帰る彼と話したい(7)
ディールが拳を構え、動き出すよりも素早く、クリスの背後に生えた巨大な植物の先端で、咲いたばかりの花が一気に膨らんだ。茎を通して空気が送り込まれ、子房か何かが風船のように膨らんだと、見ている分には思える変化だ。
その変化に少し驚きを見せ、踏み出そうとした足を止めたディールの前で、膨らんだばかりの花の先端で、何かが一気に破裂した。
瞬間、花から煙のような色のついた空気が漂い始めた。色のついた空気は吹く風に逆らうことなく、空中をふらふらと漂いながら、辺りに霧のように広がっていく。
それを見たことで、ディールはさっき何が膨らみ、何が破裂したのか、すぐに理解することができた。咄嗟に鼻と口を手で覆い、下手に空気を吸い込まないようにする。
「葯かぁ……」
忌々しそうに呟いたディールの前で、クリスが不敵に笑みを浮かべた。
さっき膨らみ、破裂したのは恐らく、生えている花の中でも、葯と呼ばれる部位だ。そこには大量の花粉が詰まっていて、それが破裂をきっかけに分散し始めて、辺り一帯に漂う色のついた空気となったのだろう。
正体が花粉と分かれば、それで恐れる理由はなくなると言いたいところだが、クリスの仙術が植物に関するところであるのは、クリスと対面する前から知っていた。
仮に知らなくても、さっきの巨大な植物を前にしたら、それが仙術であることは理解できた。
その仙術によって作り出された植物から放出され、辺りに広がった花粉がただの受粉目的の子種のはずがない。
ばら撒いたからには、ばら撒いただけの理由があると考えるべきだ。
そう考えたら、少なくとも、吸い込むことは避けたかった。後はどれだけの効果があるのか分からないが、その効果が発揮される前にクリスをぶっ飛ばすだけだ。
ディールの目的はあくまで生け捕りだが、ディールの力は生け捕りに適したものではない。最悪の場合は失敗しても仕方がないと思いながら、ディールは再び拳を構えた。もう片方の手は未だに鼻と口を覆っている状態だ。
「何か知らないがぁ。効果が出なかったら、ただの花粉だぁ。警戒する理由がないなぁ!」
ディールは一気に踏み込み、クリスとの間に開いていた距離を詰めた。純粋な肉体強化において、右に出る者はいないと言われるディールの仙技だ。
その移動はクリスの想定よりも早く、眼前に拳を構えるディールが現れ、一瞬、クリスは戸惑いを表情に見せた。
その表情の中心を狙い、ディールは構えた拳を勢い良く振り下ろす。振り下ろす前までの考えでは、ディールの拳はクリスの鼻先にぶつかり、そのまま頭ごと、地面に叩きつけているはずだった。
しかし、現実にはクリスの顔に拳が到着するよりも早く、クリスの背後に生えていた巨大な植物から茎が伸び、クリスの身体は引っ張られるように上空へと昇っていた。
ディールから離れた位置まで、伸びた茎がクリスを運び、そこにゆっくりと下りたクリスが嘲笑うようにディールを見る。
「まだ生きてたのかぁ?」
ディールはクリスの背後に生えていた植物を睨みつけ、面倒だと言わんばかりに拳を振るった。たった一発の拳だったが、ぶつかった表面から植物は吹き飛び、バナナの皮でも剥くように、茎の下から花にかけての部分が裸になった。
残された植物の残骸はコンクリートから生えているが、表面が剥がれて内側の一部だけが残った状態の植物だ。それを生きていると言えるのかどうかは、ディールどころかクリスも分からないことだろう。
「逃げるなよぉ」
ディールが苛立ちを噛み殺しながら、拳を構えてクリスを睨んだ。その視線にクリスはさっきまでの苛立ちはどこに行ったのか、小さな笑みを浮かべて、ディールを見てくる。
「逃げてないわよ。準備は済んだから」
「ああぁ?」
その言い方が癇に障り、拳を構えたディールが踏み込もうと足を動かしたところで、構えた拳や足が自由に動かないことにディールは気づいた。
視線をそちらに向けてみると、いつの間にか、ディールの腕や足には植物の根が絡まり、コンクリートの下に引っ張っている。
それだけではなく、その根が伸びているディールの背後には、ディールの気づかない間に、小さな雑草が草原を作り出そうとしていた。
その草原では端から小さな花が咲き始めている。その光景にディールは眉を顰めた。
「何だ、これはぁ?いつ咲いたぁ?」
植物による攻撃手段を事前に聞いていたので、ディールはクリスの動きに注目し、不意打ちを受けないように、周囲に対する警戒を怠っていなかった。それは踏み込む瞬間も同じことで、今の一瞬の間にディールが油断した瞬間は一秒もない。
そのはずだが、ディールは背後に生えた雑草の存在に気づけなかった。
その理由を考え始めて、すぐにディールは一つだけ思い当たる節を見つけた。視線を背後から、周囲全体に向けて、さっきからそこを漂う花粉を見やる。
「ジャミングかぁ……」
そう呟いてから、ディールは勢い良く、自分の手足を振り払った。そこに絡まっていた根が引っ張られ、コンクリートの下から勢い良く飛び出し、辺りにへばりつくように投げ捨てられる。
さっきまで鼻や口を押えていた手も解放し、ディールはクリスを睨みつけた。
「そういう小細工で戦えると思われているということかぁ」
ディールの視線を受け、クリスは自身の周囲に広がる植物に触れながら、ディールの動きを観察するように見ている。
「なら、意味のなさを教えてやるぅ」
そう呟きながら、今度は両方の拳を構えたディールが、自身から離れた位置に立つクリスを見た。
一瞬。片は一瞬でつく。そう思いながら、踏み込んだディールがクリスの前に移動した。
直後、クリスが触れていた植物を撫でるように手を動かした。
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