希望の星は大海に落ちる(20)

 幸善の特訓が完了した翌日、幸善と御柱の日本への帰国が決定した。出発は今から数時間後。本部で重力への慣らしが行われた後、アメリカの施設に戻り、その足で空港に移動し、日本行きの飛行機に乗るそうだ。

 その移動スケジュールを御柱から聞き、幸善は顔を歪めた。


「戻ってからの移動がかなりハードスケジュールですね……」

「本来はもう少し余裕を持って帰国する予定だったんだが、既に日本でもいくつかの動きがあるようだからな。急いで戻るに越したことはない」


 どこか思いつめているようにも見える御柱を見ながら、幸善は数日前に受けた報告のことを思い出した。


 日本で人型の動きがあったそうだが、その詳細は幸善も、直接的に報告を受けた御柱も知らないはずだ。それを一刻も早く把握したい、と幸善も御柱も思っているところがあった。


「重力に慣れるための訓練は時間を取らないと聞いた。後は自由だが、荷物だけはまとめておけ。世話になった人に挨拶するなら、その間に済ませるといい」


 口調こそ優しく、挨拶を促すような言い方だったが、その視線の鋭さを見ていたら、ポールに挨拶するように遠回しに命令していることは分かった。元からそのつもりだったので、反抗する理由もない。

 幸善は首肯し、一度、御柱と別れた。荷物をまとめて、挨拶を済ませたら、重力への慣らしが行われる際に合流する予定だ。


 自室に戻った幸善はそこで持ってきていた荷物をまとめ始める。とは言っても、本部に持っていく必要がないと思った荷物は、本部に来るための施設に置いてきている上に、本部ではほとんど荷物に触れていないので、そこまでの時間は必要ない。


 早々に荷物をまとめ上げ、御柱に言われた通り、挨拶に向かおうと思ったところで、幸善の部屋に訪問者があった。部屋を出る直前に扉がノックされ、幸善は声をかける。すぐに出るつもりだったので、ドアは施錠していなかった。


「今は大丈夫だったかな?忙しくない?」


 そのように心配した様子で声をかけながら、部屋のドアを開いたのは、葵だった。幸善がこれから挨拶回りに向かおうと思っていた人物の一人だ。その登場に幸善は驚いた。


「お兄さん?これから向かおうと思っていたところですよ」

「ああ、そうなの?もう帰ると聞いたから、今の内に挨拶しておこうかと思ったんだけど、そうだったのか。わざわざ来てくれるつもりだったんだね、ありがとう」

「それはもちろん、お世話になりましたし」


 本部での通訳は基本的に御柱が担当しているのだが、御柱も本部で仕事があったようで捕まらない時があった。その時に通訳を担当してくれたのが、ポールと葵だ。特に三頭仙であるポールと違い、葵は非常に頼みやすく、御柱よりも頼ったくらいだ。特訓の影響で体調が悪くなった際には、診察もしてくれた。


「気をつけてね。日本に帰ったら、兄は元気だと茜に伝えてよ」

「それだけでいいんですか?」

「別に連絡を取っていないわけではないからね。直接姿を見た君が元気だと言ってくれたら、それで茜は安心してくれると思うんだ。実際、俺がそうだったしね」


 牛梁が日本で元気にしていることは分かっていても、それが直接的に見えないと不安になる部分がある。それを証明してくれる第三者の存在は、その不安を消し去り、安心に繋げてくれる。何となく、それは幸善にも分かることだった。


「分かりました。伝えます。それから、あの……皇帝とはもう逢えませんかね?」


 最初に逢った時から、皇帝には一度も逢えていなかった。立場的にも体調的にも難しいことは分かっているが、最後に挨拶くらいは、と思った幸善だが、やはり難しいらしく、葵はかぶりを振る。


「すまないけど、フォース様は体調が安定していなんだ。特に君と話すために少し無理をしたからね。今は安静にさせておきたいんだよ」

「それって俺と話したから、体調を悪くしているってことですか?」

「気に病む必要はないよ。君じゃなくても、誰かと話したら症状が悪化することは分かってたんだ。それでも、君と話したかったから、フォース様は君を呼んだんだよ。それに俺もそうなると分かっていて許可したんだ。だから、大丈夫。俺が何とかするよ」


 葵は笑みを浮かべながら、自信満々に言っていたが、それがとても難しいことだというのは、既に幸善も分かっていた。それでも、二人は幸善に伝えることを選んでくれた。幸善との約束を選んでくれた。

 それに応える必要があると幸善は改めて思いながら、葵に頷いた。


「じゃあね。次に逢う時は茜も一緒にね」

「はい。そうですね。いろいろとありがとうございました」


 幸善は葵に頭を下げて、部屋から立ち去る葵を見送った。幸善はさっきまでと変わらず、与えられた自室で一人になるのだが、何となく、その静かさに寂しさを覚える。


 いろいろと辛いことも多かったが、ふと振り返ってみると、この場所にもそれなりの思い出ができたのか、と幸善は少し感傷的な気持ちになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る