五月蝿く聞くより目を光らす(9)

 到着と同時にチャイムを押す役割は相亀が負うことになった。椋居が見守る隣で、相亀は何由来か分からない緊張感に包まれながら、幸善の家のチャイムを押す。


 さて、問題はここからだ。どうやってノワールに引き合わせてもらおう、と考える相亀の前で、家の扉がゆっくりと開いた。


 その寸前まで、相亀の頭の中では何となく、幸善の母親が出てくるイメージで固まっていた。幸善の同級生であることを話し、同じ奇隠で働く者同士、その部分の共通点を絡めて、何とかノワールを引き摺り出せないかと考えていた。


 しかし、扉を開いた人物は相亀のイメージの中の女性よりも、かなり若かった。


 というか、相亀よりも見るからに年下だった。


「こんにちは」

「ど、どちら様ですか?」

「幸善君の友達です。幸善君の妹さん?」


 困惑する相亀の隣で椋居が朗らかに会話を始めた。家から顔を覗かせた少女は小さく頷き、相亀はその少女が幸善の妹の頼堂千明ちあきであることを知る。逢ったことはないが話くらいは聞いている。


 確か、ノワールを拾ってきたのがこの妹だ、と思い出す相亀の前で、千明は不審そうな目を相亀と椋居に向けていた。


「あの…兄ならいませんけど?」

「ああ、うん。大丈夫、知ってる。アメリカに留学中だよね?」

「はい。それなら、何を?」


 幸善本人がいないことを知りながら、家までやってきた幸善の同級生二人だ。千明が疑問に思うことも仕方ない。


 さて、どうやって説明しようか。頭を悩ませようとした相亀の隣で、椋居が親指を立てて相亀を示した。


「実は君のお兄さんがアメリカに行ったことでさ。こいつがすっかり寂しがって」

「はあ!?お前、何言い出してるんだよ!?」


 デマを吹聴するなと相亀は必死に抗議しようとしたが、椋居は取り合うことなく、宥めるように相亀の肩を軽く叩いてくる。


「まあまあ、そうカッカするなって。ちゃんと説明するから」


 何の説明を始める気だと相亀は言いたかったが、相亀が口を開くよりも先に椋居は千明を見ていた。


「お兄さんに逢えなくなったこともそうだとは思うけど、それ以上に君の家で飼ってるワンちゃんの話が聞けなくなって、かなり寂しがってるんだよ。名前……何だっけ?」

「ノワール」


 椋居からの質問を受け、相亀が間髪入れずに答えたことで、千明の警戒が少し解かれたようだった。幸善の同級生であることは服装から分かっても、本当に知り合いであるかは分からないところだが、ノワールの名前を知っているなら、と思ってくれたのだろう。


「そう。それで、そのノワールに少し逢わせてあげてくれないかな?ほら、どんな様子か気になって、顔も怖くなってるから」


 椋居は相亀の顔を指差し、苦笑いを浮かべていたが、相亀の表情が険しい理由はもちろん、そこではない。椋居の語った内容の嘘八百加減に怒っているのだが、千明を説得する上では他に言い方が思い浮かばないので、相亀としては黙るしかない。


 ただそれでも、どうしても一つだけ抗議したいと思ってしまうのが、それを言い出した椋居が言ったことを嘘だと思っていないところだ。相亀からしたら、見当外れにも程がある内容だったが、椋居はそういう風に考えていると、八割くらいは思っている。それが分かるから、苛立ちは消えてくれない。


「それなら、連れてきますけど、そんなことのためにわざわざ?」

「そう思うよね?でも、こいつにとっては一大事なんだよ。それくらいに犬が好きなんだ」


 好きか嫌いかで言われたら好きに入るが、そこまでするほどに好きではない。相亀は心の中で椋居に言いながら、ぎこちなく千明に頭を下げる。首肯したつもりだが、頷いたというよりも首を伸ばしたようにしか見えない動きだ。


「じゃあ、急いで連れてきますね。ちょっと待ってください」


 一大事という言葉を本当に信じたのか、家の中に戻っていく千明を見送り、相亀は椋居のふくらはぎに蹴りを噛ました。


「痛い!」

「適当、言い過ぎだ!」

「いやいや、本心を言えないお前に代わって、俺が全部を説明したんだよ」

「いや、全然違……!」


 千明がいない間に抗議しようと、相亀は口を開きかけていたが、本当に千明は急いできたらしく、相亀の口から言葉が出る前に半開きだった玄関の扉が開いた。


「お待たせしました」


 そう言いながら、千明は抱きかかえたノワールを相亀の前に見せてきた。


「どうぞ。抱っこしてあげてください」


 千明はノワールを相亀に差し出すように腕を伸ばしてくるが、それを相亀は受け取ることができなかった。空中で両手を彷徨わせ、困ったように抱きかかえられたノワールを見つめる相亀の姿に、千明が再び不審な目を向けてくる。


「どうしたんですか?もしかして、本当は犬が苦手とか?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「ああ、そうか。ごめんだけど、一度、俺に預けてくれない?こいつ、女の人に触れると興奮して自我が保てないんだ」

「変態みたいな言い方をするな!ちょっと苦手なだけだ……」


 椋居の説明に納得した千明がノワールを椋居に預け、相亀は何とか椋居経由でノワールを受け取ることに成功していた。そこで久しぶりのノワールと対面し、どこか呆れた顔で自分を見つめるノワールに、本題をさっさと聞き出そうとする。


 その時になって、ようやく相亀は最初からそこに存在していた問題に気づいた。


(あれ?頼堂なしで、どうやって妖怪と話すんだ?)


 相亀とノワールでは会話が成立しないのだった。

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