希望の星は大海に落ちる(19)

 地獄のような数日間が嘘だったように、幸善の体調は完全回復していた。今ではその時のことを思い出せないくらいに、自身の身体について鈍感になり、頬についたケチャップにも気づかないくらいだ。


 しかし、それはあくまで表面的な話であり、身体の内側――物理的に触れられない精神面のような部分で言うと、神経の鋭敏さは保ったままだった。寧ろ、外側に向いていたものが全て内面に向き、その部分での感覚がようやく開花したと言えた。


 死ぬほどの苦しみを覚えた原因である感覚の鋭さは、仙気の把握という目標に向いた時、大きな武器となった。何より、本来は存在し得ないものの認知という最大の壁を乗り越え、後に続く壁は壁と思えないほどに低いものに感じられた。


 そこからの進展は早かった。感じ取った仙気の感覚に慣れ、これまでに感じていた仙気らしきものとの明確な差別化を図る。後は慣れた感覚を追いかけ、仙気の総量や密集している場所が把握できるようになれば、仙気の把握は完了したに近い。


 問題はそうなる前に、仙気の感覚を自分の中にイメージとして落とし込む必要があるのだが、その上で幸善が現在感じている白いミミズというイメージは、あまりに尖り過ぎていた。それを毎回体内に感じると、どこかで発狂する自信がある。


 最初に仙気を感じ取った時に、そのイメージを風と置き換えたように、別の物にイメージを置き換えたかったのだが、白いミミズというイメージからようやく掴み取った感覚だ。他にその感覚を維持できるだけのイメージが思い浮かばず、幸善は悩むことになった。


 そこにアドバイスをくれたのがポールだった。


「別にミミズから大きく離れる必要はないんだよ。必要なのは不快に感じないイメージであること、動くイメージであること、風ではないこと、これくらいだね」

「風ではない……動くイメージ……流動性がなくても、動くイメージがあればいいんですかね?」

「細かく把握するなら、その方がいいかもしれないね。全体ではなく、点で捉えられるようになるから。例えば、これまでに仙気と思っていたものが風なら、それに吹かれて飛ぶ何かをイメージするとか、そういう近しい部分の方がイメージしやすいと思うよ」

「風に吹かれて飛ぶ何か……」


 そう言われ、瞬間的に幸善の頭の中を風が吹き抜けた。それは幸善の内側にある異物感を攫い、空に向かって昇っていく。

 そこに含まれたものを感じて、幸善は思わず唇を動かした。


「花びら……」

「花びら?」

「はい。何となく、紫色の花びらが風に乗って動いていくイメージがありました」


 幸善は花に詳しくないので、その感覚的に湧き出した花の名前は分からなかったが、何となく、幸善はその花びらが最も風に寄り添い、幸善の体内を巡る仙気に合っている気がした。


「花びらか。なら、そのイメージを確立しよう。君の中で花びらのイメージが残れば、その花びらのある場所に仙気が存在すると分かるようになる。それは君が妖怪に触れて、仙術を使う瞬間にも、確かな目印になると思うよ」


 花びらのイメージが湧き出てきたことには驚きながらも、そのイメージを定着させることで、幸善の目標が達せられると分かり、幸善は小さく笑みを浮かべた。

 本当に数日間、地獄のような日々が続いたが、それもようやく報われる。


 幸善は自身の中の花びらを掴むために、目を瞑って、心の中で手を伸ばすことを繰り返し、その感覚を自分のものにしようとした。


 そこから、また数日が経過して――とは言っても、幸善が体験した地獄のような数日間と比べたら、短い日数だ。幸善は自身の中を漂う花びらを掴み、その質感を肌で感じ取れるほどに、体内の仙気を掌握することに成功していた。


 その様子を見ていたポールがうんうんと嬉しそうに頷き、幸善に告げてくる。


「十割……までは行かないけど、八割くらいは把握できていると思うよ。一級仙人の半数以上が辿りつけない領域に辿りついたね。これで目標は達成だ。おめでとう」


 ポールの言葉を聞いてからも、幸善はしばらく呆然としていた。

 その間に、本部で体験したいろいろなことが頭を過り、幸善はじんわりと広がっていく実感と共に、どうしようもない嬉しさを堪えることができず、小さく目元から涙を零した。


 こうして、幸善はいくつかのと共に、仙気の把握に成功した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る