影は潮に紛れて風に伝う(7)
ログハウスは二人で暮らしていることを考えたら、十分過ぎる広さをしていた。ウィームの案内でキッチンの方に向かうと、そこではベネオラが洗い物をしている最中だった。どうやら、ライフラインはしっかりしているらしい。
ウィームが戻ってきたことに気づいたのか、ウィームとは違う幸善の大きさに気づいたのか、ベネオラが唐突に手を止めて、こちらを振り向いた。幸善が軽く会釈をすると、ベネオラも柔らかく微笑んで、小さく会釈を返してくれる。
「あの、ご飯。ありがとうございました」
最初、そのように口にしてから、小さく首を傾げるベネオラに気づいて、幸善は言葉が通じないという当たり前のことを思い出した。幸善はできる限りの翻訳を頑張って、伝わるかどうか怪しいレベルの英語を口にする。
そこから、何とか意味を汲み取ってくれたようで、ベネオラが優しく微笑んだまま、「どういたしまして」と幸善でも分かるくらいの英単語で答えてくれた。感謝の気持ちは自分の言葉で何とか伝えたかったのだが、それもうまくできたようだ。
「あの……」
不意にウィームが幸善の袖を掴み、ぐんぐんと小さく引っ張ってきた。幸善が視線を下げてみると、ウィームは近くに並べられたテーブルや椅子を指差し、「こっち」と小さな声で呟く。
「どうしたの?」
「きて……」
そう言いながら、ウィームは幸善の身体を引っ張り続け、幸善はされるがままにテーブルの近くまで移動した。
そこでウィームは並べられた椅子の一脚を手で示し、幸善の身体をそこに押しつけるように移動させてくる。「座れ」と言っているようだ。
言われるまま幸善が椅子に座ると、ウィームは少し安心したように表情を崩してから、何かを思い出したように幸善がさっきまでいた部屋の方に走っていった。
その突然の行動に驚きながら、ウィームの立ち去った方向を見ていると、ベネオラが自分をじっと見てきていることに気づく。何だろうかとベネオラの方に目を向け、そこで視線が合うと、ベネオラは優しく微笑み、幸善から目を逸らしてしまう。
(何だ?)
ウィームの行動もそうだったが、ベネオラの行動も良く分からない。これが文化の違いだろうかと思っていたら、さっき走っていったベネオラが手に何かを持って帰ってきた。
どうやら、スケッチブックらしい。
「あの……これを……」
そう言いながら、ウィームは手に持っていたスケッチブックを幸善の前で広げる。中にはウィームが描いたらしき絵があって、それを幸善に見せたいようだ。
「これ……」
開かれたページに描かれていた絵の中でも、一人の男を描いたと思しき絵を指差し、ウィームが幸善の顔を見てきた。
「このひと……いってたにほんじん……」
「ああ、日本語を覚えるきっかけになったっていう……」
幸善はウィームから聞いた話を思い出しながら、そこに描かれた絵に目を落とした。日本人であるかどうかは分からないが、男であることは分かるくらいの絵だ。何とも言えない服を身にまとい、二本の刀を両手に持っている。
「……ん?刀を二本?服のセンス……日本人?」
不意に幸善の頭を特徴的なダサいTシャツが通り過ぎていった。
そういえば、太平洋上で発見された観測不可能な島について、報告書を見るように言って、その報告書を見せてくれた人物は、その島の調査に向かっていたそうだ。
偶然にも、その人物と絵に描かれた男の特徴が一致することに気づき、幸善は何とも言えない顔をしてしまう。
(いや、まさか……)
そう考えていたら、ウィームが絵の男を再び指差し、幸善を少し期待の籠った目で見上げてきた。
「あの……このひと、しってる……?」
その期待の籠った眼差しと、頭の中で思い浮かべる直属の上司の間で板挟みになって、幸善は散々逡巡した結果、恐る恐る口を開いた。
「知ら、ないかな……?」
「そう…か……」
落ち込んだ様子で顔を伏せるウィームの姿に、幸善の胸は死ぬほどの激痛を覚えていた。これほどまでに心が痛むことはないだろう。
そう思うのだが、奇隠の仙人として、あまり迂闊に情報を漏らすこともできない。これが本当に思い浮かべている人物だとして、そう簡単に知っているとは言えない。
「ごめんね」
いろいろな意味を込めて呟いた言葉を聞き、顔を上げたウィームが気にさせないためか、少し大きくかぶりを振った。その健気な姿にも幸善の胸は痛み、さっきのベッドに再び転がりたい気分になった。
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