熊は風の始まりを語る(11)

 久遠から聞いた話を裏づけるように、皇帝がパン屋から戻ってくると、すぐに愚者が近づいてきた。最後に顔を見たのは確か一日か二日前だ。


「No.4。ちょっといいかな?」

「ちょうど良かった。俺も話があったんだ」


 そう言ってから、皇帝は手に持っていた紙袋を掲げた。愚者から話を聞くに当たって、お土産代わりに買ったパンがその中に入っている。


「少し聞きたいことがあってな」

「奇遇だね。同じだよ」


 皇帝が傍らに置かれた椅子を手で示すと、愚者は頷いてから腰を下ろした。皇帝は自分のために淹れていた飲み物を増やし、自分と愚者の前に並べる。その横にはさっき買ったパンもついでに置いた。


「これは?」

「土産物だ。ベーグルの間にチーズとかロックスが挟んである。いらないか?」

「いただくよ」


 愚者がベーグルに手を伸ばし、それを口に運んだ。その様子を見ながら、皇帝は同じように食べようかと迷ってから、先に聞いておくことを聞いておこうと思い直す。


「俺からいいか?聞きたいこと」

「うん、いいよ。どうしたの?」

「久遠から話を聞いたんだ。逢ったんだってな」

「ああ、そうなんだね。そうだよ。ちょうど聞きたいことも、それに関することなんだよ」

「ああ、そうなのか」


 何となく、そんな気がしていたから、愚者が同じであると言っても驚くことはなかった。


「どうだった?久遠と逢ってみて」

「正直なところね。最初は理由を見つけるためだったから、さっと逢って、さっと区切りをつけようと思っていたんだよ」


 区切り。少し暈しているが、それの意味するところはすぐに分かり、皇帝は口を噤んだ。いらないことを言わないように、ベーグルを口の中に押し込む。


「だけど、もう少し話してみたいと思ったよ。気づかなかったんだ。自分の視野がどうなっているかなんて」

「そうか。なら、良かった」

「うん。それでNo.4にも聞きたいんだ」

「何を?」

「No.4は人型の生をどう感じてる?」

「どう、とは?」

「人間と同じ姿をしているけど、人間ではない存在。人間と交わり、その中で生きていくしかないのに、人間の中に溶け込み切れない存在。そうして生きれば生きるほどに孤独になっていく存在。それをどう思う?」


 愚者がずっと考えていたこと。それは何となく分かっていたが、それを自分の前に突きつけられると皇帝は思っていなかった。愚者がその答えを他者に求めることなどないと思い込んでいた。


 これを前向きになったと捉えるべきなのか、理由を探す場所が変わったと考えるべきなのか、皇帝は迷って口籠った。


 下手な返答はしない方がいい。それは自分自身が後悔する。

 そう分かった上で、皇帝は言葉を探した。


「別に孤独になると決まったわけじゃない。それは生き方次第だ」

「生き方?」

「誰かと親しくなっても、その誰かと別れることになる。それが怖いことは確かだが、そういう別れは人型に限った話ではない。人間の間でも起こることで、それを嫌だから、他人と関わることをやめる人間はいない」

「それとは時間の長さも価値観も生きる力も、何もかもが違い過ぎるよ」

「いや、違わない。違わないから、お前はそれを避けているはずだ。違う存在がいなくなって、どうして悲しいと思うんだ?」

「別に悲しいと言っているわけじゃ…」

「違うなら、何を悩んでいるんだ?お前は何を悩む必要があるんだ?」

「それは…」


 愚者はしばらく口を開け、次の言葉を探しているようだった。それを見ながら、皇帝はやはり久遠と逢わせて正解だったと感じる。


「もう少し考えてみたらいい。久遠と話して、自分が何を思っているのか、何が嫌で理由を探していたのか。そういう当たり前のことを改めて考えてみて、それから、自分の次を決めたらいい」


 皇帝はベーグルを飲み込み、目の前で言葉に迷っている愚者を見ていた。久遠との出逢いで愚者は何かに気づき、自分の中の気持ちとようやく向き合う気になっている。それがうまく噛み合ってくれたらいいのだが、と考えながら、皇帝はパン屋の前で逢った久遠の姿を思い出す。


 それがきっと久遠にとっても、いい方向に働いてくれるはずだ。皇帝はそう願っていた。

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