希望の星は大海に落ちる(21)
葵に挨拶を済ませたら、後は帰る前にポールと話しておきたいのだが、ポールは三頭仙の一人に数えられる人物だ。それほど暇ではなく、幸善がポールを見つけた時には、他の仕事でかなり忙しそうに見えた。
それを中断して話しかけるのも悪いと思い、後で挨拶することにした幸善は、そこでポールや葵の他に挨拶しておきたい相手がいることを思い出した。
その相手に逢いに行くことにしたのだが、その相手と逢ったのは本部に来たばかりの時が最後だ。その時の記憶を呼び覚まし、その相手のいる場所に向かうまで、少し幸善は迷うことになった。
重力に慣れるための訓練も必要である以上、あまりに迷い過ぎたら諦めるしかない。そう思い始めて、もう少しで諦めようかと思っていた直前に、ようやく幸善は問題の部屋を見つける。
そこは『Archives』の文字が書かれた部屋だった。
どのように入ろうかと悩んでから、幸善は扉を数度ノックし、扉の横にあるパネルに触れてみる。本部で生活する数日間で、これらのパネルをどのように操作したら扉が開くかは分かっている。
この部屋もそれは変わりなかったようで、扉はしっかりと開いた。
「お邪魔します」
幸善が部屋の中に声をかけると、部屋の奥で黒い塊が動いたのが見えた。ほとんど影になっているが、その巨体はその影の中でも確かに分かる。
「どうしたんだ?」
体勢を変えながら、そのように聞き覚えのある声が聞こえ、幸善は部屋の中に入っていった。
「もう帰ることになったんだ。それで挨拶しに来たんだよ」
「俺にか?変わっているな」
そのように言いながら、グリズリーのテディは笑うように口を歪めた。
「いろいろと教えてくれてありがとう。おかげで考えることも、覚悟を決めることもできたと思う。後はどうなるか分からないけど、全力を尽くすつもりだから」
「らしいな。そう約束したと聞いた」
「それでテディの話をその後に聞いて、テディに聞きたいことがあったんだ」
「どうした?」
「テディは今後、どうするつもりなんだ?」
現在、テディは愚者に命を狙われている状態だ。そのために奇隠の本部で保護されているのだが、それもいつまでも続くものではないだろう。
「例えば、全てが終わって、命が狙われなくなっても、この場所にいるのか?」
「もしもそうなったら、その時はどこかに行くかもしれないな。だが、それがどこなのか、本当にするのか、それはその時の気分次第だ」
「そういうものなのか?」
「ああ、俺はあくまで妖怪だ。人間といつまでも関わっているつもりはない。それは仙人が相手でも変わらないことだ。どこかでグリズリーらしく、もしくは妖怪らしく生きて、死ぬ時が来たら、その時は甘んじて死を受け入れるつもりだ」
「そうか……」
「ただそれもNo.0が俺の命を狙わなくなった後の話だ。俺はあいつに殺されるつもりはない。それは誰より何よりNo.0が望んでいないことのはずだからな」
そのテディの言い方を聞き、幸善はずっと聞こうかと迷っていたが、結局、誰にも聞くことのできなかった疑問を思い出し、それを言い出すか少し迷った。幸善の覚悟に関するところの話題で、それを聞かずとも、幸善の覚悟は変わらない。
だが、何となく、それを聞いたら、約束が宙ぶらりんになる気がして、幸善は口に出せなかった。
「何だ?何か言いたいことがあるのか?」
その様子を見たテディが察したらしく、幸善から迷った言葉を引き出すように聞いてきたが、幸善はゆっくりと言葉を飲み込み、かぶりを振った。
「いいや、別にいいことだから」
「そうか。そう決めたならいい」
「じゃあ、そろそろ行くから。本当にありがとう。運動不足で死なないように気をつけてな」
「大丈夫だ。ここには腕のいい医者がいる」
テディの自信を持った言い方に幸善は苦笑し、テディの部屋を後にした。次は再びポールのところを訪れて、ポールに挨拶を済ませる番だ。
そう思ったのだが、時間を確認した幸善はそこで顔を歪めた。既に問題の訓練の時間が迫っている。ここから戻ることを考えたら、ポールを探す時間は取れそうにない。
後で時間があるだろうか。そのように考えながら、幸善は頭を抱えて、御柱と約束した場所に向かうために移動を開始した。ポールにまだ挨拶を済ませていないと知られたら御柱に怒られそうだが、それ以上に帰るまでに礼を言えない可能性があることの方が幸善は応えていた。
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