時には遅く、ザ・フライの足が振るわれていた。
咄嗟のガードも間に合うことはなく、相亀は再び一撃を脇腹に食らって、ショッピングモールの中を転がっていく。
相亀は倒れ込んだまま、大きく息を吸い込もうとした。
しかし、今の一撃とその前の一撃の影響か、相亀はうまく呼吸することができなかった。ストローで吸っているのかと思うほどに、細く僅かな空気しか肺に取り込めない。
苦しい。死ぬ。それらの思考を掻き回すように、痛みは常に襲ってくる。
逃げる。時間稼ぎ。ザ・フライを倒したいという欲の向こう側から、甘い誘惑のように考えが湧き出てきた。それを振り切る力もなく、相亀は逃げ道を探すように、辺りに目を向けようとする。
その時のことだ。不意に一人の赤子の泣く声が聞こえ、相亀の意識がそちらに引っ張られた。付随する声は逃げ惑う人々の怯える声で、怒鳴り声も中には交じっている。
もしも、相亀がここで逃げてしまえば、それらの人々がどうなるかは分かったものではない。相亀の背中には多数の命が乗っている状況なのだ。
重い。それらの責任はあまりに重過ぎる。
だが、重い故に逃げる足もうまく動いてはくれなさそうだった。それらの責任を背負ったまま、逃げられるほどに距離は短くない。
相亀は腕や足を無理矢理に立て、その上に身体を乗せるように起き上がろうとする。
立つ、という言葉で表現するにはあまりに無様な姿だ。ようやく立ち上がれるようになった赤子でも、もう少しマシな立ち姿をしているだろう。
それでも、相亀はここで立ち上がる以外の手段を持っていなかった。
視界は一撃を食らった時と比べて、僅かに回復した。さっきの一撃も重いものではあったが、右腕を失った痛みからか、怒りからか、ザ・フライの攻撃にはブレが見られ、それがダメージの低下を招いていた。
ぼんやりとした景色の中で、ザ・フライと思われる姿を発見し、相亀は拳を構える。相亀が倒れたとしても、その時にザ・フライも倒れていたら、こちらの勝ちだ。
その状況を作るために相亀はザ・フライの動きを集中して見つめる。
その景色の中でザ・フライが声を上げながら、姿を消した。呻き声にしか聞こえない鳴き声だ。
相亀は周囲に意識を向けながら、ザ・フライの姿を探すように首を回していく。右側を向きながら、背後に目を向ける動きだ。
その動きが偶然にも、ザ・フライの狙いと噛み合った。相亀が振り向くために見た右側にザ・フライが立ち、そこで相亀に蹴りを噛まそうと足を上げてきた。
その動きを見た相亀に取れる手段は二つだ。
足をガードするか、足を受け止めるか。その選択肢のどちららを選ぶか考えることなく、相亀は振り抜かれた足を腹で受け止めた。
衝撃に襲われながら、相亀はザ・フライの頭を睨みつける。
そこに無理矢理、拳を叩き込んだ。
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