影は潮に紛れて風に伝う(18)

 幸善は気づいてしまった。そこに立っていた少年が幸善を観察し、それだけを目的として姿を消したことで、自身の考えがいかに甘かったか痛感させられた。


 キッドには目的があって、幸善をこの島に連れてくることを選んだし、この島に村を作って村人に生活をさせているとずっと思っていたが、その考えには重要な根拠が欠落していた。


 目的の有無も定かではない上に、目的が動きのある物である確証もなかった。

 今の少年がそうしたように、ただ漠然と観察することが目的だとしたら、キッドに幸善を帰す意思はないことになる。

 それくらいのことは少年に見つめられるまでもなく考えるべきことだった。


 このまま、ウィーム達と一緒に過ごしていても、キッドが姿を現すとは限らない。自分で行動を起こし、キッド達がどこにいるのか探し出さなければいけない。


 その考えが腹の底で膨らんだ焦りに押し出されるように浮かび、幸善は気づいた時にはウィームに言っていた。


 もう一度、あの森を調べてくる、と。


 本当に森を調べるつもりなのではない。幸善の頭の中にあるのは、明確な動きが見えたところの再調査だ。


 それは島の天井へと続くあの壁。あの壁を壊そうとした、あの瞬間くらいしかない。


 あの少女が再び現れるかは分からないが、あの少女が忠告したからには、あの壁の向こうに何かがあることは確かなはずだ。

 危険と言っていたが、その言葉が本当である確証もない。キッドの目的が観察にあるとしたら、幸善を外に出さないための嘘の可能性だってある。


 幸善の中の天秤には焦りが加わり、既に昨日とは違う方向に傾き始めていた。その変化が一度始まってしまったら、後はもう当人である幸善でも止めることは難しい。


 昨日と比べて遅いスピードながらも、幸善は焦りを仙気に変えて、島の天井へと続く壁の前に移動していた。


 このような生活を続けることはできない。悪いのではない。良くないのだ。幸善には目的があって、そのために帰らなければいけない。

 それなのに、いつまでもここで停滞していてはいけない。


 ウィームに一言告げて、森の中に踏み込んだ直後にはあった迷いも、森の奥へと足を進めるほどに、少しずつ解け始めていた。


 幸善の中にある焦りが次第にこの行動は正しいと幸善に思わせるように変化していた。いつもの幸善なら、そのことにも疑問が生まれて、もう少し気づけていたかもしれない。


 ただこの時の幸善は自分自身で噛み殺し、見ないようにしていた感情に掻き立てられ、そのことに気づけないように蓋をされていた。


 その感情こそが不安だった。幸善の心の底にずっと存在していたが、ウィームのことなどもあって、幸善が見ないように無意識の裡にしてしまった感情だ。


 それが腹の底で煮え、燃料となって幸善の足を動かし続けた。昨日よりもスピードが遅い代わりに、昨日ほどの疲労感もなく、幸善は昨日脱落した場所も無事に通り過ぎる。


 そのまま一切止まることなく、幸善は島の天井へと続く壁の前に立ち、そこから昨日と同じように壁を見上げた。


「この向こうに何が……」


 幸善は仙気を手に移動させながら、拳をゆっくりと握り締めて、そこに聳え立つ壁を見た。昨日は迷った末に振るわなかったが、今日は既に迷いが消え去っている。


 ぶち壊す。そう心に決めて、幸善は壁に向かって拳を一気に振り抜いた。


 そして、その拳が壁にぶつかる直前のことだった。


「何をしている?」


 唐突に聞こえた声に幸善の動きがピタリと止まった。言葉は案の定分からなかったが、質問されていることは理解できた。

 幸善は拳を振り抜こうとした体勢のまま、ゆっくりと振り返って、そこに立つ人物を見やる。


 それは昨日の少女ではなく、人形のように整った容姿の男だった。その容姿の印象そのままに、人形のように感情の読めない声で、幸善に声をかけてくる。


「何をしている?死にたいのか?」

「何だ?誰だよ、お前?」


 そう口にしながらも、幸善は男が誰であるのか分かっていた。ここは立入禁止エリアのはずだ。そこに踏み込める人間は限られている。


「11番目の男の仲間なんだろう?分かってる。何が言いたいんだ?」

「その壁を壊すな。面倒なことになる」

「何が言いたいのか分からないな。この壁を指差して何だ?壊されると厄介なのか?そうだよな。それは俺に逃げられるからか?」


 互いに相手が理解できない言葉を吐き続け、現場は拮抗状態から動こうとしなかった。その間にも幸善の中では苛立ちが募っていた。


 何をするでもなく、何を言うでもなく、幸善が行動を起こそうとした時にだけ接触し、幸善の行動を制限する。その有り様はさながらペットのようだ。


「もういい……考えるのは、こいつをしてからだ」


 そう言いながら、幸善は振り返り、そこでさっき振り抜きかけた拳を構えた。


「待て!」


 その声ははっきりと幸善の耳に届き、幸善にも理解できる単語だったが、幸善に待つ選択肢は存在しなかった。

 壁に向かって勢い良く拳を振るい、その衝撃で壁は幸善の眼前で崩壊する。


 その直後、その壁に生まれた亀裂から、幸善を押し潰す勢いで水が吹き出した。

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