憎悪は愛によって土に還る(9)
相亀の身体は緩やかな放物線を描いて、逃げ惑う人々の中に落下した。床に身体を打ちつけて、ピクリとも動かない相亀の姿に、一瞬の沈黙が広がったかと思うと、すぐに二度目の悲鳴が鳴り響く。
それはサイレンのように辺りの客に危険を伝え、ショッピングモールの中は更なる混乱に包まれていた。
その中で相亀は片手を地面につき、ゆっくりと身体を起こした。
まさか、相亀が動き出すとは思っていなかったのだろう。逃げ惑う数人の足が止まり、相亀は驚きに満ちた目で見つめていた。
相亀はその目をちらりと見つめ返し、興味がないと言わんばかりに無視をする。
驚きだけではなかった。当然のことだが、それを想像するのと実際に向けられるのでは意味が違う。
「関係ない……」
消え入るように呟き、相亀は右拳を強く握った。左手は頭に伸ばし、床にぶつけた際に軽く出血した部位を拭う。
ザ・フライはショッピングモールの外に飛び出たようだ。ガラス製の扉が砕け、その向こうで奇怪な姿が起き上がろうとする光景が見える。
その隙だらけな姿に好機と判断し、相亀が拳を握ったまま、そのザ・フライのところに走り出そうとする。
相亀が忘れていたことを思い出したのは、その直後のことだ。
以前、ザ・フライと戦った時は相亀の攻撃が一つもザ・フライに効かなかった。それはザ・フライが妖術で、自身をコーティングしたことで打撃の衝撃が通っていなかったからだ。
そのことをようやく思い出した時には、走り出す相亀の眼前にザ・フライが立っていた。
瞬間、相亀の身体が動き出すよりも先にザ・フライの腕が伸び、相亀の頭に降ってきた。バウンドするボールを押さえつけるように、相亀の頭が床に叩きつけられる。
その衝撃に視界をチカチカさせる相亀の頭の中で、前回、ザ・フライと戦った時の光景がフラッシュバックした。
その光景と今の光景の中に潜む違いに相亀が気づき、何かがおかしいとふわふわとした頭で考えようとする直後、ザ・フライの身体が回転し、振り抜かれた足が相亀の頭に激突した。
相亀はショッピングモールの壁に強く叩きつけられるように吹き飛んだ。気づいた違和感の正体を突き止めようとした頭は停止し、相亀は意識を保つことで精一杯になる。
ここが人里離れた山奥なら、敗北は相亀がただ野垂れ死にすることを意味し、他の問題は孕まない。
だが、ここは人々が逃げ惑うショッピングモールの中だ。事態を奇隠が把握しているとしても、駆けつけるまで時間がかかる以上、ここで相亀が死ぬと大量の死人が出る最悪の事態になりかねない。
死ぬわけにはいかない。地面や壁に手をついて、ゆっくりと立ち上がる相亀の傍で、ザ・フライが急停止した。瞬間的な移動と攻撃は同時に襲ってこない。その法則は現在も成立しているらしい。
振り抜かれた右拳を回避し、次にやってきた左拳を腕で受け止める。
その時だ。相亀は腕を襲った奇妙な感覚に気づいた。
(パンチが柔らかい……?いや、速度が出ていない……?)
そう考えている相亀の前で、ザ・フライの左足が軸足となって、右足を勢い良く振るってきた。ショッピングモールの壁を刻むように接近する踵から逃げ、相亀はザ・フライと距離を取る。
遠くにザ・フライを見ながら、相亀はさっきから自分を襲う違和感の正体を考えていた。二発も真面に食らい、頭は若干ふらふらとしているが、まだ思考の全てが奪われたわけではない。
ディールの一撃と比べれば、ザ・フライの一撃など話にならない。食らっても問題のない一撃など、何もされていないのと同じだ。
少し身体は重たいが、ザ・フライの攻撃に対応するには十分だ。問題はザ・フライにダメージを与える方法だが、今の相亀にその手段は思いつかない。
そう思ってから、相亀は前回、どのようにダメージを与えたか思い出そうとして、ようやく懐いていた違和感の正体に気がついた。
(あれ?あいつ、両腕がある?)
前回、ザ・フライは相亀の攻撃から逃れるために左腕を引き千切っている。骨を折った右腕は回復するにしても、引き千切った左腕が回復するようには思えない。
それでは一体、どうやって腕が復活したのか。湧き出た疑問を考えながら、相亀は頭から流れ出る血を拭おうと腕を伸ばした。
その時、視界の中を土が舞った。何かと思えば、上げた相亀の腕から土が落ちているようだ。いつの間にか、腕についていたらしい。
そのことに気づいてから、相亀はザ・フライの妖術を思い出し、納得する。
(そういうことか……)
相亀はザ・フライの明確な弱点を発見した。
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