憎悪は愛によって土に還る(5)

 病室の扉を開けば、ベッドの上で横になる椋居の姿が目に入った。病室に一歩踏み出すよりも先に目が合ったので、軽く会釈をしてみると、椋居は明らかに驚いた顔をする。


「こんにちは」


 声をかけながら近づく間に、椋居は驚きを少し消化したのか、表情の半分ほどを笑みに変えて、こちらを見ていた。


「ビックリした。まさか、穂村さんが来るなんて」


 その一言に穂村は微笑み返した。


 来訪はほんの思いつきだった。水月から話を聞き、何となく、椋居と話しておきたいと思った。それが何になると言われたら、うまく答えることはできないが、それをしないと置いていかれる気がして、気づいたら水月に病院の場所を調べてもらえないかとお願いしていた。


「身体の調子はどうですか?」

「すこぶるいいね。そうは見えないかもしれないけど」


 言葉こそ自嘲気味に言っているが、振る舞いは後ろ向きではなかった。作った明るさではなく、心の底から明るい気持ちでいられている証拠だ。


「悠花から聞いて、心配していたんですけど、余計でしたね」

「いやいや、穂村さんに気にかけてもらえるなら嬉しいよ。それから、敬語じゃなくていいから」


 ベッドの脇に見舞いの品を置き、穂村はその傍に置かれていたパイプ椅子を広げようとした。

 その様子を椋居がじっと眺めていると、その椅子に腰を下ろしてから気づき、穂村は少し目を丸くする。


「どうしま……どうかした?」

「いや、君の方こそ、調子はどうなのかと思って」

「私の調子?特に何も変わったことは……」

「いや、言い方が悪かったかな。弦次とはどうなの?」


 その質問に穂村は固まった。身体も表情も強張り、ロボットのようにぎこちなく、首を傾げることが精一杯だった。

 その動きに椋居が吹き出すように笑い、穂村はじんわりと頬を赤く染める。


「全く何も。最近は逢ってないし、話してもないから」

「そうなの?逢いたいとか、話したいとか思わない?」


 椋居は不思議そうに聞いてきたが、穂村はその質問にうまく答えることができなかった。

 そのずれは多分、穂村と椋居の認識の違いがそこにあるからだ。


「椋居君がどう思っているのか分からないけど、私は別にはっきりとどう思っているとかあるわけじゃなくて……」

「弦次のことは好きではないと?」

「そう……言われると分からない、かな?あんまり深く考えたことがないから。ただ悠花の隣にいてくれて、安心できる人ではあると思う。少し気になる部分もある」


 一言で言い表すなら、信頼。それ以上の気持ちがあるかと言われたら、今の穂村ではうまく答えることができない。それくらいの気持ちだった。


「そうか。でも、少しって言う割には、弦次の様子を心配して、ここに来るくらいのことはするんだね」


 椋居の言い方に驚いて穂村が顔を上げると、椋居が楽しそうに微笑んでいた。

 穂村は言葉に詰まってしまって、うまく返すことができない。


「弦次の様子を話したのは水月さんかな?やっぱり、同じバイトで長くいると、様子の変化くらいは分かるんだろうね」

「相亀君はそんなに悩んでいるんですか?」

「そうだね。あれはきっと責任を感じているね」

「責任?」

「そう。俺に怪我を負わせた責任。ないはずの責任だね」


 苦笑を浮かべ、どうしようもないと言わんばかりに俯きながら、椋居はそう言った。


 椋居の怪我は相亀がどうしたから負ったものではない。相亀に防ぐことはできなかった。それを椋居も理解しているのだろう。

 だからこそ、相亀の様子に参っている。


「どう言えばいいんだろうな。弦次は何を言っても考えるから、その責任をぶつける先を与えないといけないとは思うんだけど、俺には無理な話だから」


 当事者である椋居の言葉で動かないなら、相亀の気持ちを動かすことは不可能だと、その話を聞きながら、穂村は思った。


 責任の所在が問題なのではなく、相亀の中に気持ちが残っていることがこの場合は問題だ。それを解決する方法を椋居も穂村も、恐らく、相亀自身も分かっていない。

 だから、ずっと同じ空気を背負っている。


「もう俺のことを忘れるとか、弦次にできたらいいんだろうけどね」

「それこそ無理だよ。相亀君は……」

「そういう奴じゃないんだよな。分かってる」


 穂村と椋居が共に相亀の姿を思い浮かべ、その悩みの重さで押さえつけられるように項垂れた。


 こうして考えてみると、穂村は自分が思っているよりも相亀のことを知らないようだ。それに気づいてしまえば、途端に悲しい気持ちが波のように襲ってくる。


「あ、そうだ」


 不意に椋居が呟いて、穂村は引き寄せられるように顔を上げた。椋居は何かを思いついた顔のまま、穂村に目を向けてくる。


「穂村さん、今度、弦次のことを誘って買い物にでも行ってきてよ。買い物デートだよ」

「え?え?はい?え?どうして?」


 唐突に授けられた提案に穂村は動揺を隠すことができなかった。

 その姿に椋居が面白そうに笑みを浮かべる。


「今の弦次には少しでも責任とか、背負った重さを一緒に担いでくれる相手が必要なんだよ。そうしていたら、そういうものがまやかしだって、どこかで気づいてくれるから」

「それで、どうして私?」

「良くない?穂村さんは弦次のことが好きだし」

「いや、だから、私は……」

「分からないのなら分からないなりに気持ちを確認する時間は必要だよ。特に相手があの弦次なら、その時間は早ければ早いほどにいい。そういうもの」


 椋居の理論は考えるまでもなく、明らかな暴論だったが、暴論の一つでも通さなければ相亀の気持ちは変わらないようにも思えた。


 しかし、買い物とか言われても、何をどうすればいいのかと悩み、その悩みが思わず穂村の口から漏れ出してしまう。


「内容が思いつかないなら、もうすぐ俺の誕生日だから、俺へのプレゼントとかどう?」

「え?そうなの?」

「そうそう。弦次のセンスに任せるのもあれだし、穂村さんが一緒に選んであげてよ」


 プレゼントを渡す相手から、そういう頼みをされるのはどうなのかと思ったが、穂村は何とも言い切れない気持ちだった。

 何より、相亀と二人で外出できるなら悪くないと思う気持ちが強い。


「もしいいなら、弦次には俺から約束をつけるよ。今の弦次は俺からの頼みを絶対に断らないからね」


 時代劇の悪代官も戦く悪い笑みを浮かべ、スマホを取り出す椋居を見て、穂村は頭を悩ませた。そういう風に言われれば、途端に悪いことをしている気分になってくる。穂村の良心がダメだと制止している。


 しかし、それも束の間の話で、数秒の逡巡を挟んでから、穂村は椋居に小さくこくりと頷いていた。いろいろと考えたが、いろいろと考えたところで、気持ちの落ちつくところに変化はない。


 楽しそうに笑みを浮かべる椋居がスマホを打ち始め、穂村は相亀にごめんと心の中で謝罪する。

 それでも、約束は滞りなく決定するのだった。

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