帰る彼と話したい(8)

 意識を失った相亀を廊下の壁に凭れかかるように移動させてから、水月はその相亀を満木に押しつけようと画策していた。流石に意識を失った相亀を放置するわけにもいかないと、満木に相亀の世話を押しつけることができたら、水月は単独でアッシュの捜索ができ、必然的にアッシュをQ支部の外に追い出す機会を得られるようになる。


 このまま満木がついてくると、その機会があるかどうか怪しいところなので、ここで満木が離脱するに越したことはない、と水月は何とか満木を説得しようと試みるが、満木は流石に受け入れようとしなかった。


 アッシュの捜索が必要であることもそうだが、それ以上に理由として口にしたのが、相亀が意識を失った理由のところだ。


「いや、私がいたら、また気を失うかもしれないから、他の人を呼びましょう?」


 女性が苦手で失神した相亀に満木をつけることは、確かに傷口に塩を塗る行為であり、目覚めた途端に意識が途絶えかねないのだが、だからと言って、他に人を呼べる状況でもない。そう都合良く、Q支部の廊下を知り合いが歩いていることもないので、相亀を任せられる相手は満木くらいしかいないのだ。


 そう言って、水月は満木を説得しようとしたが、都合の悪いことは重なるもので、こういう時に限って、その場を知り合いが通りがかった。


「こんなところで何をしているんだ?」


 水月と満木が言い合う場面に出くわし、二人に怪訝な目を向けながら、その場を通りがかかった人物が声をかけてきた。

 その声に反応し、水月と満木が同時に振り返ってから、水月はそこに立っている人物の姿に嫌な顔をする。その表情に逸早く気づき、その人物は不満そうに言ってきた。


「廊下を塞いでいる奴に注意して悪いのか?」

「いや、別にそういうつもりじゃないよ?」


 水月は慌てて表情を取り繕い、いつもの調子で不機嫌そうに眉を顰めた葉様はざま涼介りょうすけを見た。仕事帰りか、仕事に向かうのか、他の用事があるのか分からないが、手には刀の入ったバット袋を持っている。それも今の刀に合わせた特注のサイズだ。


「邪魔だった?ごめんね」


 水月が謝りながら道を譲ると、葉様は通り抜けるのかと思ったが、一向に横を通り抜ける気配はなく、廊下の壁に凭れかかった相亀を見ていた。


「こいつは何だ?邪魔じゃないか?」

「まあ、いろいろとあって……」

「あの、ちょっといいですか?」


 満木が水月と葉様の会話に割って入るように声をかけてきた。葉様は満木を一瞥してから、特に何も言うことなく、次の言葉を待っているようだ。その雰囲気を察したのか、満木が次の言葉を口にする。


「その、もしお暇でしたら、この方を運んであげて欲しいのですが。どうやら、気絶してしまった理由が水月さんにあるようなので」

「気絶してしまった理由?」


 そう不思議そうに言ってから、葉様は相亀が意識を失う理由を知っていたのか、納得したように小さく頷いた。


「そういうことか」

「そういうことなんです。お願いしてもいいですか?」


 満木は表情を輝かせ、葉様にお願いしていたが、水月は内心、焦りまくっていた。ここで満木に相亀を押しつけられないと、満木が水月についてくることになって、アッシュを追い出す計画が完遂できなくなる。


 何とか、ここは断って欲しいと密かに願う水月の前で、葉様が吐き捨てるように言った。


「断る。こいつを見る義理はない。このまま放置していたらいい」


 その返答は人として最低だと思ったが、その気持ちを超えるありがたさで胸の中は一杯になっていた。普段なら怒っているところだが、水月は心の中で葉様に頭を下げて礼を言ってしまう。


「いや、そこを何とか!」

「そもそも、運ぶ必要はないはずだ。見るだけなら、俺じゃなくてもいいだろう?」

「そうもいかないんです。今は急用があって」

「急用?」

「はい。カエルの妖怪が逃げ出してしまって」


 それは相亀を何とか頼み込むために、満木が説明しようと言い出した一言だったが、その一言を聞いた瞬間、葉様の空気が変わり、その空気の変化の仕方に水月は嫌な予感がしていた。


「カエルの妖怪……?」

「はい。アッシュという名前で預かっている妖怪なんですけど、それが逃げ出して、Q支部のどこかに行ってしまって、それを探し出さないといけないんです」

「逃げているだと……?」


 そう言いながら、葉様は眉間一杯に皺を集めて、不愉快さを一ミリも隠すことなく、表情に露わにしていた。


 普段の葉様の振る舞いを考えるに、次に葉様が言い出す台詞はカエルの妖怪を見つけ出し、始末するというようなものだ。それは流石の水月も止めるしかない。Q支部で預かっている妖怪を無闇に殺させるわけにはいかない。


 葉様が暴れ出さないかと不安に思っている水月の前で、葉様は不愉快そうな表情のまま、相亀の隣に屈み込んだ。


「任せてもよろしいですか?」


 相亀の面倒を見てくれるのかと、満木が喜びに満ちた声を出したが、葉様はゆっくりとかぶりを振って、水月と満木を見上げてきた。


「いいや、違う。妖怪が逃げているのなら、即刻見つけ出す必要がある。あいつらの自由にさせることは絶対にあってはならない」

「えーと、それはどういう意味ですか?」


 葉様が何を言い出したのか理解できず、満木は困惑している様子だった。その質問を聞きながら、葉様は廊下の壁に凭れかかり、座り込んでいる相亀の身体を持ち上げて、手を少し掲げた。


「つまり、探す方に人を割くべきだ」


 そう口にした直後、葉様の平手打ちが相亀の頬にぶつかり、小気味好い音を廊下に響かせた。その音は四、五回続いて、その後に相亀の唸るような声がQ支部の廊下を底から震わせるように響き渡った。

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