熊は風の始まりを語る(28)

 奇隠のトップ、三頭仙の一角。二十二体の人型の一体。聞き及んでいた存在を前にし、幸善は完全に言葉を失っていた。


 葵の治療を受けているという発言の通り、その身体は細く、弱々しくなっているが、その眼光は未だに鋭く、真正面から見つめられた幸善は動くこともできなくなる。


「良く来たな……幸善、だったか……」

「あ、え、はい…」


 皇帝から声をかけられ、幸善はその返事が精一杯だった。聞きたいことはいくつか思い浮かぶのだが、それを口にしてもいいのか分からない。


「すまない…急に呼び出されて驚いただろう……」


 呼び出されたことよりも衝撃的な驚きが今に至るまで重なり、幸善は既にその時の驚きなど頭の中から抜けていた。


 それでも、会話を阻害しないように、取り敢えず、首肯しておくと、皇帝は弱々しい声で言葉を続ける。


「本当はもう少し待つ予定だった……先は長くないが、それでも、待てないほどではなかったからな……ただ人型の動きがそれを許さなかった……早く話す必要があると思った……」


 皇帝は大きく身体を折り曲げて咳き込んだ。その姿はテディの話の中に出てきた皇帝の姿と大きく違う上に、これまで見てきた人型のどの姿とも一致しない。

 人型がこれほどまでに弱る理由が幸善には分からなかった。


「あの…どうして、そのような状態に……?」


 咳き込む皇帝を介抱するように、葵がその傍に駆け寄る様子を見ながら、幸善はそのように聞いていた。


 葵が薬らしき物を与えて、皇帝が落ちつきを見せると、顔を上げた皇帝が質問してきた。


「テディとは逢ったのだろう……?」

「ああ、はい。さっき」

「テディの部屋を見て、不思議だとは思わなかったか……?」

「え?」


 そう言われ、幸善は改めて、さっきまでいたテディの部屋の様子を思い浮かべた。最初はテディで明かりが隠れ、暗い部屋だと思っていたが、実際はそんなことなく、テディの巨体でも自由に移動のできる快適な部屋だった。しっかりとした椅子も置かれていた。


 その光景を思い浮かべ、幸善は不意に思った。


「あれ?そういえば、あの部屋って?」


 部屋そのものもそうだが、そこに置かれた椅子もテディに合わせたサイズ感だった。Q支部にも妖怪のいる場所自体はあるが、複数の妖怪をまとめて保護する部屋である上に、その妖怪の面倒を見る仙人もついている。


 テディのように、完全に一体だけに与えられた部屋はなく、その部屋の中で妖怪だけが生活している状況はあり得ない。


「テディはこの本部で保護されている状態だ……そのための部屋も与えてな……」

「どうして保護を?何かに襲われたということですか?」


 そう聞いてから、幸善はテディとの会話の一部を思い出し、かぶりを振った。


「いや、もしも襲われていたとしても、テディの妖術なら、保護する必要はないのでは?」


 奇隠の施設にも応用されている自由に空間を移動する妖術。それを利用したら、襲撃された場所から逃れることなど容易のはずだ。


 だが、それではダメだった。その理由を考えると、その襲ってきた相手にも、ある程度の想像はついてくる。


「どこに逃げても、世界の大半をある程度、把握している者が相手だと、すぐに追いかけられる……」

「それって、まさか?」

「No.0だ……」


 テディは愚者に襲われた。その事実を聞き、幸善は混乱した。


「いや、でも、テディの話には愚者しか知り得ないものもありましたよ?本人が話したんですよね?」

「そうだ……No.0とテディは長年友好関係を気づき、No.0は自身の考えをテディにも多く話した……恐らく、No.0はテディも仲間に引き入れたかったのだろう……既に妖怪の長老となったテディに従う妖怪も、少なくはない……」


 幸善がいると全ての妖怪が敵対する可能性がある。それを危惧したように、テディがいることで全ての妖怪が味方になる可能性を考え、愚者はテディを味方に引き入れようとした。


「しかし、五年前、No.0はテディを味方に引き入れることを諦め、自身の敵となる可能性を危惧し、テディを殺害しようとした……」

「急に?どうして?」

「理由はいくつか考えられる……が、最大の要因は戦力差だ……」

「戦力差?」

「その数年前の段階で、既に奇隠は現在に近しい戦力を保有していた……それに対して、人型は十年以上、新たな人型が誕生していない状態だった……このままだと奇隠が戦力を整え、自分達よりも先に動き出す可能性がある……時間はないと判断したのだろう……」


 テディを味方に引き入れる時間がないと判断し、敵になるくらいなら先に始末するべきだと考えた。愚者がテディを襲撃した理由は幸善にも理解できた。


 しかし、実際のところ、テディは始末されずに生き残っている。その部分に疑問を懐いた幸善の前で、皇帝が話を続けた。


「テディはNo.0の襲撃を受けた……だが、テディを殺されるわけにはいかなかった……」

「愚者の情報を持っているから?」

「それもある……だが、それ以上に親しい友人がこれ以上いなくなって欲しくなかった……だから、俺は向かった…その場所に……」


 愚者に襲撃されたテディを救出するために、皇帝は愚者と相対した。


 相手が愚者だとしても、同じ人型であり、三頭仙の一角も務める皇帝が大きく後れを取るとは考えづらい。実力自体はある程度、拮抗したものだったはずだ。


 しかし、皇帝にはテディという守るべき対象があった。


 そして、それが大きな差となってしまった。


「No.0自体も消耗はしたはずだが、テディを連れて逃げるまでに、俺が受けたダメージの方が遥かに大きかった……その状態で妖術を用いた影響もあり、俺の寿命は大きく削られた……今ではこの状態だ……」


 仙気が生命力に直結していない仙人ですら、激しく消耗すると命に関わってくるくらいだ。妖気がそのまま生命力となる妖怪が、その妖気を消耗した先にあることなど、幸善でも容易に想像がつく。

 皇帝はその領域に足を突っ込んでしまったのだろう。回復できないほどに妖気を消耗し、身体は衰弱し切ってしまった。


 その命を繋ぎ止めるために葵が呼ばれたが、それも辛うじて繋ぎ止めているだけで、そこから引っ張ることは叶わなかったようだ。


「だが、この身体のことは一度、忘れてくれて構わない……これから話すことに同情は持ち込まないでくれ……幸善の気持ちを聞かせて欲しい……」


 これほどまでに弱った皇帝が、それでも自分の口から幸善に話したいと思い、ここに呼び出した一番の理由。


 それを口に出すために、皇帝が重い頭をゆっくりと下ろした。


「No.0を………」


 その言葉に幸善は息を呑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る