熊は風の始まりを語る(8)
人型達の住むところから徒歩で三十分。ひときわ目立つ赤い屋根のパン屋がそこにある。
そこはポピュラーなパンはもちろんのこと、実験的にマイナーなパンも置かれていて、皇帝は目新しさから、それを目当てに通うことが以前からあった。
そうしたある日、そこに異国で人気のあるらしい変わったパンが置かれていた。
それは『あんパン』と呼ばれる代物らしく、中には赤や紫の混じった特徴的な色の豆が潰された状態で入っていた。
ただ物珍しいという理由で、皇帝はそれを買ったのだが、意外にもその『あんパン』という物は美味しく、何度かそれを購入することがあった。
しかし、どうやら他の人にはあまり好まれなかったそうだ。特に中に入った『餡子』という物が良く分からず、手を出さない人が多かったらしい。
気づいた時には『あんパン』が消え、皇帝はガッカリした。
自分は好きだったのだが、あまり人気はなかったのか、とその『あんパン』の置いてあった場所で思っていると、そこにもう一人、『あんパン』の消失を悲しむ人物が現れた。
その人物は悲しむだけに留まらず、『あんパン』は何故なくなったのかと、店員に詰め寄っている。
そこで皇帝は驚いた。その人物が『あんパン』をそれほど好きなこともそうだが、それ以上にその人物は店員には明らかに通じない言葉を発していたからだ。
それが皇帝と久遠の出逢いだった。二人は同じ『あんパン』好きとして、その赤い屋根のパン屋で逢ったら、たまに話すようになり、気づいた時には友人と呼べる関係になっていた。
その久遠がどこにいるか知らないかと聞かれ、皇帝は戸惑ったのだが、それは愚者が久遠の居場所も知らないで、久遠に逢いに行こうとしていたから、だけではなく、もう一つ別の理由があった。
それがさっきの出逢いやその後の関係からも分かる通り、実は皇帝も久遠の家を知らなかったのだ。久遠と話していて、愚者に紹介しようと思った時には事前に約束をしたが、それ以外は偶然逢うくらいで、意図的に約束して逢ったことはない。
それは家の場所を聞けなかったとか、聞くことを忘れていたとか、そういう話ではなく、何となく、久遠があまり聞いて欲しくないような素振りを見せたから、皇帝もあまり深くは聞かなかったからだ。
皇帝も人型であるという秘密がある以上、お互いに深く入り込まないのなら、その方が関係性としてはやりやすい。
そう思っていたのだが、ここに来て、それが仇となった形だった。
仕方なく、皇帝はパン屋の場所を教えて、そこに行けば逢えるかもしれないと言うのが精一杯だった。
それを聞いた愚者は流石に少し驚いていたようだが、文句を言ってくることはなかった。軽く微笑み、礼を口にしてから、どこかに行ってしまう愚者を見送り、皇帝はその後に愚者が何をするのか見守るために追いかけることはなかった。
その話をテディの口から聞き、幸善はモヤッとした気持ちをそのまま表情に出した。
「何?その話?」
「いや、大事なのはここからで…」
「あんパンは美味いでしょうが!?」
「え?そこ?」
日本人として、あんパンの美味しさに関しては譲ることができない。幸善は断固として抗議しようとしたが、テディは否定することなく、優しく首肯して頷いてくれた。
「いや、分かる。というよりも、今なら多くの人が分かってくれると思うぞ。そもそも、当時はまだあんパンが日本で誕生して十年とか二十年とかの時代だからな。そのパン屋の取り入れる速度が恐ろしく早かっただけで、別にヨーロッパの人も美味しくないと思っているわけじゃない」
「本当に?張り込みの時に牛乳と合わせる?」
「それは分からない」
思わぬ幸善のこだわりが漏れ出て、少し話が本題から逸れてしまったが、本題の方も本題の方で、あんパンとは違う別の問題が発生していた。
「ていうか、その流れだと、愚者は花束を渡しに行かなかった感じじゃない?渡すって決めたのに」
「まあ、そういう風にNo.4も思ったようだな。せっかくNo.9が言ってくれたのに、No.0は再び諦めてしまった、と」
「なら、そこで話が終わらないか?」
「それがここで終わらなかった。この時のNo.4はその後にNo.0が何をしたのか分からないし、No.0も特に何も言わなかったそうなんだが、そのしばらく後に、その問題のパン屋にNo.4が行ったら、そこで偶然、久遠とばったり逢ったそうだ。そこで聞かされたんだと」
「何を?」
「No.0がその後に何をしたのかという話だ」
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