熊は風の始まりを語る(5)
人型はその多くが実年齢に対応した見た目をしていないのだが、それは当時の段階で二百歳を超えている愚者も例外ではなかった。
テディ曰く、現在の幸善に近しい年齢に見え、実際に見た目も幸善に少し似通っていたそうだ。
ただし、それは見た目の話であり、その中身は大きく違っていたらしい。
特に活力に満ち満ちた幸善とは違い、当時の愚者は無気力に満ち満ちた空っぽの存在であり、その所作もどこか儚げに見えることが多かったそうだ。
ともすれば、いつかふらりと消えて、二度と戻ってこない。そんな予感が当時のテディにはあったらしい。
そして、それはテディに限った話ではなかったようだ。
愚者と一緒に行動していた人型の一体、皇帝もそれを感じたようで、愚者を留めるためにいろいろと積極的に関わっていた。
その手段の一つとして、皇帝は自らが出逢った一人の友人を愚者に紹介しようとした。
「なあ、No.0。少し逢って欲しい人がいるんだが、どうだ?」
「どうした?テディなら人肉は好みではないそうだが?」
「テディの餌を探しているんじゃない。というか、人を餌にするとか、そんな発想はない」
「冗談だ」
愚者は数体の人型と一緒に隠れて過ごす家屋からほとんど動くことがなく、いつもその庭でひたすらに空を眺めていた。
そこに皇帝が今回のように話しかけても、愚者は視線を一切動かすことがなかった。
「冗談なら、もっと分かりやすく言ってくれよ。スケールの大きい奴とかさ。お前の冗談は分かりにくいんだよ」
「考えておく」
「ああ…いや、そうじゃなくて、紹介したい人がいるんだよ」
明らかに話を逸らされたことに寸前で気づき、皇帝は慌てて軌道修正を施した。それを愚者はもう忘れていたように呟く。
「ああ、そういう話だったか」
「どうだ?逢ってみないか?面白い奴なんだよ」
「どんな風に?」
「どんな風にって聞かれても難しいな…強いて何かに例えるなら、根っ子みたいな奴だ」
「根っ子?」
そこでようやく愚者が皇帝の顔を見た。表情は大きく変化したわけではないが、そこには確かに驚きの色が見え、皇帝は小さく笑った。
「興味出てきただろう?逢ってみないか?」
その問いに愚者はしばらく黙った。皇帝の顔を真正面から見つめながらも、その目は皇帝の顔を捉えていない。それが分かる視線に皇帝は少し不安になる。
これは断られるかもしれない。そう思いながら、愚者の次の言葉を待っていると、愚者は口を開くよりも先に小さく頷いた。
「分かった。お前がそこまで言うなら、一度逢ってみよう」
「本当か?」
その一言に皇帝は最終確認するように聞いていた。その確認を聞いた愚者が頷き、皇帝は大きく喜びかけた。
その寸前、愚者が小さく呟いた。
「ちょうどきっかけが欲しかった時でもあるんだ」
大きく喜ぼうとしていた皇帝の動きは、その一言で止まった。
何のきっかけであるのか。当たり前の疑問を持ったが、皇帝にはその疑問を口にする度胸がなかった。
「そ、そうか…ちょうど良かったのか…」
そのように戸惑いながら口籠らせ、本当は何かを言った方がいいと分かっていながら、その何かを言うことができなかった。
そのことを気にしながら、翌日、皇帝は愚者の元に一人の女性を連れていった。この地で皇帝が出逢った友人の一人だ。
彼女はインクを落としたように艶やかな黒髪を靡かせ、やや鋭い目つきで愚者を見ながら、着飾った赤いドレスからまっすぐに腕を伸ばし、愚者の無気力な顔を指差した。
「暗い!」
そして、開口一番、そう言い切った。
その一言に誰よりも唖然としたのが皇帝だった。
「ちょっと待って、久遠?あんまりそういうことは直球で言わない方がいいと思うんだけど?」
「だって、フォースから話で聞いてたけど、想像以上に暗いもん!暗いって言うよ。明るい庭の真ん中に影が落ちてるのかと思ったよ」
この時の皇帝はあまりの久遠の暴言に、愚者が機嫌を悪くしないかと不安だったが、愚者は特に何かを言うまでもなく、いつものように空を眺めながら、ぽつんと呟いた。
「君は明るいね」
それを聞いた久遠が動きを止めてから、ゆっくりと皇帝の顔を見た。
「どうかした?」
「ごめん、フォース。私、こいつと合わない」
そう言い残し、久遠は早々に帰ってしまう。
これが愚者と久遠の初対面だった。
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