憎悪は愛によって土に還る(10)

 倒れかけた意識を横から支え、相亀は浮ついた頭で現状の把握に努めた。


 相亀の攻撃とザ・フライの攻撃を比べたら、ダメージ効率は圧倒的にザ・フライが勝っている。


 問題となるのが速度と硬さだ。ザ・フライの速度は相亀の目で追うことができず、その動きを正確に把握することはできない。

 あの妖術によって作られた硬い鎧も、相亀の攻撃を受け止めるのに十分過ぎている。相亀の攻撃は簡単に通らない。


 既に負ってしまったダメージを考えなくても、状況的には相亀が圧倒的に不利だ。そこにダメージが重なれば、不利という言葉だけでは片づけられないほどになる。


 その中に僅かに見えた光明がザ・フライの弱点なのだが、相亀はそれを理解した上で、その弱点をいかに利用するか考えていた。


 さっきの威力の低さの理由は何となく理解できた。知識も血も足りない頭で必死に考えた結果がどれほど当たっているか分からないが、遠くはないだろう。

 それは明確な弱みなのだが、相亀にその弱みをつける手段があるかと言われれば、それもまた微妙なところだ。


 そもそも、相亀がザ・フライを相手にする中で問題となるポイントがその弱点の存在程度では解決できない。

 この差を埋めるためには他の何かが必要だ。


 そのように考えたところで、相亀の思考は一旦閉じる必要があった。回転しながら足を振るったザ・フライが振り返り、相亀を見たと思った瞬間、相亀の前に移動してきた。


 左の一撃は安いことが分かっている。そちらは問題ないが、右は別だ。一撃の重さは相亀に確実なダメージを与え、意識を奪うことに貢献するだろう。


 ガード。安全な対応を咄嗟に思い浮かべ、相亀は両腕を上げた。それと同時にザ・フライの左腕が振るわれ、相亀は少し背後に吹き飛ぶ。

 だが、この吹き飛びは相亀自身の跳躍によるものだ。右の一撃が来た時にガードだけで問題ないか分からないため、勢いを殺すために背後に逃げていた。


 その行動自体は間違いではなかったが、正解かと言われれば微妙だった。


 確かに被ダメージを考えた時に行動としては正しい。もしも右が来た時に動けなくなる可能性を潰した行動だ。


 だが、今の行動を取っていてはいつまで経っても、ザ・フライに一撃を与えることができない。こちらが受けるダメージ以上のダメージを与えないと、相亀がいつか倒れることは確定的だ。


 時間稼ぎ。一瞬、頭を過ったが相亀はすぐにかぶりを振った。


 相亀はザ・フライと相対し、ザ・フライを倒すために、ディールとの地獄のような、地獄の方が甘いと思うような時間を過ごしてきた。

 それをここで捨てて、他の仙人に成果を与えるなど、馬鹿げているにも程がある。


 相亀の頭の中を椋居の姿が過った。椋居はもう二度と歩けないかもしれない怪我を負った。その償いをザ・フライにさせたい。


 その考えを懐いてから、相亀の頭に浮かんだ考えが相亀の思考を止めた。


 償い。それは何もザ・フライに限った話ではない。椋居に怪我を負わせたのはザ・フライだが、そこに巻き込んでしまったのは相亀自身だ。


 もしも償いが必要なら、それは相亀も同じことのはずだ。相亀も椋居に償わなければいけない。

 その思考がさっきの相亀の行動を批判し、別の解答を叩きつけてきた。


 前回はノワールが同行し、ノワールの鼻を利用することで、相亀はザ・フライの位置を特定し、攻撃に合わせて攻撃を叩き込むことができた。

 今回はそれができない。相亀にザ・フライの移動を特定する手段はない。


 だが、ザ・フライに変化があったわけではない。移動と攻撃は同時にできない。その部分に変わりはなかった。


 つまり、ザ・フライはどれだけ瞬間的に移動しても、攻撃の瞬間には動きを止める。その瞬間に変化がないのなら、その瞬間に相亀が一人で合わせればいい。


 もちろん、何の準備もザ・フライの行動予測もなく、そこに完璧に攻撃を合わせることは不可能だ。速度的に絶対に間に合わない。

 ガードを合わせるのでギリギリ。威力のない攻撃でいいのなら、合わせることもできるだろうが、その行動を取るくらいなら、ガードをしている方がマシだ。


 なら、どうするか。相亀の頭の中には既に答えが浮かび上がり、それを試させてくれるように、相亀の背後にザ・フライが移動した。

 相亀は瞬間的な空気の揺れと、接近した妖気の感覚から察し、背後にちらりと視線を向ける。


 ガード。頭を過った考えに相亀はかぶりを振り、咄嗟に振り返った。


 相亀の策に必要な条件は一つだけだ。何があっても、ザ・フライに正面を向くこと。


 次の瞬間、ザ・フライの右拳が振り抜かれ、相亀の腹に突き刺さった。相亀の意識を問答無用で刈り取る一撃だ。相亀の視界からザ・フライの輪郭以外の情報が消し飛び、一瞬で目の前が真っ白になった。


 その中で相亀は僅かに残った腹の感触に腕を伸ばした。ガードを捨て去れば、ザ・フライの一撃は相亀の身体に振り抜かれる。


 その時、ザ・フライは完璧に無防備になる。その狙い通り、ザ・フライの右腕は相亀に残された力でも、しっかりと握り締めることができた。


 これで逃げられない。相亀が視界の中に僅かに残った輪郭を頼りに拳を構える。


 ザ・フライの左腕は消失した。それが元に戻っていたのは生えたからではない。

 新たな腕をつけたからだ。それも妖術によって作られた土の腕だ。


 どれだけその腕が硬くても、振り抜くのに肩を振るう力だけを利用しているのなら、その拳に威力が乗ることはない。


 そして、それはザ・フライにとっても、腕の消失は明確な弱体化となることを証明している。


 だから、相亀は目の前に残った輪郭に拳を振り下ろした。


 何かの折れる鈍い音が拳を伝い、もう片方の手で掴んでいたザ・フライの右腕から、瞬間的に力が抜けたことが相亀にも分かった。

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