影は潮に紛れて風に伝う(38)

 鷹人間の手によって生温い空間に引き摺り込まれ、幸善は忘れていた記憶を取り戻した。靄を突き破って流れ出る記憶の波に押され、幸善は生温い空間の中にしばし立ち尽くすことになる。


 飛行機で襲われた事実も、飛行機から落下した事実も、そこから助かった事実も、どれも衝撃的と言えば衝撃的だが、幸善の常識を揺さ振るほどではなかった。それらは人型を相手にしていると起こり得る可能性の範囲内だ。


 それでも、幸善がしばらく動くことも忘れ、湧いてきた記憶に浸るように立っていたのは、その最後の部分の記憶が理由だった。


 死にたくない、と願った幸善は手を伸ばし、人型の身体に触れた直後、幸善の身体は投げ出された。それは幸善に限った話ではなく、水飛沫や肉片も一緒に舞っていて、それを幸善は上空で確認した。渦のような形を作り出し、落下してくる姿だ。


 その光景を改めて思い出し、覚醒した意識の中で考えてみると、その光景を生み出す自然現象に思い当たる節がある。実際に見たことがあるわけではないが、テレビ等の映像でそれを見た時、それに似た光景を作り出していた。


 竜巻。頭の中でその単語を思い浮かべ、幸善は自分の体内を循環する仙気に目を向けた。


 これまで幸善はノワールと共に仙術を何度も使ってきた。それは風を生み出す仙術で、そのメカニズムは分からないにしても、妖気に触れることで使えることが分かっていた。


 しかし、それは完璧な仙術ではないと、奇隠の本部に行ったことで指摘された。幸善の中に存在する妖気が影響し、生み出している妖術に近しいもので、仙術と呼ぶには不十分だ、と言われてしまった。


 そこから、幸善は体内にある仙気の把握に努め、最終的にそれを成し遂げて、日本に帰ることになった。

 それ以降、幸善は自分の力を試していなかったので、自分の使っていた仙術がどのような形になっているかは知らない。仙気と妖気が膨らみ、どのように混ざれば、どのように力を生み出すか想像もしていなかった。


 だが、もしも幸善の中の仙気が強く妖気と干渉するようになっていたとしたら、幸善が意識的に仙術を使おうとしなくても、その力が生み出される可能性がある。

 不自然に起こった風の数々を思い出し、幸善はその瞬間に自分がどのような行動を取ろうと思っていたか考えた。


 死にたくないと願って手を伸ばし、鷹人間の行動を止めようと思って手を伸ばし、幸善はとにかく相手の攻撃から自分を守ろうと動いていた。

 その瞬間の仙気はどうだったか。さっき何も起こらなかった時の仙気はどうだったか。幸善は思い出しながら、生温い空間に目を向ける。


 そこはトンネルのような形状をしていた。それもただのトンネルではなく、柔く腸のようなトンネルだ。蠢いているわけではないが、形状が定まっていない故に、幸善が少しでも動けば、その振動が波として伝わっていく。


 その空間に当然のことだが、鷹人間もいた。周囲を見回した幸善に手を伸ばし、鷹人間が幸善の身体を更に引き摺ろうとしてくる。


 それに抵抗を考える暇もなく、幸善は鷹人間に身体を掴まれ、トンネルの中で引き摺り倒された。柔い感触が背中に伝わり、気持ち悪さを覚えた直後、トンネルの奥へと更に引き摺り込まれる。

 その奥がどこに通じているかは分からないが、その奥に向かって問題ないとは思えなかった。抵抗を考えた幸善が鷹人間の身体に手を伸ばす。


 その直前、ふとさっきの思考がフラッシュバックし、幸善は伸ばした手に仙気を移動させた。そこに論理的思考が挟まる時間はなく、本能的な判断と言うのが正しいだろう。


 幸善の仙気を含んだ手が伸びて、鷹人間の腕に触れた。鷹人間の腕は幸善を引き摺るために力を入れ、その部分に妖怪特有の変化として妖気が集まっている。

 それを幸善は知らなかったが、その行動自体は正解だった。


 次の瞬間、幸善と鷹人間の間で空気が膨らみ、風が舞い上がった。竜巻と言えるほどに大きくはなかったが、突然吹き抜けた突風に抗うことができず、幸善と鷹人間の身体は浮き上がる。


 それぞれの身体がトンネルの天井にぶつかり、トンネルの天井は悲鳴を上げた。耐え切れない圧力に襲われ、耐え切れないと言う暇もなく破けて、幸善と鷹人間は空中に放り出された。


 そこはトンネルに引き摺り込まれる前にいた島の中だった。トンネルの外がどうなっているか分からなかったが、島の中にはちゃんといたらしい。

 幸善がその事実に気づいて安堵するのも束の間、幸善と鷹人間は緩やかに落下し始めた。


 この時、幸善は落下の恐怖に襲われ、思わず近くにいた鷹人間の身体を掴んだ。鷹人間は自力で飛ぶ方法があったのか、空中で体勢を整えようとしていたが、そこに幸善の重さが加わって、途端にバランスを崩している。


「何をする!?」


 鷹人間は咄嗟に叫ぶが既に遅く、幸善と鷹人間は揃って落下し始めた。落ち方によって死んでしまうのは、人間も動物も仙人も妖怪も変わらない。


 幸善は顔を上げて、落下する先に目を向けた。

 そこでは運が良いのか悪いのか、キッドと戦車が争っている最中だった。


「やばっ……!?」


 思わず呟くが、既に体勢を整える時間も、何かをする時間もなく、落下の速度は増していく。幸善と鷹人間はお互いを蹴落とすように体勢を入れ替えようとするが、それも相手の行動に阻まれ、入れ替えたところで更に入れ替えられるだけで、大きく体勢に変化は生まれない。

 それを繰り返し、お互いに中途半端な状態のまま、幸善と鷹人間は地面に衝突しようとした。


 その直前のことだった。キッドの足元から戦車が飛び出し、キッドは戦車に影を伸ばした。その影は弾かれ、あらぬ方向に飛んでいったのだが、その場所に落ちてきたのが幸善と鷹人間だった。


 刃状の影が伸び、その影の向かう先にいたのは、幸善だった。幸善の胴体に影は接近するが、落下する幸善はそれに気づかない。


 しかし、幸善と向かい合っていた鷹人間は違った。幸善の背後に迫る影の存在に気づき、その影が幸善を貫こうとしていることを視界に捉えた。


 本来、それをそのまま放置すれば、幸善の身体は影に貫かれ、幸善は戦えなくなる。

 だが、それがどこまでかは分からない。動けなくなる程度ならいいが、幸善が死亡する可能性もある。


 人型に幸善は殺せない。それは人型の命令を受ける鷹人間も同じことだった。


 咄嗟に幸善の身体が引かれ、幸善と鷹人間の位置が入れ替わった。元より鷹人間より高い位置に行こうとしていた幸善だ。その動きに抵抗することはなく、寧ろ、入れ替わったことに驚いた。


 その驚きの直後、自分達に伸びる影の存在に気づいて、幸善は鷹人間の真意を悟る。まさかと思った幸善が咄嗟に何かを叫ぼうと口を開くが、そこから声が出てくることはなかった。


 次の瞬間、伸びた影が鷹人間を貫いた。

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